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イノベーションを社会に還元。「多言語対応AIコンシェルジュ」で世界を目指す。【前編】

経営者JPが運営する志高き経営者・経営幹部・次世代リーダーが集う会員制プラットフォームKEIEISHA TERRACE。「イマ、ココ、注目社長!」では、各業界でご活躍中!いま注目の社長に、事業、経営、経営者とは、理想の幹部像などについてズバリお聞きしています。


Kotozna株式会社を率いる後藤玄利さんは、23年前、日本のEC市場の黎明期に「ケンコーコム」を創設したしました。20年間ケンコーコムを率い、2004年には上場を果たしましたが、2014年に勇退。海外留学を経て2016年にKotoznaの前身であるジャクール株式会社を設立しました。会社は変わっても「イノベーションの兆候をキャッチして新しいサービスをつくり、社会に還元する」という後藤さんのスタイルは一貫しています。この次は、どんなサービスを生み出そうとしているのでしょうか。

(聞き手/井上 和幸)

後藤 玄利氏 Kotozna株式会社 代表取締役

バブル崩壊後の日本を元気にするためにケンコーコムを創業

ーーケンコーコムを退任なさったときから、2度目の起業を考えていらしたんですか?

後藤 学生時代から一貫して「新しい技術で新しい価値を創造して社会に貢献したい」という思いは変わりません。2014年にケンコーコムを退任した時点ではまだ40歳代でしたから、例えば投資側に回るようなことは考えていませんでした。いつかまた、何か事業を興したいという気持ちはずっとありました。

私が大学を卒業したのは1989年、平成元年で、ちょうどバブル経済がピークに達したタイミングです。社会に出た頃にバブルがはじけ、日本経済が下降線に突入する中で仕事を始めて「このままではいけない」と感じました。それまで日本を支えてきた大企業の仕組みは構造的な疲労を起こしていると思いました。

「これからは、小さな会社が小回り良く、新しい価値をつくっていくしかない」と考えて、ダイレクトメールによる健康食品の通販会社を起業したのが1994年でした。当時はまだ、「スタートアップ」はもちろん「ベンチャー」という言葉さえほとんどなくて、「脱サラ」と呼んでいましたけれども。

ーーそして、2000年にケンコーコムをつくられたのですね。

後藤 当時、日本ではまだそれほどインターネットは普及していませんでしたが、アメリカではeコマースが社会を変革する勢いを持っていました。「これを使って日本を元気にしたい」と思って始めたのがケンコーコムです。
ケンコーコムをつくったのは、ちょうどGoogleが登場する直前でした。私はスタンフォード大学に提出されていた論文を読んで、Googleの構造を解析し、それに最適化する形で新しいeコマースを構築したわけです。

ーーいわゆるSEOですか?

後藤 まだSEOなどという概念そのものがない時代です。その頃の日本のeコマースはと言えば、集客の窓口はYahoo!だけ。しかし...

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