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「カネにならない」短歌について

「将来は短歌で生計を立てようと思っています」

という人にまだ会ったことがない。だが、今の短歌ブームはいずれ(詳しくない人にも消費されるという意味での)商業に結びつくのではないか? とずっと思っている。

というのも、現在の短歌コミュニティは若者や新規にとても寛容で、同時に短歌人口を今より増やそうとしているのではないかと思うことが多々あるからだ。

そして、それを実現する過程で商業化を避けては通れないであろうことは簡単に想像がつく。

この商業化という言葉を考えたとき、なんとなく引っ掛かりを覚えることがあった。
短歌仲間が増える期待は勿論あるが、今回はそれと同時にうっすらと感じている不安について共有してみたい。



ポップさと溝のあいだで

歌人の作品がデパートのプロモーションに使われることが増えている。

具体的な数は分からなかったし(もし調べている人がいたら情報ください)、一人で短歌を詠んでいた時は意識していなかったのでここ最近の体感ではあるけれど。

調べたところ、ここ十年くらいのトレンドとして短歌が広義の短歌コミュニティ以外のところで広がっているような印象があるのは確かだ。


その一方で、短歌がエンタメを楽しむ層の間で市民権を得ているのか? と聞かれれば私はいいえと答える。

例えば、この記事の冒頭のセリフが「短歌」ではなく「小説」だったら、ごくたまにだが聞くことがあると思うのだ。実際にGoogleで検索をかけるとアルバイトしながら執筆するとか学校に通うみたいな話を目にする。(現実的かどうかと言われれば定職に就く方がそりゃ良いんだろうけど……)

一方短歌は、そもそもバイトしながら短歌を詠んで~~という記事はないので議論の対象にすらなっていないのだろう。

Twitterの海では毎分 #tanka が投稿されるから感覚が麻痺しているが、おそらく世間一般でみれば短歌はまだニッチな趣味として認識されている。


短歌を使った広告は増えている。
Twitterのタイムラインを見れば短歌アカウント以外の場所まで届く=「バズる」歌がある。
でも知らない人は知らない。

ここから考えるに、世間全体の認識は今、純文学の一領域からライトに楽しめるエンタメへの過渡期にあるのではないか?

この状況は商業を考える目線からみればまだ競合が少ないブルーオーシャンと見ることができるだろう。


そしてその過渡期において、ニッチな界隈がニッチであるからこそ短歌が面白くなっていたのではないか? という話をするためにこのnoteを書いている。

たしかに、だれかの短歌が商業を通じて世間に発信されることで、夜のTwitterの海に歌を投げ入れるよりももっとたくさんの人に見てもらえるだろう。
だが、その一方で失われるものがあるのではないか。現時点では机上の空論に過ぎないが、いち愛好者としてずっと考えていたことをまとめてみようと思い至った。


プロがいない場所

創作を最初から金銭目的で始める人なんてきっといない。

小さいころに見た映画、きょうだいや恋人の嬉しそうな顔、しょうもないことで笑ってしまった経験、あるいは哀しみ、怒りなどなど。最初に何かを書いたときの記憶はあなた自身の感情から来たものだろう。

だが、「独りよがりの創作」に対する厳しい意見もよく目にする。開き直って「自分が書きたいものよりも売れることを重視するべきだ」といったことを説く投稿が流れてきた経験は数知れない。

「書くこと」はどこで変わってしまうのか?

完全に私見だけれど、創作をビジネスにされうる世界に行くことは、みずからの感情と売れることという両者の間に境界線を引く未来を確定させることだと思っている。


太字を使ってはみたものの、うまく伝わっているか分からないので実体験を交えて話してみる。

小さいころ、絵は私と家族のために描いていた。それが「どうせプロになることなんてないんだけど、好きなんだよね」と自らに前置きをするようになったのは中学受験を始めたころだった。

将来絵をたくさん描くには画家やデザイナーみたいなものにならないといけなくて、それはお金がかかって大変で、私が目指し始めた進路からは既に外れかけた選択肢だった。

(当時は同人について詳しくなかったため尚更)プロという存在が明確に定義されている以上、当時の私はプロを選ばなかった/選ぶ技量のなかった人間として自分自身を認識することになった。

その途端、好きだから描くという行為が「金銭的に利益を生むことのない、本分から外れた気晴らし」の枠の中のひとつの選択肢に成り下がった。

絵にしても文章にしても、今は寧ろそういう界隈にいる人たちの方が多いだろう。


だが短歌はそもそも「プロ」という存在が希薄だから、プロとアマの差を意識することはあまりないのではないかと思っている。

もちろん歌集を商業出版している方々の素晴らしさはよくよく理解している。もう本当に、大ファンなので。

その上で、短歌一筋で生活している人は小説やコミックと比べたらずっと少なく、少なくとも私たちが目指すにはあまり現実的でない。

ところで今、「プロという存在が希薄」という言葉でモヤモヤを感じた人がいるのではないだろうか。(筆者は書きながらモヤモヤしました。)

そういう人が言いたいであろう、「プロかどうか、稼げているかどうかが短歌の良し悪しを決めているわけじゃない!!」ということこそこのnoteで最も言いたいことなのだ。


界隈全体がカネにならないという「失礼さ」

身も蓋もない言い方をすると、

・現時点で短歌はカネにならない

そして、

・カネになっているという意味でのプロが存在しないことが、短歌界隈の自由さに繋がっているのではないか?

ということである。


あまりに身も蓋もないので別の言い方をすると、今この瞬間、あなたが呟く言葉が短歌である限り、「アマチュアだけど……」みたいな卑屈さを抱かないまま本音を託せる環境が広がっているということだ。

Twitterで死ぬほどバズろうが商業出版のオファーが来ようが、短歌一筋でミリオンセラーの職業作家になれることはあまり現実的ではない。

だからこそ息を吞むほどの歌がポンとTwitterに流れ、それに触発された誰かがそっと自らの感情を託し始める裾野ができているのではないだろうか。

逆に言えば、最終目的がお金の人はあまり短歌に参入していない。私たちの身の回りに溢れる歌は強烈な個性を持っていて、実景も虚構も本心から出た言葉だと思う。
「この方向性がバズるんだよね~」みたいなものはあれど、結局は多少閲覧数が伸びる程度なので商業性を帯びることは少ない。

その土壌が結構な数の現代人(ことTwitter歌人)を救っているのではないかと思うのだ。


少なくとも、充実していながら疲弊しきっていた高校生活で短歌を詠もうと思い立ったとき、私が暖房をかけ忘れた極寒の自室で打ち込んだ短歌は売れる売れないとは無縁だった。
短歌界隈で覇権をとることなんてできないくせに書くアマチュア作業だ、みたいなことを思ったことはない。短歌という形式だけを知っていた。それだけで良かった。

Twitterを見ても結構そういう人が多いようで、(本人のアイデンティティと歌の主体の違いを考慮するにしても)実景や虚構の世界のなかで本心を吐露しているのだろうと伝わってくる。

タイムラインや #tanka の検索結果を見ながら、短歌という形式だからこそ自分自身を歌に溶かすことができた人は多いのだろうと感じている。


短歌が「カネになる」将来について

はじめ、短歌が界隈を飛び出して人気になっていくことは短歌全体の商業化への過渡期なのではないかということを書いた。

人気になるということはお金を出してでもそれに手を伸ばす人がいることであり、お金を介する世界に短歌を置くことで今までは短歌を知らなかった人々に歌が届くことになる。
だから短歌がこれからもっと人気になって、商業的な文脈との親和性を増すことにプラスの効果があるのは当たり前だ。


それでも、誰かが夜の底で、朝の満員電車で呟いた一言が、私たちの知らないところで冷たくて異質ななにかと接続される可能性が近づくのが恐ろしい。

可能性としての「プロ」が出てくることで金銭の授受が前提の、あるいは最初から可能性として提示されている状態の文学になったら、少なからず短歌は変質するに違いない。
あるいは、詩を金のなる木と考えた無神経な人や組織に踏みつぶされる個人が増えるのかもしれない。

そういうリスクは隣接界隈だって既に有しながら上手くやっている、と言われたらそれはそうだ。
でも短歌は数ある界隈のひとつであると同時に固有の詩形なのだと言いたくなるのも事実だ。
商業的に見れば未開の金脈のひとつでも、文字を書く人にとってはその文脈に完全には組み込まれていない稀有な場所なのだから。

そういうわけでデパートの広告や歌集の話が増えることに心を躍らせつつ、どこかでうすら寒い気持ちを抱くことがある。まあ、こんなことを思っているのは私だけなのかもしれないが。


最後に

言ったところでどうにもならないし、なんだか旧時代的かもしれないと自分でも思う。新しい潮流が生まれることの良さは所属学部の学びのおかげで理解している。
だとしても何も書かないのは対外的に見たら考えていないのと同じだし、折角形にはなっているのだからそっと公共の場所に置くことくらいは許されるだろう。

文学史のメインストリームはきっと商業誌だろうけれど、裾野が変質することはメインストリームの変質をも引き起こすかもしれない。願わくば、生身の感情を短歌という形で担保できる裾野が守られてほしい、と望んでみる。

このnoteがきっかけで新しい話題が生まれたら嬉しい。


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