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ここまで来たら好きに生きなさい


これはわたしの備忘録。

父は87歳になった。
え?もうすぐ90歳かよ。びっくりだ。
というか、ここまできたら
一日でも長く、長く生きてほしい。

81歳の母は難病の網膜色素変性症で
のちに失明するという病気なうえに
最近痴呆も進んでいて物忘れが激しい
ところに怒りやすい。

そんな母を父が支えている。

今日は一緒にお昼を食べに行った。
もう何度か一緒に行ったお店なのに
「行ったことない、わからない」と言う母。

「ねえ、お母さん、忘れちゃった
んだね」と父に言ったら

「仕方がないじゃないか。病気だから」
と苦笑いをしていた。

父は持病と老化による身体の衰えが
著しいが頭はしっかりしているから
ありがたい。

いつも図書館で本を借りて読んでいる父。
これがボケない秘訣なのかもしれない。

お昼を食べた後に実家に一旦戻り、
父と2人で花壇に植える木を買いに行く
事になった。

「昨日、お前、木を買いに行くって
言っただろ。今から行くか?」

めったにない親孝行の機会なので
わたしに断る理由はない。

父は8年前に脳梗塞で倒れた以来、
同居する姉に車を取り上げられて
今は免許も返納している。

そんなもんで、わたしが実家へ行くと
「けいこ、車出してくれや」と
何かと用事を頼まれることが多い。

行きの車の中で父がこんなことを言いだした。

「こうきとたかや(孫の名前)はとっても
いい子だ。こんないい子の孫を生んでくれた
お前はほんとうに親孝行だ。
こうきとたかやはとっても優しい子だ」

父はいつもわたしをそうやって
褒めてくれる。

金銭的な親孝行もできない、
心配ばかりかけてる娘なのに。

父こそ、なんて優しいひとなんだろう
とわたしは思う。

以前、母に公務員を辞めて謝った
ことをブログに書いたことがある。

実は父に謝っていなくて
別に謝らなくてもいいかなと思ったり
していたけど

今がタイミングだって思った。

「孫を生んで親孝行なんて言ってもらって
ありがとね。
でもさ、公務員、やめてごめんね」

やっと言えた。
すると父は

「別にいいんだ。ここまできたら
好きに生きろ」

と言った。

お父さん、おかげさまで
いまも好きに生きてます。
ありがとう。

わたしは笑いながら

「お父さん、わたし、ほんと好きに
生きている。これからも好きに
生きるよ、ありがとう!」

そう父に伝えた。
父も笑っていたように思う。

ホームセンターに到着した。

「俺がもう役に立たないから
手間がかかる庭木はダメだ」

そう言いながら歩く父。

2人にふとキンモクセイの木が
目に止まった。

「お父さん、キンモクセイがいいんじゃない?
秋になるといい香りがするよね。
キンモクセイの香り、好きだな」

そんなこんな流れて
キンモクセイを実家に迎え入れること
になった。

キンモクセイを積んだ車を走らせながら

「お父さんがいなくなっても
キンモクセイの花が咲いたら
お父さんのことを思い出すからね~。
いや、泣くかもしんないな~」

「何言ってるんだ。別に思い出さんで
いいわ。でも、一緒に買いに行ったことを
思い出すんかもしれないな」

親が歳をとると
こんな会話が多くなる。

だからわたしは親との時間を大切にしたいと
思っているし、
生きてるうちにまだ聞いていない
わたしの知らない話を聴きたいとも
思っている。

ちょうどね、お勤めの仕事を手放したから。
今度は自宅でできる仕事をしようと
思っているから
親との時間も今以上に作れるなと思っている。

父は勤めに出ない娘を
心配するように思うけど・・・

帰りの車は

「お父さんの子どもでよかったよ」と
伝えればよかったけど

「三姉妹の末っ子で生まれて、
よい姉2人に恵まれてよかったよ」
と伝えていた。

そうだな、今度は
「お父さんの子どもで生まれてよかったよ」
って伝えよう。

なんだか照れくさいな。

でも、生きているうちに伝えたいんだ。




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