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まともなふりをして生きる

「この世界ってなんなんだろう?」という話しをしていた。
すると彼は、半分怒ったようになって「見えないものなんてないに決まってんだろ。地球という上にたまたま偶然生まれてきた人間が俺らで、ほんの数十年生きて死んでいくだけのこと。こうやって生きていることになんて、なんの意味もないから」と言ったので驚いた。
私も最初は彼と同じように、このように常識的言われていることが正解なんだと思ったりもしたこともあったが、今では「そんなことあり得ない」と思っていた。だから、まったく疑問なくこう言い切っていることに驚いたし、ちょっと怖かった。
こういう考えが土台にあると、「バレなかったらなにやってもいい」とか「ヘタして捕まったらそこで終わり」とか「どうにもならんかったらシんだらいい」とか、そういうことを言い出しそうな気がして、なんか怖かったのだ。

海外に行った時に夕方の安宿なんかで知り合った異国の人と話していて、そこで聞かれたことがあって「あなたの宗教はなんですか?」と言うもの。
そこで若き日の私はとっさに「私には宗教はありません」とか返したらキョトンとされてしまった。すると少しの間があってから周りにいた異国の人たちが騒ぎ出した。「宗教がないなんてあるの?」とか「日本にはそういう人が多いんだよ」とか「日本人はそんな風には見えなかった」とか騒ぎになった。
少し気持ちを持ち直した相手は確認するように「宗教がないってことは、あなたは何に基づいて行動しているの?」と言ってきた。「私たちには宗教があって、やってはいけないこと、生きる方向みたいのがあるのだけれど、そういうのはあなたには何もないってことなの?」と言われる。すぐに私が返せなくなっていると「だったら何をしたっていいってこと?、見つからなくて捕まらなかったら盗んだりコロしたり、なにしてもいいってことなの?」と真っすぐな目で言ってきた。
しまったと思って、改めて「私は仏教(ブッティスト)です」と答えた。それで一旦その場は収まったようだった。

私は偶然に生きているなんてことはないと思っている。偶然に人と人が出会うとか、偶然ものごとが起きるなんてことはあり得ないと思っている。
「地球の上で生きているということを、あたかも当然のように思わせたい」のはわかるし、基本的には「時間が過去から未来に流れているように思わせたい」と思わせたい方針なのはわかるが、私は「そんなことはあり得ない」と思っている。
「この一つの世界をみんなで共有している」なんてことに対しても疑問で、「それぞれがそれぞれの世界を生きていて、それが部分的に重なって関わり合っている」みたいに思えたりする。
「誰にも見られていなければなにをしたっていい」という考えも真逆で、周りの誰かに見られているかどうかよりも、一番中心の私という存在が見ている前で全部行動しているので全てがバレているし、隠そうにも隠しようがないのではないかと思っている。

そして、そんなことをまわりの人に言ったりすると「コイツ頭がおかしいぞっ」って思われるだろうから、気をつけて言わないようにしている。

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