「元プロアカペラー」を作った人たち ~岩城の場合~ 第2話 「友人T」

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コンプレックス解消の糸口を、アカペラに見出した僕。
この時に、「音楽」とか「歌」とか、もっと大きな概念に惹かれていたら、恐らく早々に挫折していただろうし、そうでなくてもきっと、「プロ」を名乗るには至っていない気がする。
アカペラだからこそ、僕にも道があったのだ。

兄達のアカペラ演奏を含むミニコンサート終演の直後。
密かな、しかし大きな出会いに僕が心震わせていると、友人が話しかけてきた。

「お兄さんのとこ、あんまりだったねえ」

当時の僕には耳馴染みのないフレーズだった(第1回参照)。

話しかけてきたのはTという男だ。
小6のときに彼は転校してきて、すぐに仲良くなった。
Tと仲良くなったきっかけもまた、歌であった。
そして、彼がいなければ、間違いなく僕のアカペラキャリアは、スタートを切れていない。

Tは当時から「ちゃんと音楽やってる人」なのだ。

バイオリ二ストであるTは、後にちゃんと芸大を出て、海外へ渡って、今もちゃんとバイオリニストとして活躍している。

本当になんというか、お前なんで普通に市立いるんだよ、って感じ。

転校してきて間もないTと「音楽の教科書に載ってるけど授業でやってない歌をハモパートまでちゃんと歌う」という遊びで仲良くなった。
なにやってんだお前ら、というか、その時にはもう、始まっていたわけである。

中学に上がり、野球部に入った僕と、バイオリン練習に明け暮れるTは、クラスが違ったこともあり、少し疎遠になっていた。
久しぶりに彼と話す機会であったように記憶している。

久々の会話が「お兄さん、あんまりだったね」なのだから、彼もなかなかパンチの効いた奴だとお分かりいただけると思う。

続けて彼は言った。
練習で忙しい彼も、TVで見たアカペラに興味を持っていること。
密かにボイスパーカッションの練習をしているということ。

そして言う。
「慧、アレなら勝てるって思ったでしょ?」
パンチの効いた奴である。

よし、メンバー探すか。


こうして僕のアカペラ人生は、
後のプロミュージシャン2人で幕を開ける。



先述の通り、Tは今もバイオリニストとしての活動を続けている。
音楽家同士として出会ったわけではないからこそ、彼のような音楽家と時間を共にできたことを、本当に幸運に思う。

頻繁に連絡を取る間柄ではなくなってしまったけれど、今も尊敬する友人である。

いつか彼と仕事が出来たらな、などと淡い夢を持っていたりするのだが、
そのためには僕が、もう少しパンチの効いた人間にならねばならない。

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