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29


そういえば先月、29歳になった
今年は20代最後の1年となる

孔子は言ったそうだ「三十にして立つ」

これからどうしたい?どうなりたい?
なにをしたくて、なにをしたくない?

休みの日の夕方
暮れはじめた西の空をぼんやり眺めながら
ふるさと納税で届いたジャパニーズワインを
ひとり空けて

ふわふわした頭で
やけに大きく響く鼓動を静かに感じながら
何度も自分自身に問うてみる


いまは夜も更けて21:22

当然、簡単には答えはでない
(酔ってるし)

考えるたびに違う答えが出てきたりもする
(酔ってるからだけではない)

それでも、未成熟な理性と
水を絶やさずに育てる感性を巡らせて
この10年の総括とこれからの10年の展望を想う


東京に上京してきて丸10年が経ったことになる

この10年間で沢山の人に出会って
振り返るとほんとうに沢山のことを経験して
沢山の本を読んで、沢山の哲学を学んできた

人の37兆個の細胞は新陳代謝によって
7年ほどで完全に新しい細胞に全て
リフレッシュすると言われているらしいけれど

たぶんハードウェア(身体)だけじゃなくて
ソフトウェア(思考os)までもが
10年前とは全く違うシステムが
この出来損ないの頭の中で駆動している

10年前の"彼"ではない
"いまの僕"はどうしたいのか


『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』
というドイツの鉄血宰相ビスマルクの格言がある

僕たちの人生はたった100年ぽっちで
現在地点に限って言えば30年も経っていない

記憶にあるところから遡れば
幼稚園くらい(遅い?)だから、せいぜい24,5年

宮城(と岩手)と東京にしか僕の世界はなくて
クラスメイトと剣道関係者と美容業界にしか
関わってきたコミュニティはない

そんな局所的で極私的な世界の片隅で
偏狭的なサンプルしかないマイライフヒストリー
では、もはや普遍的なものは不可知の領域だ


だからこそ、人は歴史に、
人文知に学ぶのかもしれない

とっても頭の良い超天才たちが
自我について、労働について、社会について、
認識論と唯物論と超越論的形而上学について
彼らの人生をかけて哲学したその足跡に

そしてホモサピエンスの生態と認知特性、
要するに「構造的あるある」の宝庫に
アクセスすることによって同じ轍を踏まずに
自分なりの幸せを手にしようとする


そんな集合知的な哲学を学び、
ただひたすらに錬磨し積み重ねていく

鉄血宰相の至言を道標に

だけど、歴史上の彼らは決して
"僕にとっての幸せ"を教えてはくれない

彼らが哲学しているのは彼ら自身の問題意識
「みんなに共通している"善いこと"はあるのか」
「この世界で"疑いようのないもの"はなにか」
「"神さま"って一体なんだ」
「人は"本質的な意味で"理解し合えるのか」
「人間を規定するのは"意識か、社会か"」
などなど

『よし、じゃ30代はこんな感じで生きなさい』
なんて懇切丁寧に手を引いてくれる人なんて
誰ひとりとしていない


彼らは、人類は確かに
脈々と続くバトンリレーをしてきた

そして、次の走者は他でもない
僕たち自身だ

僕たちは僕たちの哲学をしなくてはいけない

人権思想と社会契約論、そして経済的発展が
70億人が同時に次のバトンを受け取ることを
可能にしている


少し話は寄り道して

古代中国、後漢から魏晋南北朝、隋、唐にかけて
隆盛した仏教を前に思想的強度を失っていった
儒教が再びその独自性を回復していく過程で

普遍的な真/善/美のような強い原理とは対極の
時代によって変化しうる道徳という弱い原理を
その思想の中心に据えた韓愈という文人は

古(いにしえ)の聖賢の教えを学び
そこから自己発出に基づく独自性を築くことが
「古文」の理念であるとした


難しい話になってそうだけど、つまりは

『バトンを受け継いだら
 次は、あなたがちゃんと走りなさい』

ということだと個人的には解釈している


ちなみに、もうひとつアナロジーを言うなれば

隋から秦までの中国の官僚登用制度「科挙」には
昔の詩人が詠んだ名詩が試験科目の重要な一部を
占めていたらしい

中国の詩については、すごく簡単に言うと
"昔の詩(詩人)がやっぱりいちばん良くて
(当時の)現代になるにつれて
だんだんダメになっていっている"という
世界観があった

その中で詩人に求められたのは
「意を師として、辞を師としない」という姿勢

分かりやすく噛み砕くとすれば
「心意気を参考にして、やり方を参考にしない」
とでも言えるだろうか


賢者は歴史に学び
その上で、優れた詩人は極私性を詠う

それは果たして、自律的なのだろうか
それとも他律的なのだろうか

考えてみると
たぶん、その"あわい"なのだろうと思う

それは「自(おの)ずから」であり
同時に「自(みずか)ら」でもある

だけど他力的な「自(おの)ずから」ではなく
盲目的な「自(みずか)ら」でもない

そんな自律と他律のゆらぐあわい(間)の中にある
静謐な覚悟のある、誠実な姿勢こそが
いま僕が目の前にしている問いの答えなのかもしれない


そんなことを思った22:31

誰かが作ったワインを
ひとり部屋で飲み干すように

誰かが書いた本を
ひとり部屋で読み更ける

孔子が言っていた「三十にして立つ」は
30歳で学問の基礎ができて自立するという
意味だけれど
あと1年で"立つ"ことができるのやら

それでも、稚拙で愚鈍な足取りだとしても
日々学び、出会い、話し、考え、哲学をしよう

今日までしてきたように

これからもしていこう

バトンを引き継ぐように

自分だけのコースを
自分だけの走り方で走り抜くために


模倣(ミメーシス)なき模倣という矛盾が
窓の外の雨音と共に静かな部屋を満たしていく

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