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「50歳で100km走る!」をやってみたら、人生だいたい何とかなった。

プロトレイルランナー鏑木毅さんが書いた「50歳で100km走る!」という本に書いてあることを、50歳で実際にやってみたら、本当に100km走れました、というお話です。


「50歳で100km走る!」って?

50歳って、同じ歳で偉くなった他人と比べて悲しくなったり、年金や新NISAが気になり、DXやらリスキリングやら、何か始めないとリストラされそうとか、人間ドックの結果に一喜一憂し、家庭も諸々何かとあったり等々、モヤモヤの種は尽きません。そんな50歳への応援歌か。帯のコピーは「生き物としての力を取り戻せ!」。装丁のビジュアルも、なんだか強烈です。

と、ここまで書いてnoteのAIに「記事のアイディアを提案」をお願いしたら、こんなの出て来ました。


- 「50歳で100km走る!」という本に触発された人々が、同じような挑戦をするためのトレーニングプログラムやサポートグループを立ち上げることで、地域の健康促進に役立つことができる。
- 50歳以上の人々に向けた100kmランニングイベントを開催し、参加者が自身の可能性に挑戦する機会を提供することで、年齢に関係なく健康やアクティブなライフスタイルを楽しむことができる。
- 50歳になってからの100kmランニングの挑戦が、身体的な限界を超える力強さや心の成長を象徴しているという点に焦点を当て、それを「人間の可能性の拡大」というテーマで伝えることができる。
- 50歳を迎える前に健康や年金についてモヤモヤしている人々に対して、「50歳で100km走る!」のお話を通じて、運動によるストレスの解消や自信の向上、健康への意識の変化を促すことができる。
- 50歳を迎える前に「50歳で100km走る!」のお話を知ることで、未来の自分に向けたメンタルの準備や目標設定ができるような情報やツールを提供することができる。


凄い!見事に結論を先読み。お伝えしたいのは、だいたいこんなことですが、たぶん10分もかからないので、どうかお付き合い下さい。

100km走ることは誰でもできる。

鏑木さんを知ったのは6年ぐらい前。日経新聞のコラム「今日も走ろう」で、自分と同世代の鏑木さんが老化に抗いながら現役で走り続ける日々を書き綴っていました。
当時は離婚して独りスマホ眺めて株で損して酒飲んで体脂肪溜め込んで気が付けば50歳。これを読んで少しは鏑木さんを見習おうと試しに走ったら100mで息切れ。それでも何とかポケGOやりながら、歩く時々走る、を始めました。
たまたま会社の同僚から館山若潮マラソンへお誘いがあり、本番まであと6ヶ月、近所の川沿い一周7kmで独り朝練始めてみたら意外に走れてしまい、下見ついでに51歳の誕生日に独りでコース走ってみたら5時間51分34秒。

「人間はもともと長く走れる動物なのです。」(まえがき 6ページ)

50歳はまだ間に合う

50歳過ぎて老眼、腹出て腰痛、階段で息切れ、夜中におしっこで目が覚める、これが老いると言うこと。それでも翌年3月の館山若潮マラソンは3時間47分04秒、51歳初マラソンでサブ4。人生何事もやって見ないと分からないです。70kmレースも7時間41分27秒で完走、100kmが見えてきました。
鏑木さんのコラムには58歳でメジャーな100mile トレイルランレースで優勝し「時を止めた男」と呼ばれたイタリア人の話がありました。日本にも50歳過ぎから走り始めて80歳過ぎた今でも100mileトレイル完走続ける爺さんがいたり。50歳の今から始めても遅く無いと知りました。
また、「ビアラン」文化を知ったのもこの頃。一緒に楽しく走って飲む。気になるカロリーは走った分で相殺。50歳でランに嵌まり始めました。

「50代はまだまだ強くなる余地は十分ある」(1章 19ページ)

「老化」を知る

鏑木さんの影響でトレイルランにも「足」を染め、鏑木さんプロデュースの26kmレースに参加。登山なら1日がかりの距離を半日で駆け抜ける。老化しているはずの50歳が、20歳の頃の自分より速く走ってます。いわゆる「鏑木本」も何冊か読んで、50歳で重要な速筋の重要性を意識しました。昔スキーやってたお陰か下りは得意なので、トレイルの下りはびょんびょん跳ねて、楽しい速筋強化の時間に。週末毎に山通いを続け、それが奏功。12月のさいたま国際マラソンは3時間20分08秒でした。

「50歳を過ぎてから長距離が強くなるためには「速筋」を鍛えるべき」(2章 43ページ)

100km走る為の「3年計画」

100kmは、3年あれば何とかなるようです。
ランニングに目覚めて1年目の2019年4月、地元のビアラン仲間に酔った勢いで100mileトレイルやります宣言。あ~あ、やっちゃった、ロードの100kmすらまだなのに。
と言うことで、この話のタイトルは「50歳でトレイルを100mile走る」に変更。
そして再び酔った勢いで、地元ビアラン仲間と100kmに挑戦。12月の早朝に前橋から走り出しました。長距離は、ゆっくりで良い、歩いても良い。途中で食べて飲んで補給して、とにかく長い時間「動き続ける」意識が大切。12月の冷たい雨が降る旧中山道で、激しい足腰の痛みに耐える苦行の16時間。途中から合流した仲間に励まされ、ビールが待つ板橋に辿り着きました。

「100㎞以上のランになると、むしろ「歩き」をどう上手に入れていくかというのも戦略的に重要な要素になります。」(3章 58ページ)

「フルマラソンを5時間で走れた人は、100㎞はまずは16〜17時間動き続けられる身体を目指す」(3章 59ページ)

100kmへの身体づくり

100km ロードは16時間で走れましたが、その代償は高くつきました。足底腱膜炎、鵞足炎、シンスプリント、坐骨神経痛。年末年始を整骨院の施術台と室内バイクの上で過ごすことに。100mile走るトレイルランナーって、本当に凄い。どうすればケガせず100mile 走れるのか、えーっと、鏑木本には何で書いてあったかな。

「50歳から100㎞を目指すにあたり、この「中抜け理論」をベースにした2本立てのトレーニングを積んでいくことが、故障のリスクを抑えながら100㎞走れる身体を目指す上で重要 … ウォーキングで構いません。「距離ではなく時間」で考える」(4章 63ページ)

要は地道にやれってことのようです。低強度トレーニングとして、月に1回6時間走、2日連続長距離ラン。

「低強度トレーニングは、… 急にダルくなることもあります … 実はこのタイミングは、体脂肪が優先して燃焼され始めたことの体感だと考えてください。」(4章 65ページ)

あっ、脂肪か燃えてる、って分かるようになったら楽しいですね。そのタイミングで補給して「みるみる回復を経験」も、RPGの「やくそう」みたいで面白い。その一方、ただ長くゆっくりだけじゃなく、老化で失った「速筋」を坂道ダッシュで復活させる。他にはLT トレーニングや、自転車やクロカンスキー等のクロストレーニング。怪我して走れない今は、せっせと室内バイクを漕ぎます。

100km目指すトレーニング

やっぱり筋トレは避けては通れないみたいです。体幹、腸腰筋、階段トレ、ランジ、縄跳び、ジャンプ系、バウンディング。頑張って一通りやりました。週に一回は坂ダッシュやる、とか。それでも筋トレはひとりじゃ続かないので、ビアラン仲間と曜日を決めて、夜の9時からZoom 筋トレ。
ランと筋トレを続けて、身体が変わっていくのが面白くなって来ました。特にお腹。カイシャのお仕事では、自分一人じゃ何も出来ないし、思い通りにいった試しも無い。それに比べてカラダは素直に言うこと聞いてくれます。
怪我が治って2020年、コロナ禍で大会どころか外で走るのも憚られる中、増えていく速筋を夢想して、Zoom 筋トレ続けながら、人目を避けて山を走り回りました。

老化に負けない食事術

私はビールが好きです。走る→風呂(温泉)→ビール。このルーティーンが出来なくなったら、この世に未練は有りません。鏑木さんの奨める「低糖質、抗酸化」に努めますが、ビールだけは許して下さい。
宮城生まれでコメのメシは大好き、ラーメンパスタにうどんソバ、ナン食べ放題、全部好きですが、ビールの為に我慢しました。野菜はなるべく生で。せっかくの栄養素や酵素が加熱で逃げないように。たんぱく質は1日の摂取量を意識して、魚と豆腐と納豆で、そして宮城の笹かまぼこ。おやつはナッツとプロテインバー。難しいのは抗酸化。独り身の食生活は乱れがちだし、抗酸化食品のサケ、桜エビ、イクラ、毛ガニ、キンメダイって、なんか豪華なんですけど。ここはサプリに頼ります。
2020年は50km前後のトレイルレース4本。コロナ禍最中の開催で有り難い。締めは去年に続き地元ビアラン仲間と板橋区境35kmを3周100km走って忘年会。だんだん距離感覚が狂って来ました。

100kmの為のリカバリー

ランニングを始めて4年目、月平均400kmになったころ、「走ってないと落ち着かない」状態で、軽い筋肉痛が常態化していました。レース等で激しく走った50歳の筋肉痛は、2日後ぐらいにやって来ます。ちゃんとアイシング、ストレッチ、マッサージをやらないといけないのに、つい、走→湯→飲のルーティーンは止められず、ケアが手抜きになりました。
そんな中で分かったのは、アクティブレストの効果。言葉としては知っていましたが、試しに、月曜日は休むか「疲労抜き」で走る、と決めるようにしたら、週末に向けての体調の上がり方がスムーズに行ったような気がしました。

「休息は最高レベルのトレーニングに匹敵する」(7章 121ページ)

2021年もレースは開催自粛気味。そんな中でも仲間と6月にハセツネのコースを70km、秋のレースは80km、そして節目の100kmレースは23時間23分04秒で完走。40km 地点で新品のシューズが破けたり、50km過ぎて気持ち悪くてエイドで何も食べられなかったり。それでも「走りながら(動きながら)疲労を取れる身体(7章 120ページ)」が出来ていて、何とか切り抜けられたのだと思います。

そして、トレイルランのススメ

50歳でランニングを始めた頃、山を走るなんてあり得ないと思っていましたが、酔った勢いの100mile 宣言からちょうど3年、2022年4月、鏑木さんが始めたULTRA-TRAIL Mt.FUJI は、コロナ禍を経て3年振りに開催され、そのグループBのスタートに55歳で立ちました。

山中湖のエイドを出て二度目の夜を迎え、130km 地点の石割山への登りで幻覚が見え始めた頃、脚は止まり、吐き気で水も飲めず、遂に座り込みました。周りは同じようなランナーで死屍累々の地獄図絵。
鏑木さんは胃腸が丈夫だそうで、長距離ランで多くのランナーが経験する胃腸トラブル対策については、「鏑木本」では触れていません。こればかりは自分で何とかするしか無い。ラムネを無理やり流し込み、10分ほど横になり、スマホでビアラン仲間とチャットしながら気を紛らわし、じっと回復を待ちました。
幸い、気持ち悪さは落ち着いて、ノロノロ登り続けると、遠くからカウベルと声援。その声に奮い立たされて、ようやく石割山へ。下った先の二十曲りエイドは、まるで野戦病院。この先はラスボス杓子山の急登。「長距離は、ゆっくりで良い、歩いても良い。途中で食べて飲んで補給して、とにかく長い時間動き続ける」。長い休憩は避けて、またノロノロ歩き出しました。
二度目の夜が明け、あと4km。富士Qハイランドを望む天上山で、モタモタと着替えて荷物整理。制限時間まであと2時間ぐらい。暫くぼーっとしながら「もったいない、もう終わりかぁ」。
初めての100mileは、41時間15分07秒でした。

AIが予測しなかった結論

冒頭でAIが結論を書いてくれたので、50歳で100km走ることの「メリット」は省略出来ました。
でも、私が50歳で100km、そして100mile を走って得られた本当に大事なものは、走って飲める仲間と巡り会えたこと。まさか、50歳で100km走ったら100人以上、いろんな世代で、一気に友達が増えるなんて、思ってもいませんでした。恐らく、私と同世代で同じように走り始めたひとは、別に100kmじゃなくても、似たような経験をしているんじゃないかなと思います。
カイシャがつまらないとか、年金や老後とか、もしかしたら最期は孤独死かもとか、そんなつまらない悩みはどうでも良くなり、とにかく今は走って飲んでを仲間と楽しみたいと思える50歳になりました。

50歳で100mile走れば、人生、だいたい、何とかなった。

最後までお付き合い頂き、有り難うございました。

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