みんなちがってみんないい=相対主義、ではない!

相対主義に関して、書籍やネット記事やらユーチューブなどで、

「みんなちがってみんないい」という金子みすゞさんの詩の一部分が相対主義を示す言葉であるかのように説明されているのだが、これではあまりにもみすゞさんに失礼なのではないだろうか・・・?

「みんなちがってみんないい」の詩は(正確には「私と小鳥と鈴と」)、それぞれできることとできないことがある。それぞれができることをお互い尊重するというか、それらを素晴らしいと感じる、といったものだと思う。皆の存在を肯定できる気持ちというか。

それを「相対主義」対「絶対主義」という無意味な議論の(片方の)代弁者というかスローガンというかスケープゴートというか、そういった祭り上げに対して、非常に憤りを感じる。

「相対主義」対「絶対主義」は哲学お得意の100か0思考の一つ。実際にこの世界で起こっている議論は、特定の課題に関して同意できるかできないのか、という話であると思う。それを「相対主義」やら「絶対主義」やらの無意味な”抽象的概念”を持ち出して、論点をずらしてしまっているだけなのだ。

哲学はいつも私をいらいらさせる。


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