音を選ぶということ

SonyのMDR-7506を入手した。
モニターヘッドフォンである。
ヘッドフォンにはいくつかタイプがあるのだけれど、私はモニター用のものが好きだ。
フラットな音のほうが、身体に負担がかからないような気がするからである。

もちろん、リスニング用のそれぞれの好みに合わせた音も良い。
テンションがぐわっと上がる感じ。
でも、それはそれで持ち上がった感情の落としどころを見つけなければならないので疲れる。
ゆえに、モニター用のものを選ぶ。

スピーカーも同じである。
少し前まで10年ほどADAMというメーカーのものを使っていた。
譲り受けたものではあったが、とてもいいスピーカーだった。
最近、ハードオフに売りに行ってしまったのだが、知る人ぞ知る的な側面を持った名前なので、音響マニアらしい若者二人が裏側から出てきて楽しそうに視聴をしていた。

少し年上の店員さんたちに思わず
「スピーカーが好きなんですか」
と声をかけ、少しの時間、会話をした。

「いろんな音をいろんな形で聴くことはお勉強になるから、オーバーホールの時間だけでも楽しむようあの子たちに伝えてください」

そんなおせっかいな言葉を残して立ち去った。
片方の店員さんはきょとんとした顔をしていた気がする。

私は19歳の時から一年間、楽器屋でバイトをしていた。
そこは渋谷の大きなチェーン店だったから、新品中古問わず様々な機材が毎日代わる代わる来た。
そして、視聴をさせてもらった。
時々、楽器メーカーの営業さんが来て、売り込みもしていた。

私は器用貧乏で広く浅くの知識で生きているから、あまり詳しくはならなかった。
それでも、どの音がどういう機材から聞こえるのか、このくらいの値段を出さなければ遠くの音が聞こえない…といった、人生が少しだけ楽しくなる、そして自分の音楽にも結び付く知恵を得ることができた。

中には、スピーカーやヘッドフォンだけではなく、電源タップやケーブルにまで凝りだしてたくさんお金を使っていた先輩もいた。
おかげで、普段店に入らないような高級品の音を覚えることができた。

私の部屋のスピーカーはアダムに代わり、数年前テレビ用に手に入れたRollandのBluetoothがつなげるタイプのものになっている。

ADAMを売る時は少しだけ渋ってしまったのだが、
「代わりに少しいいヘッドフォンを買おう」
と決意し、買取価格より少し安い冒頭のものをあつらえた次第。

何度か書いてはいるが、かつて住んでいた西荻窪の部屋には、同居人が先に住んでいたため、自分で選んで買ったものというのは実は少なかった。
元々、私はお金を大きく家具などに使うことができない(その割には食や経験に使ってしまうのだが)性格なので、その人が去ってからも、なかなか捨てる・買い替えるということができないでいた。
年月が経つにつれ、処分して、自分のお金で好きなものを思い切って買ったときなどは、お祓いしてもらったときのような晴れやかな気持ちになったものだ。

件のADAMのスピーカーを売った後、
「私は自分で何かを選べるようになったんだなあ」
と思った。

誰かから
「これはとてもよいものだ」
と譲り受けることはとてもありがたいことなのだけれど、自分のものではない執着がいつの間にか引っ付いていたようで、何かの役目も持っていたようだ。
次の人が、そういうものをすべてない状態で、ADAMの音を楽しんでくれるといいな。

加齢によって、きっと選ぶ音も変わる。
でも、いつでも等身大で、自分のサイズに合ったもので周囲を彩っていきたいものである。

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