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POST/PHOTOLOGY #0005/石塚元太良《Texture_Glacier》 ×POST/PHOTOLOGY by 超域Podcast 北桂樹

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石塚元太良

石塚元太良は2004年に日本写真家協会新人賞を受賞し、2010年度の文化庁在外芸術家派遣に選ばれて渡米、2021年度にはフィンランドへと派遣されている。デジタルカメラ、スマートフォンが普及し尽くした現在でも、フィルムを使う大判カメラを利用する極めてクラシックなスタイルで辺境の地へ足を運びイメージを鑑賞者へと届ける。ドキュメンタリー要素が大きいため、僕の研究とは相性の悪い作品を制作するアーティストだなということが当初石塚作品への思いであった。

しかし、2021年12月も年の瀬に迫った時期、手伝わせてもらっているKOTARO NUKAGAで2022年2月から行われる展覧会のため打ち合わせが行われ、展覧会のテキストを書くこととなった。

石塚元太良「Ondulatoire」@KOTARO NUKAGA

コンテンポラリーアートにおける写真表現となるには、写真という領域に対し問題を投げかけ、メディアの領域そのものを押し広げる表現、つまり「メディアの自己言及性」が非常に重要なポイントとなると考えている。決定的瞬間や真実性が重要なわけではなく、「作家の苦労」みたいなものは尚更にコンテンポラリーアートの価値生成においてはそれそのものがよほどの価値でない限りは重要さを作り出すことはない。そのあたりは毎年3月に行われている香港のアートフェアを梯子、比較しながら見てきた中で理解した肌感覚であった。人の苦労につく価格は600万円(Art Centralの価格帯の上限)あたりが限度なのだ。じゃあ、何が価値になるのか?そのことに自覚的なアーティストたちがコンテンポラリーアートにおいて、写真というものを表現領域として提示しているのだといえる。

その意味で、石塚さんの作品は僕の考えるコンテンポラリーアートとしての写真表現とは程遠いものであった。それがダメなことというのではなく、いい写真が必ずしもいいアートではないということだったのだが、すり合わせをしながら、2022年の展覧会はル・コルビュジエ(Le Corbusier, 1887-1965)が設計したリヨンのラ・トゥーレット修道院の開口部をデザインした弟子のヤニス・クセナキス(Jannis Xenakis, 1922-2001)と作った開口部をモチーフとした作品を提示したこの展覧会のコンセプトを下記のように提示した。

コンダクター石塚元太良によるシンフォニー「オンデュラトワール」のコンサートである。建築、音楽、写真という3つの領域を思考の中で再編し、「音楽を観て、写真を聴く」空間

KOTARO NUKAGA公式サイトより
https://kotaronukaga.com/exhibition/ondulatoire/

実際に展覧会は非常に上手くいった。持ち得たすべての知識を出し惜しみなく話をしたとはいえ、まだ何者でもない無礼な僕の意見を石塚さんはよくよく怒りもせずに聞いてくれたと思う。

その展覧会ではじめて石塚さんが提示した作品のひとつが今回紹介する「Texture」シリーズであった。当初は、A3程度サイズ(大四切?小半切?)の写真を2枚、それぞれを1cm以下の幅で均等に断裁し、それを「織る」ことによって1枚の平面を作るということをして、平で置けるようにした展示ケースの中に展示をしたのだった。

石塚元太良《Texture_Ondulatoire #003》@KTOARO NUKAGA

作品そのものは、可能性は感じつつも何かのパーツがまだ足りていないという印象が拭いきれないものであった。しかし、作品につけられた「Texture」という作品名(正式には《Texture_Ondulatoire》)はとてもいいと思ったのだった。写真は「選択」の芸術であるため編集によって読まれ方は変わる。また、この展覧会において、テーマとしていた「音楽」というもの、さらには「テキスト(text)」の語源がラテン語の「織る(texere)」であること。世界各国にある様々な文明は植物を編み、織ることで籠や布など文化的なものを作ってきたことなどこの「Texture」という言葉に含まれる多層なコンテクスト、そして極めて人間のプリミティブな行為であることは非常に豊かなものだと思ったのだ。これはアーティストの根幹をなすコンセプトになり得るとその時に直感を持った。

台北當代 KOTARO NUKAGAブース

今年の5月、台北で行われた台北當代に足を運んだ。0泊2日の強行スケジュールでプライベートだったのだが、手伝わせてもらっているKOTARO NUKAGAのブースでかなりの長い時間を過ごした。その理由のひとつは、全体的にアートフェアのパワーがなくなっている感じで見所がそれほどなかったこと。特に現代写真に関する作品は驚くようなものは展示されていなかった。そんな中ではあるが、石塚作品はこのアートフェアの中で一際すばらしい作品として提示されていた。

インスタレーションビュー
@台北當代 KOTARO NUKAGAブース 筆者撮影

今回は石塚さんの代表的なモチーフであるアラスカの「氷河」のイメージを断裁し、織ったものであった。作品のサイズがかなり大きくなっており、額装されて壁に掛けられたものであった。これがかなり良かった。大きくなったこと、向き合い方が正対したことがよかったのかもしれない。

石塚元太良《Texture_Glacier》
@台北當代 筆者撮影

隣に通常のプリントで仕上げられた氷河の作品があることも多少の手助けにはなるのだが、提示された「Texture」の2点は鑑賞者であるわたしたちの世界への解像度と写真というメディアについて批評性をもった形で問いを投げかけてくるようであった。

石塚元太良《Texture_Glacier》
@台北當代 筆者撮影
石塚元太良《Texture_Glacier》
@台北當代 筆者撮影

少し距離をおいて見ればそれが氷河のイメージの作品であることは認識できる。しかし至近距離でみるとこれらは編まれた印画紙のグリッドが強調され、突如としてイメージである「氷河」に対しては解像度が低くなる。2枚の印画紙のずれた重なり合いの見え方はトーマス・ルフの「jpeg」のシリーズやゲルハルト・リヒターの「Photo Painting」、抽象絵画のような効果を獲得している。今回獲得したサイズは鑑賞者に作品との「レンジ」、つまり焦点距離の幅を持たせることに成功している。これによって石塚作品のテーマは単に秘境のドキュメントではなく、「イメージとわたしたち」との距離と解像度の問題へと置き換えられる。最近よくゼミ仲間とも話すのだが、この「世界への解像度」というのはとても興味深い。

これが単に氷河の美しい写真であったのなら、世界中のありとあらゆるものが写真化された今、現地に行かなくてもgoogleで画像検索によって「それらしい画像」は山ほど出てくるというのが現代である。石塚さんはこのイメージを撮影するために実際にアラスカに足をはこんでいる。そして、そこでわざわざ大判カメラ撮影、暗室作業にてプリントした銀塩写真を断裁し、「織って」みせている。織られた写真のイメージはデータ量の小さい、解像度の悪いデジタル写真のようだ。つまり、石塚は無限の階調で繋がった現実世界からのイメージをピクセルで構築されたデジタルの網目模様へと変換をし、デジタル写真を「模倣」してみせている。わたしたちは写真のニューメディア化、インターネットの検索やSNSでの共有という経験を経て、見たいと思えば。世界の隅々までを見られる時代に生きている。実際には見たことのない風景を見てきたかのように思えてしまう。石塚さんの作品はわたしたちが、世界を見ているつもりになっているものがピクセルによって再現された網目なのだということを仄めかす。つまり、実際には自分自身で合わせた解像度で見ていない世界を見ているという事実を突きつけてくるのだ。極めて遠い世界であっても何でも答えらしきものがしれてしまう時代、この作品を通して、わたしたちはすぐ目の前の手元を見るマクロレンズとやたらと遠くしか見えない望遠レンズだけをもった歪な視界になっているという事実に気が付かされる。実際の人間の視界は50mm(35mm換算)前後と言われる。その焦点距離で解像する世界は見えなくなっている。中間距離が見えない問題は様々な問題を孕む。

「ピントが合った時にはじめて手触りが生まれる」

超域Podcast #070「つながるということ」後編【超域Podcast】より

これはゼミ仲間と話している超域Podcastという別番組で話をしたことだ。世界に対面したとき、ずれたピントを合わせ続けること、現代における世界への手触りを獲得する視界の獲得への自覚。そのあたりがこの作品が伝える重要なポイントになっているように思える。

石塚さんが見せているものは「氷河」ではなく、世界の見方なのだ。

まとめ 

  • アナログプロセスという時代遅れの技法を用いて、デジタルを通したわたしたちと世界との視覚的な相互関係を批評的に提示する。見せているものは「氷河」ではなく、世界の見方。

  • 織るという工程が作り出す解像度の低下を逆の発想とし、実際にピントグラスを通して世界にピントを合わせていることが強化されている。

  • 「織る」「編む」という人間のプリミティブな行為と写真という近代以降の技術とが、石塚の思考によって結びつけられていること

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