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美しい、ってなんだろう



家庭を築いた友人の家に招かれて
キンキンに冷えたビールとワインを飲む

幸福も、苦悩も、希望も、孤独も、愛も
全部飲み込んで彼は「幸せだよ」と
小さくて、でも耳心地の良い声で言った

その力強く優しい瞳を、僕は美しいと思った


急に呼び出された居酒屋で
叶わない、そして望んではいけない人に
恋をしてしまった友人が静かに泣いていた

その涙を、僕は美しいと思った


今までの人生と、世界を肯定して
自分を愛して、他人を愛する人と出会い
優しく、強く、花の様に笑うその人と話をして

その在り方を、僕は美しいと思った


美しい、ってなんだろう

今日はそんな事を哲学する


西洋哲学の父
古代ギリシャのプラトンさん

彼の哲学思想は圧倒的に壮大で
西洋哲学の主要な源流と言われていて

「西洋哲学の歴史とはプラトンへの
 膨大な注釈である」

なんて言った哲学者もいる

要するに
大切な事は全部プラトンさんが言ってたよ
という事


彼の哲学の中心的な概念といえば
泣く子も黙る(?)、かの有名な「イデア論

人間の認識の背後にある
完全な真実の世界を"イデア界"とし
その"影"が現実に或るもの、とする哲学思想


そうやって言われても
なんだかよく分からないよね

僕の大好きな哲学なので
ちょっと分かりやすく説明してみようと思う


みなさん、椅子を想像してください

...

想像したかな?

あなたが想像したのは
木とかで出来ていて、4本足で
背もたれが付いている、あの家具だろうか

🪑

↑たぶん大体こんな感じかも知れない

でも木の椅子だけじゃなくて
パイプ椅子もあるよね

それに4本足じゃなくて、1本足のもある

Yogibo(ヨギボー)は椅子だろうか

切り株はどうだろう

椅子かどうか絶妙なラインは色々あるけれど

大体僕たちが想像する「椅子」は
みんな同じ様なものだと思う

でも、それって何故だろう

どうやって僕たちは
これは椅子である/これは椅子ではない
と無意識に判断しているのだろうか

それは「椅子のイデア」というものが
この世界には存在していて

僕たちは無意識にそのイデアの似像(にすがた)
として現実世界の"椅子らしきもの"を
判断、認識しているのだ

というのがイデア論である


全てのものにはイデアが存在している

椅子にも、コップにも、ソファーにも

善にも、正義にも、そして美にも


形而上学的で観念論的ではあるけれど
とてもロマンチックな哲学だと僕は思う

あなたはどう思うだろうか

とても複雑で、煩雑で
清濁併せ持ったカオスに見えるこの世界にも

本当は明確に、燦然(さんぜん)と光り輝く
"正しいこと"が存在している

僕たちは日々の生活に忙殺されてしまわずに
本質的に大切な概念のイデア、

つまり善のイデア、正義のイデア、
美のイデアなどについて考えなくてはいけない


それらのイデアを共通の認識として持つ事が
善い国家を作る上での重要課題である

それを哲学するのがイデア論という訳だ


プラトンさんは
ロマンチックな哲学者だと僕は思う

とても理想論的で、夢想家で
カリスマチックな魅力がある

僕は彼が大好きだ

彼のロマンチックさに着いていけなくて
弟子のアリストテレスさんは
地に足がついた現実的な自然哲学/経験哲学を
説いたというのも個人的にはすごく面白い


まぁ余談はさて置いて


哲学の世界の大命題は
ソクラテスが語ったとされる「善く生きる

善く生きる為には...

それが知りたくて
僕自身を、あなたを、人間を、そして世界を
学び、理解したいと思っている

僕が本を読む理由の1つでもある

人文学に収まらず、沢山の分野や学問領域を
横断して、寄り道して、本を読んでいるけれど

僕の読書をイデア論的に説明すれば

善のイデア」を本から
人類の歴史の知恵から探しているとも言える


掴めた様な気がして、いつの間にか遠ざかって

霧の中にいると思ったら、
急に視界がクリアに冴え渡って

そしてまたその景色の広大さに眩暈がする

そんな事を繰り返しては
また何度も読み直す、また新しい本を手に取る

そうやって少しずつではあるけれど
僕なりの「善のイデア」に近づいていっている
そんな気がしている

それが楽しくて
毎日ページを捲る手が止まらない

でも本を読んでいて気付く事もある

「善」は知識として、読書を通して
培われる人文知の領域であると実感している

それでは「美」は...

「美しい」は何から学べるのだろうか

本にはどこにも書いていない

美しい、ってなんだろう


どうやらそれは知識ではないらしい

なぜ僕はあの人たちを
美しい、と思ってしまったのだろうか

あの瞳を、涙を、在り方を見て
なぜ「美しい」という言葉が無意識に
口からこぼれ落ちたのだろうか


落ちたその言葉を拾ってみる

まじまじと眺めてみる

直感的に
言語化出来る領域の言葉ではない、と思った

いや、もう少し正確に言うと
言語化していい領域の言葉ではない、と


言葉にしてしまうと
ちゃんと全部言い表したつもりになっても
大切な何かが欠けてしまう気がする


「神とは完全な存在であるから
 不完全な人間の作った不完全な言語では
 到底言い表せるものではない」

なんて言ってた中世のスコラ哲学者たちの
言葉がふと頭をよぎる

言葉では語れない

もっと、大きくて、広くて、漠然としていて
ぼんやり優しく光ってる、なにか


あ、そういうことか

哲学を学んで、人を知り、
自分を理解して、あなたを理解したいと願う

そうやって「善のイデア」に触れる

それと同じ様に

人と関わり、人を知り、
自分を愛して、あなたを愛したいと祈る

そうやって「美のイデア」に触れるのか


僕が美しいと思ったあの人たちは
僕にとっての「美のイデア」の似像で

あの人たちの向こう側に
「美のイデア」があるのかも知れない


美しい、ってなんだろう

そうやって考えているだけではだめなんだね

それを知りたければ
人と関わり、世界と関わる必要がある

人を愛して、世界を愛す必要がある

そういう事なのかも知れない、と思った


なるほど、世界は巧妙に作られているらしい

神さまは僕を家の中で
じっとさせておいてはくれないみたいだ

美しい、ってなんだろう

僕はそれを知りたいと思ってしまった


まだ全然足りていない

あの愛おしい瞬間を
一瞬時間が止まってしまった様に感じる瞬間を

何度も思い返してしまう様な
切実なあの瞬間を

そして、その時こぼれ落ちる
"あの言葉"を大切に拾い集めてみよう


あと何回出会えるのかな

あと何回それに気付けるのかな


死を迎える最後の、その瞬間に
愛する人の手なんか握りしめたりしながら
答え合わせをしてみる事にしよう

大切に拾い集めた「美しい」は

そのイデアは

霞んでいく僕の眼にどんな美しい景色を
見せてくれるのだろうか


老後の楽しみが、また1つ増えた

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