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歌舞伎の楽しみ 〜実は、、〜

「実は、、」は「やつし」の世界から始まります。
それが徐々に変身してゆき、時代世話の「もどり」となって黙阿弥の頃になると因果の糸に操られた世話物の「実は」になってゆきます。
 順を追っていきましょう。
歌舞伎が華やかな江戸中期から後半になると、「実は」は「やつし」を指している意味になっています。
「やつし」というのは仮の姿のことで、本来の姿、元の姿をチラッと変えて見せる演出を言います。そこに「実は、、」の論理が入り込んでくるのです。

 例を挙げましょう。
ご存知の「曽我物語」。多くの歌舞伎の演目に取り入れられています。
河津三郎祐泰という鎌倉武将が所領の争いから同族の工藤左衛門祐経に暗殺されてしまいます。遺児の一万・箱王兄弟は当時5歳と3歳の幼児ながら父の仇を打つことを誓い、貧しい暮らしに耐えて18年、その間に母満江は二人を連れて曽我太郎祐信と再婚、二人は長じて元服後、それぞれ曽我十郎、五郎と名乗ります。
その後、臥薪嘗胆の末、兄弟は力を合わせ、富士の裾野の牧狩りの機会に見事父の仇工藤祐経を討って大願成就を果たします。
兄弟は18年の長きにわたり、今をときめく大名工藤を付け狙うため、名を変え、姿をやつして苦難の日々を送っていたのです。
これが「やつし」の発想なんです。
いわば、「やつし」とは仇討ちの機会を待っていた間の二人の仮の姿でもあるのです。
この場合に限らず、仮の姿で苦難の人生を送る間に起こる事件は極めて劇的なものがあるのが常のことです。
そこで歌舞伎では、主人公が「やつし」ている間の事件を舞台に載せるケースが見られ、最後には元の姿に戻る時の意外性の驚き、喜び、爽快感を観客と共有するというパターンが多いのです。
主人公が仮の姿である間に起こる事件が描かれた後、本来の姿に「もどる」という経過を辿る芝居では、その人物が二重性を持つことから、「実は」というキーワードが出てきて、それが重要になってくるのです。
もっと具体的な例をあげてみましょう、、、。
 歌舞伎十八番の代表作「助六」です。

助六の花道の出端

ご存知の通り「助六 」は「曽我物語」を元にしています。
 十郎・五郎の養父曽我祐信は以前から源家の重宝・友切丸という名刀を預かっていたのですがこれを紛失、責任を問われ切腹しなければならない。そのため名刀探索のため100日間の日延を願っています。
曽我五郎は養父の難儀を救うため、また父の敵工藤祐経を討つ時には友切丸を使えとの箱根権現の霊夢を受け、そのため何としても友切丸を探す必要があったのです。
五郎は花川戸助六と名を変え、侠客に身をやつして、毎日、人出の多い吉原へ出入り、全盛の花魁揚巻に馴染んで武士と見れば喧嘩をふっかけ刀を抜かせるという暴挙を繰り返していたのです。

助六と友切丸を持つ髭の意休 錦絵

兄の十郎も、白酒売りの新兵衛と名乗り、町人に身をやつして本願成就に時節を待っているというシチュエーションです。
とど、助六は揚巻に言い寄る武士の髭の意休の持つ刀が友切丸と睨み、わざと悪態をついて喧嘩を売り、刀を抜かせ本物と確かめるのです。
その結果、意休の吉原からの帰りを待ち伏せ、友切丸を奪い返すとなります。
 もちろん、史実だった鎌倉時代の曽我兄弟のころ、むろん吉原の遊郭もなかったし、煙草の輸入以前の話なので「キセルの雨が降る」なんてありえないことです。
助六実は曽我五郎という設定、史実とは500年もの差がありますが、助六のキャラクターは江戸っ子の理想とする二枚目の色男なんです。時代錯誤も甚だしいんですが、江戸の劇界で創造された「助六」は曽我五郎の「見立て」、「やつし」と考えればいいのです。
歌舞伎のドラマの構成にはそんな性格があると考えてください。
前にも触れましたが「助六」というドラマの時代設定には五世紀もの差があります。
それでも当時の観客が違和感を感じなかったのには訳があります。
江戸の侠客の世界の背後には鎌倉武士の世界との共通点があり、それを合体化して一人の男の本質が浮かび上がってくるのです。親の仇を討つ五郎、強い者に痛烈な悪態をつく助六、その人の俠気、そこに江戸っ子の理想とする男の本質が見られるのです。
五郎と助六、その共通点は向こう気の強い何者も恐れない男の理念があるのです。江戸っ子はそれを理想としました。

この頃の「実は」というのは、、、「やつし」の世界でもあるのです。 もう少し例をあげます。
舞踊劇「関の扉」の関兵衛

関の扉  舞台写真

   関兵衛は墨染に見顕わされると「世をしのぶ仮の名、実は天下を狙う大伴
   黒主」と名乗ります。「実は」が分かる「ぶっかえり」という歌舞伎の衣
   裳の演出で変身して本性を表す、、代表的な例です。

しかし「実は」の意味も次第に拡大し、次のようなジャンルも「実は」の世界に入るようになります。

「菅原伝授手習鑑・寺子屋」の松王丸
   藤原畤平方の首実検で、春藤玄蕃とともに寺子屋に来て役目を終え、一旦
   引き上げたのち、再び寺子屋に来た松王丸「先刻の首は偽首と知りつつ本
   物と偽証、身替りの首は、実は、自分の子」と言って、本心を偽って敵方
   に身を寄せていたと語ります。
   悪と見せて実は善、「もどり」という歌舞伎の技法の有名な例です。
「熊谷陣屋」の熊谷次郎直実
   義経から平家の公達・平敦盛を密かに助けよとの命令を受け、敵陣で敦盛
   を助け、敦盛と同年の我が子小次郎の首を身替りに討つのです。義経の面
   前での首実検、実は、と初めて我が子を身替りにした真相を告白します。
   「やつし」とは言えないですが、本心を隠し、我が子を犠牲にする行為は
   松王丸と共通といえます。

「やつし」は、その期間が長いほど、また、身に受ける苦難が甚しければ甚だしいほど「実は」が解明した時の姿は明るく晴れやかになるのです。
何かのきっかけに本体を現す時が来る、こういった時の場面設定はとてもドラマチックになります。

こういった「劇的な契機」を歌舞伎ではパターン化して分類できます。

A.「運命的」で当人にとっては不本意な化体(やつし) 
 ① 悪所狂いの末、遊女に入れあげて追放または勘当され、世を忍ぶ紙衣一重の
  編笠のスタイルにやつして放浪する「やつし」。身分、階層が変わることも
  あります。
    お家狂言の若殿  「廓文章」の伊左衛門 など
 ② 合戦に敗北したのち生き延びて、名前、身分、容姿を変えて暮らさなければ
  いけない境遇の化体(やつし)
    義経千本桜・鮓屋の維盛  渡海屋・大物浦の知盛、安徳帝、典侍の局
B. 意思的に選び取る化体(やつし)
 策略・・・・・一條大蔵卿 「忠臣蔵・七段魔」由良助の遊興姿
        「本朝廿四孝」の武田勝頼
 重宝詮議・・・助六 「鬼一法眼三略巻」の牛若丸 「法界坊」の松若丸
        「妹背山婦女庭訓」の鱶七 など
 敵討・・・・・「仮名手本忠臣蔵」の四十七士 曽我兄弟 など
 国家転覆・・・「関の扉」の関兵衛 石川五右衛門 天竺徳兵衛 など
 謀反・・・・・「関の扉」の大伴黒主 「本朝廿四孝」の斎藤道三 など
 敵持・・・・・「彦山権現誓助剣」の京極内匠 など
C. 「もどり」の効果を上げる技巧としての化体(悪)を見せ、実は、善。または敵
 と見せて、実は、味方の形を取る性格上の化体(やつし)
   「義経千本桜・鮓屋」いがみの権太 「寺子屋」の松王丸 など
D  異類婚姻譚の発送から来る化体(やつし)
   「芦屋道満大内鑑」の葛の葉姫、狐
E  「実は」の構造を武器として使い、複数の世界をない混ぜにして複雑な筋を
 展開する。四代目鶴屋南北の作品に多い。
   「桜姫東文章」 「金幣猿島郡」 など
F  動物が人間の姿に化けている例
   「義経千本桜」狐忠信 など

義経千本桜 川連法眼館の狐忠信

「実は」は、初期の黙阿弥の作品にも見られます。
代表的なものに「都鳥廓白浪」があります。
主人公は「忍ぶの惣太」で、彼が惚れている新吉原の遊女の花子が登場します。

ところがこの女の正体は、、、?
花子は、実は、天狗小僧霧太郎という盗賊で、その盗賊の元々は惣太の主人筋の、京都の公家吉田家の若君松若丸だというんですからややこしい。
女だと思っていたら男、しかも主君の若君だったというんです。
 花子 🟰 吉原の花魁 →  怪盗 →  公家の貴公子
この図式は複雑な背景を持っています。
    花子の背景・・・・・白井権八の世界
    天狗小僧霧太郎・・・鎌倉の世界
    松若丸の背景・・・・隅田川の世界
歌舞伎では「〇〇実は✖️✖️」という設定は、人間の変身ではなく、世界(時代の設定)をつなげるために存在しているのです。

最後に登場するのが黙阿弥が得意とした世話物に登場する「実は」です。
これには幕末の世相を反映した「因果」というキーワードが前面に出てきます。瀬川如皐、鶴屋南北の後をうけてデビューした黙阿弥の作品も初期の頃はそれ以前の作家の影響をうけて、先に紹介した「都鳥廓白浪」などでしたが、彼の本領はやはり幕末から明治にかけて発表した世話物にあります。

 黙阿弥世話物の簡単な例をお示しします。
まず「三人吉三」と「弁天小僧」がその代表格でしょう。
「三人吉三」は、今では庚申塚の三人の吉三と名乗る泥棒の出会いの場が有名で頻繁に上演されています。

大川端庚申塚の場

しかし本題の「実は」は二幕目「割下水伝吉内」の場にあります。
 木屋の手代十三郎は集金の帰途、街娼のおとせと遊び、喧嘩騒ぎに会って逃げるはずみに集金の金をどこかへ失ってしまいます。おとせがそれを見つけ、十三郎に返そうと探すのですが出会えず、帰る夜道で盗賊のお嬢吉三にその金をうばわれ、挙句、大川へ蹴込まれてしまいます。それを通りかかった八百屋久兵衛に助けられ、救われたおとせは送られて父親の伝吉の家に帰ります。
 一方十三郎は大金をなくして、言い訳に身投げしますが通りかかったおとせの父伝吉に助けられて彼の家に身を寄せています。
おとせも八百屋久兵衛につれられて、父親伝吉の家に帰ってきます。
 ところが、伝吉の家でいろいろ話してみると、偶然にも、十三郎は久兵衛の倅でしたが実子ではなく、本当の子はお七と名付けて育てていたものを5歳の時誘拐され旅役者の娘方に売られ、今では盗賊に身を落としたお嬢吉三とわかります。さらに、その話から伝吉が赤児のころ捨子にしたその子が十三郎で、おとせとは双子の兄妹とわかるのです。
 ここに因果応報と近親相姦というドロドロした「実は」が出てくるのです。
「実は」が「因果話」になってきていることがよくわかります。

豊国が描いた弁天小僧の錦絵

 もう一つ、弁天小僧「白浪五人男」も同じような「実は」があるのです。
お馴染みの「浜松屋の場」の次、「浜松屋奥座敷・蔵前の場」になります。
 五人男の頭領日本駄右衛門が奥座敷に招き入れられた時、そこで本性を明かし浜松屋の全財産を奪おうとするのですが、浜松屋の主人幸兵衛から意外な告白を受けます。 幸兵衛は長年実子がなく、初瀬寺への祈願詣での末やっと子宝に恵まれお礼参りの時喧嘩騒ぎに自分の子を見失ってしまいます。ちょうどその折、そばにいた捨て子を拾い我が子として育てていたと言います。それを聞いた駄右衛門は袖のはぎ合わせの三つ亀甲の紋付の黒羽二重を証拠に、その赤子こそ身貧の末養いかねて初瀬寺に捨てた我が子であったと告白、浜松屋の倅宗之助こそ駄右衛門の実子と判明します。
さらに、幸兵衛が見失った実子の腰に下げた巾着の赤地に鴛鴦の柄とその中の臍の緒に書かれた誕生日から、弁天小僧こそが幸兵衛の実子であることがわかるのです。

このように「実は」という歌舞伎独特の作劇手法も時代を経るに従って、その時々の世相、歴史的背景の変遷を如実に受けて変化してきていることがご理解いただけたことと思います。
こんなにも歌舞伎って奥が深いんです。

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