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「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇(かたき)は敵なり」


人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇(かたき)は敵なり」という武田信玄が詠んだとされる歌です。

武田信玄は多くの武将が堅牢な城を築く中で、城ではなく躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)という館を拠点としていたといいます。

天然の要害を抱える甲斐(かい)の国の地形も関係しているものの、ここに信玄の経営基盤に関する本質を見ることができます。

人は、石垣や城より戦(いくさ)の勝敗を決するのに大切だという意味だと思います。

信玄は「信頼してこそ、人は尽くしてくれるもの」とも語ってるように、関係づくりを大事にした武将です。

武田信玄は、とても家臣を大切にしていたことが伺える政策が数多く見られます。

身分を越えた実力主義による人材登用や合議制などはもちろん、

金貨を持ち歩き、戦の場で手柄を立てたものに与えるという、今でいうボーナス制を採用したりもしています。

また、家臣が存分に力を発揮できるよう温泉開発も行うなど、現在の保養所のような政策も実施していました。

さらに、私塾を開き、家臣の嫡子を集団で学ばせるという人材育成も行っていました。

こうした正当な評価や厚い福利厚生、風通しの良い職場を作り上げることで、

信玄は最強の軍団を作っていったのでしょうね。

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