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祈りと哲学


主よ

 変えられないものを受け入れる心の平静と

 変えられるものを変える勇気と

 その2つを区別する知恵をお与えください

「ニーバーの祈り」
または「平静の祈り」と呼ばれる一節

僕が大切にしている、道標のような言葉

ストア哲学の何たるかを
端的に表現している一節でもある


僕たちは生きていて
勇気よりも、心の平静を必要とする場面に
沢山、たくさん遭遇する

それは恐らく、
この世界には「変えられないもの」の方が
相対的に多いという事なのかも知れない



僕たちに必要なのは、受け入れるという作業

大切な人との離別

尊敬していた人の"本当"の顔

友達が友達じゃなくなる瞬間

一方的な感情に対する疑問と不安

どうにもできない個性/パーソナリティ

信頼と、過信と、裏切り

誤解とすれ違い

見返りを求めてはいけない世界

別れと、死


ただ、ひたすら、凛として受け入れる

そこに求められるのは静謐な姿勢

生きている限り、受け入れ続ける



受け入れられない事は悪い事ではない

でも、もう道は分岐している

認識する世界→変えられないもの
      →変えられるもの

"変えられないもの"である以上は
受け入れるしかない

ずいぶんといい加減な主が
お与えくださった「知恵」とやらを武器に


大切な事は
受け入れられるまで考え続ける事

ずーっと

ずーーーーっと

考え続けて、哲学し続けて

いつか受け入れられた時はじめて

主に(いるとすれば、だけど)
感謝してみるのもいいかも知れない


人間の心には「蓋」が付いている

僕が好きな、尊敬する精神科医/心理学者の
ヴィクトール・フランクルは

著書「夜と霧」で
人の心の強さと弱さのメカニズムを
壮絶な自身の体験から紡いでいる

それによると
人は自分に耐えきれない心の負荷には
「心を閉ざす/無感覚になる」という
防衛本能が働くらしい

ずいぶんと上手い事出来ている

進化論、あっぱれだ


「そこには明確な個人差がある」というのも
特筆すべき点ではあるけれど

とにもかくにも人間は超主観的な判断で
深層心理において
心に蓋をして自己を守るのだそうだ


つまり、
無感覚ではない(思考出来ている)という事は
超主観的な自分が

「大丈夫、乗り越えられるよ」

そう言っているのかも知れない


そうであるなら考え続けよう

哲学し続けよう

そうやって全て受け入れていく事が
「善く生きる」事に繋がるのかも知れない

そんな事を最近、思ったりする


じゃあ受け入れる為に必要な「知恵」は
いったいどうやって手にすればいいのか?

全知全能の主が与えてくれるなら
僕たちは最初からこんな苦労していない

どうやら「知恵」に関しては自己責任
各々で獲得するしかないらしい

ずいぶん素晴らしく美しい設計ですね

Hallelujah


最後に残った疑問

魔王を倒せば冒険が終わるのは分かった

魔王はどうやら魔王城に居る事も分かった

あとは魔王に対抗できる「勇者の剣」さえ
手に出来れば物語はハッピーエンドへ向かう


「勇者の剣」はどこにあるのか


僕たちの哲学の時間は、もう始まっている





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