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【悪について】



冒頭より
「本書はある面において『愛するということ』と対をなしている。『愛するということ』の主題は人間の愛する能力だったが本書の主題は人間の破壊能力、ナルシシズム、近親相姦的固着である。」

難解な箇所もありましたが読み応えのある本でした。

❖人間―狼か羊か:
人は狼なのか羊なのか。狼でもあり羊でもあるのか、あるいは狼でも羊でもないのか。
人間は善と悪の二面性を持ち常に矛盾する性質の間を往復している。
ここで印象に残った言葉があります。
「人類にとって本当に危険なのは、並外れた権力を持つ普通の人間であり悪魔やサディストではない。」


❖さまざまな形態の暴力:
・遊びの暴力 スキルを誇示するための暴力
・反動的暴力 自分あるいは他人の生命自由財産を守るための暴力。欲求不満の解消のための暴力
・復讐的暴力 自尊心の回復のための暴力
・補償的暴力 もっとも病的なもの。無力者にとっての生産的行為の代用としての暴力。サディズム。
・原初的な残虐性  "血の渇望"

❖死を愛すること、生を愛すること:
ネクロフィリア(バイオフィリア)、ナルシシズム、母親への共生的固着について書いてあります。
生への愛が特に発展する条件が書いてあります。
①品位ある生活を送るための基本的な物質的条件が脅かされないという意味での安全
②誰もが他人の目的のための手段になってはならないという意味での公正
③各人が社会の活動的で責任のある一員となる可能性を持つという意味での自由
③の自由が特に重要だと書いてありました。

次のくだりが大変ダイナミックで力強いメッセージでした。
「生の領域で他人が影響を与えることができるのは愛や刺激と言った生命の力だけ。生は個々の表われ。集団の生や抽象的な生など存在しない。
現在の生への接し方は次第に機械的になってきている。自分たちも商品に変わっていく。モノとしての人間、つまりその共有財産、集団行動の統計的原則に興味を持ち生きている個人には興味をもたない。これはすべて官僚制的手法の役割の高まりと軌を一にしている。」

官僚的産業主義に対してヒューマニズムの産業主義をどう作っていくかという問いがありました。
この本が書かれてから随分経ちますがこの問いの答えが出ているだろうかと思ったりしました。
のように管理されている。

個人と社会のナルシシズム、近親相姦的な結びつき、自由、決定論、二者択一論と続きます。

本の終わりのまとめが分かりやすかったので記します。

(1)悪は人間に独特の現象である。
善は私たちの存在を自分たちの本質へと限りなく近づけるものであり悪は存在と本質をどんどん引き離していくもの。
(2)悪の程度は後退の程度でもある。
最大の悪は、生と反対に向かおうとすること。死の愛好家、近親相姦的共生の衝動、自己犠牲。
(3)より程度の低い悪もある。
愛情の欠如、勇気の欠如、理性の欠如、興味の欠如
(4)人間は後退も前進もする。
善でもあり悪でもあるという傾向を持つ。両方のバランスがある程度とれていれば選ぶ自由を持つ。ただし自覚をもち努力をすればの話。
(5)人間は自分の行動を選ぶ自由がある限りにおいてそれに対する責任がある。
悪は人間的であり退行と人間性の喪失を起こす可能性があるからこそ誰のなかにも存在する。それを自覚するほど他人を裁く立場に立てなくなる。
(6)人の心はかたくなになりうる。

「私たちは善を選ぶために自覚しなければならない。しかし他人の嘆きに、他人の温かい視線に、鳥の歌に、芝の青さに心を動かされる力を失えばどんな自覚があっても役には立たないだろう。」

もう一つあえて書いておきたいことがあります。
仏教の教えにある「目覚めた人」とは自らのナルシシズムを克服し完全に自覚することが出来た人のことだそうです。
このナルシシズムの克服は聖書にもあるそうです。
その言葉が「汝自身のように汝の隣人を愛せ」「汝の敵を愛せ」。ナルシシズムの克服の教えだったとは知りませんでした。
仏教にもキリスト教にも同じ教えがあることにあたらめて感動を覚えます。

人間が完全に成熟するのは個人及び集団のナルシシズムから完全に脱却できたときだろうとも書いてありました。
この本、もう少し読みこみたいです。



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