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待ち合わせは


朝、いつもより少し早い時間の電車に乗る

ちょうど2方向に分岐した丸の内線が
1本に合流する最寄駅

5分違うだけで発車駅が違う車両が来るので
いつもより少し早い時間の電車は
目算で乗車率115%ほど

いつもの余裕のある車内と打って変わって
ぎゅうぎゅうに混んでいた


寿司詰めにされた車内の中程には
ベビーカーを畳んでグズる子供を抱き抱える
お母さんがいて

「すみません、すみません...」と
人1.5人分とベビーカーを合わせた体積を
謝った回数分減らせることを信じているように
切に呟いていた

その隣にはかなりイライラした様子で
ぶつぶつと文句を垂れるスーツを着た中年男性

「痛えなあ...じゃまなんだよ...
 迷惑だって...タクシー使えよ...」

...

『てめーのだせーネクタイで
 その煩い口に猿ぐつわかましてやーろか!!』

と啖呵を切りそうにもなったものの
まあまあ落ち着け
ここはスマートに作戦Bでいこう

作戦B「お子さん、かわいいですね〜」

周囲に通る声で
申し訳なさそうに謝り続けるお母さんに話しかける

暴力性のない善意こそが
情けないチンケな悪意には効く説

...

よかった、黙ってくれた、、

は、良かったのだけれど、今度は
口をつぐんだ代わりに僕の足を蹴るわ踏むわ
カバンを押し付けてくるわで
どうやら満員電車のイライラの捌け口が
僕に代わったようだった

まぁ、それはそれでいいか、

先程の子連れのお母さんは次の駅で戦線離脱

僕も次の駅で乗り換えだし
執拗にぶつかってきて睨みをきかせるこの男とも
もうすぐオサラバだと無心、寂静に心を定めて
般若経典の一節を思い浮かべる

「色即是空、空即是色」

この男の存在は「空」だ

僕の認識がただ創り上げているだけの仮相であり
その存在の本質は無、非存在、不可得の領域

この男は、実は存在していないんだ


なんてぼんやり考えながら
目の前の男の存在を空に帰し
空ですら空であるという「空空」について
そして無分別智後分別智の在りようについて
思考が巡ってきたところで

乗り換え駅に電車が到着して
人の流れに身を任せながら僕は降車した


駅のホームを歩きながら
ふと、考える

そういえば唐代の中国の訳経僧で
仏典を求めて陸路でインドに往復した
三蔵法師・玄奘は

その延べ地球1周半の旅路の中で
灼熱の砂漠、極寒の雪山を越える際にも
この「色即是空、空即是色」の一節が有名な
般若経典を唱えていたらしい


三蔵法師、悟空、猪八戒、沙悟浄の
珍道中『最遊記』のモデルになった仏僧・玄奘

彼がその厳しい過酷な旅路で
心の拠り所にしたのが般若経典だったという

このうだるような暑さは「空」
凍えるような手足の感覚も「空」
すべて、感じる苦痛はすべて「空」

「色即是空、空即是色」とは空の思想と呼ばれる
大乗仏教の思想概念を表していて

この世界のすべては
 空(不可得、無所有、無自性、無常、無我)
 である

という仏教哲学において釈迦の思想を継承する
最も重要な概念のひとつともいえる思想だ


後の唯識瑜伽派といわれる学派が唱えた文言で
個人的には空について感覚的に捉えやすいものを
(本来は捉えられないのが空なのだけど)
ひとつ追記しておきたい

あるものの中に、あるものがないとき、
 それはそれとして空であると如実に見る。

 さらに
 そこに残れるものはあると如実に知る。

つまり
すべては空であり
空であるところも空であるから
その空こそが空である、ということ
(これを"空空"とも言う)


訳わからないかな、、

それともなんとなく
なんか凄そうな思想だということは
伝わっているだろうか(そうだとうれしい)

大乗仏教の哲学の
特に中観派や唯識瑜伽派などと呼ばれる
釈迦を正統に継承するような部派は
その論理がとても静謐で美しいと感じられる


とてもじゃないけれどロジックで反論するのは
恐れ多いくらいに選りすぐりの天才たちの
超絶技巧的論理がその哲学体系の隅から隅までを
精密に成り立たせている

このような思想、哲学は
洋の東西を問わず哲学全般において
実存主義や唯物論とは反対の極にある
認識論観念論と呼ばれる思想でもある


そして東洋と西洋の観念論を比べてみると
おもしろい違いに気づいたりもする

同じような観念論だとしても
東洋と西洋ではその質感が全く異なっている


西洋の観念論は
なんというか、熱い

みんなどこか信じているゴールがあって
そこに理性という人間に与えられた唯一の武器で
どうにか到達したいと思っている

もしくは、ゴールがないのだとしても
理性で自分の為だけのゴールを創りあげる

そんな人間讃歌ともいえる
熱い哲学者たちの合唱が西洋哲学の観念論だ


それとは対照的に
東洋の観念論はとても、とても冷たい

彼らには人間讃歌なんてない

なんといっても、目指しているのは解脱

苦しみにまみれたこの世界から解放されて至る
安息で静寂な涅槃/ニルヴァーナに向かって
すべてを捨てて、すべてを手放して
何ひとつ残らないこと(空)のみが残る、という
この世界の在り方を観取、体得するということが
至上の命題となる


もちろん仏教哲学でも
倫理や施しについては大切にされているので
人情的な意味で"冷"徹ということではなくて

思想の温度感みたいなものがあるとすれば
西洋の熱さとは対極にあるような
冷たさを内包しているという感覚がある


たしかに仏教哲学を学べば学ぶほど
その思想の深淵を垣間見て寒気がして
その奥深くに真理の香りが微かにするのを
感じてしまう瞬間がある気もする

ただ、それは"瞬間がある"という話だ

悟り(覚り)の境地である涅槃/ニルヴァーナは
修行を積むことでしか体得できない領域にある

そこに辿り着くためには
その境地に至る道程にフルベットしなくては
いけない

すべてを手放して

静謐で冷たい領域へと沈んでいく

そこはとても静かで安らかで
美しい場所なのだろう

涅槃、ニルヴァーナ、、、



乗り換えを済ませて座席に腰を下ろした

じわりと痛む右半身を他人事のように感じながら
ぼんやりとそんなことに思いを巡らしつつ
電車にゆられる


ふいに
さっきの中年男の顔がよぎった

睨みをきかせるあの目
カバンを持つ手に浮かぶ血管

毎日の仕事に忙殺されて
あふれるストレスが抑えられなかったのだろうか
家族と上手くいっていないのか
職場の人間関係に嫌気がさしているのか

かわいそうな人なのかもしれない
(しらんけど)

いつもおつかれさま

あの中年男のくだらない悪意に
人間の醜悪さの縮図を観た気がした

ニュースをつければ
連日、悲惨な事件が報道されていて
snsは匿名性を笠にきた暴力で溢れていて
社会には不理解と不寛容が相対的に多くて
どうやら戦争は終わりそうにもない


ああ、いやだなあ


涅槃はすべてを手放してでも辿り着くべき
価値のある場所なのかもしれない

というか、この世のすべてには
手放せるほどの価値しかないのか

いや、何にも価値すらないということが
すべての形相は空であるという言葉の意味だ

涅槃の価値と
いま持っているものの価値を
天秤にかける

僕は、手放せるだろうか


そう問うたとき、ふと立ち止まってしまった

手放せない

東京にきて10年目になる
振り返ると大事なものが随分増えてしまっている

人に恵まれ、環境に恵まれて
僕は東京という街でたくさんの
大切なもの、愛おしいものに出会ってきた

確かに涅槃は美しく静謐な境地に思えるが
その大切なものをすべて手放すことは
今の僕には難しい選択になっていた


だけれど同時に
東京の、人の、俗世の魑魅魍魎さに
嫌気がさしてしまっている自分と
涅槃の美しい静謐さに憧れがある自分とを
否定のしようもないほどに感じてもいる


こまったなあ

どうしよう


そうだなあ、こうしよう

大切な人たち、愛おしい人たち
そして、これを読んでいるあなた

そう、あなたもきっと魑魅魍魎などではなく
僕が大切にしたい愛おしいものの一部なのだろう

なぜって、ここまでくだらない私的な落書きに
根気強く、あるいは話半分にでも
付き合ってくれているのだから


そんな大切で、愛おしい人たちとは
このコンクリートジャングル、ゴミで煌めく
最高に散らかっていて最低に美しいこの街を
たまにこっそり抜け出して会うことにしよう

待ち合わせは
東京と涅槃のちょうど間くらい


東京は騒がしすぎるし
涅槃は静かすぎる


その間くらいがちょうどいい

釈迦が説いた中道とも
ナーガールジュナが唱えた中観とも
少し意味は違うけれど

ちょうど、中間くらいで


そこでなら少しは落ち着いて
ゆっくりと話ができそうな気がする

楽しみにとっておいてあるワインを持っていこう
グラスは2つ、飲み口がいちばん薄いものを磨いて

嫉妬と焦燥感とプライドは
東京に置いてこよう

荷物は軽ければ軽い方がいい

"ありのままの自分"だけは
涅槃から引っ張り出してきて

誠実に話し続ければ、きっと分かり合える

そうやって待ち合わせることにしよう
此岸と彼岸のちょうど間で

あなたと僕と、2人で

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