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ため息の、その次は


ため息の、その次が大事なんだと
ここ最近ふと気づかされた気がする

はぁ、

と吐いたため息を
ため息のままに止めてしまうのか
その次にもまた懲りずに酸素を吸い込んで
静かな深呼吸にしていくのか


吐いて、吸って、の循環だけは
どうか止めないようにと
本の中のもはや息をしていない哲学者たちは
静かに淡々と語りかけてくる


ため息の、その次は
ニーチェの言う「力への意志」であり
デリダの言う
「決定不可能性の中の決定の経験」でもあり
九鬼周造の言う「いき(粋)」という姿勢そのものでもあるのかもしれない


吐いた息を、自然に、
あるいは意を決して吸うとき

両の肺になだれ込んでくるのは
海水なのか、それとも酸素なのか

苦しいのはいやだなあ
海水だとしたら溺れてしまう
それだったら吐いたままの方がましだ
そのまま深く、ゆっくり静かな所へ沈んでいく

深呼吸をするのなら
せめて排気ガスで汚れているとしても
どうか酸素であってほしい

吸って、また次にため息を吐くのだとしても

そう信じて、あるいは忘れて
ゆらいで、どこまでも流転していく


そしてまた
ふと、ため息を吐く

はぁ、

その次は


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