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アウフヘーベン、しない


世界に価値のない人など
 ただの1人も存在しない
』と

自分にとって価値のない人は
 この世界に存在している
』は

矛盾しつつも両立していると思う


別に綺麗ごとを話したいわけではないし
個人的な恨み辛みが積もっているわけでもない

でも、声を大にしては言えないけれど
そんな実感がある気がしている


前者だけが真実なのだとしたら
僕たちはずいぶん多くの人たちを
許さなくてはいけなくなるだろう

自分にとっての辛い経験の渦中にあった人も
最低限のリスペクトすらない関係性も

右の頬を打たれたら
左の頬を差し出せ、って?

この星を制圧したのは
歴史上最も残忍で攻撃性と排他性の高い
戦闘民族だ

そんな悠長なことは言ってられない

成長させてくれた?学ばせてくれた?
そんなの関係ない

あなたを傷付ける人は
どんな人であろうとあなたにとって価値はない


2000年以上も前に古代ギリシャで勃興した
理性のコントロールを重んじるストア主義

その規範とされる小カトーという政治家は
市中で受けた突然の理不尽な暴力に対して
3つのことを"しなかった"という

それはすなわち
「カッとしない、やり返さない、許さない」

僕はこのエピソードが個人的には好きで
そうだよね、許さなくてもいいんだよね、と
どこかでふいに安心してしまう自分がいる


恨むことも、呪うことも
僕たちの生においては何も生まないと思う

それは永遠と続く螺旋構造に
愚かにも身を投じることになってしまう

だけど、僕たちは心を殺してまで
無理をして許す必要はないとも思う

許せなければ、許さなくてもいいんだ

それはきっと傷付いた自分自身を
大切にすることでもあるから


そうやってなんとか
人類の歴史に脈々と受け継がれている
処世術を駆使して生きていると
ふと、思うことがある

ああ、なんてくだらないんだろう

文化人類学者であり
構造主義の第一人者とも呼ばれる
レヴィ=ストロースが語った言葉

『私はラディカルなペシミストです』

彼の言葉を思い出す

ラディカルとは革新的という意味で
ペシミストとは厭世主義者、つまり
世の中を嫌悪する立場であるという意味だ

人類の文化の構造自体を鋭く推察して
それまでの哲学、人文学の概念を
根本から覆してしまったという意味では
確かに彼はラディカル(=革新的)だけど

人類という動物と真剣に向き合ったからこそ
ペシミズム(=厭世主義)に至ったというのは
なんて皮肉な話なのだろうか

生きにくい世の中で
無理して生きていく必要はない

嘘をつく動物をそもそも信じる必要はない

どちらも苦しいのは自分だけだ、なんて
困ったね、マイナス思考になってしまう


だからこそ前述した2つのテーゼは
二項対立なのではなく
矛盾しつつも両立するのだと思う

世界に価値のない人など
 ただの1人も存在しない

基本的人権を語るまでもなく
誰にも疑いようのない普遍的なことだ

僕には僕の、あなたにはあなたの
かけがえのない価値が全ての人にはある

一方で
自分にとって価値のない人は
 この世界に存在している

あなたを傷付ける権利は決して誰にもない

そんな人がいたとしたら
それはあなたにとっては価値がない人だ

この2つのテーゼは
どちらが正しいというわけでも
対立を乗り越える新しい正解があるわけでもない

どちらも正解で
どちらも大切にしたい

僕はそんな風に思う

それに、そもそもだけれど
これは冷静によく考えてみたら
絶対性と相対性を孕んだ問題だから
二項対立ではないような気もしている

(じゃあ今までの話はなんだったんだ
というツッコミはご勘弁を...)

意外と世の中には二項対立に見えて
矛盾しているように見えて
実は両立しうるものごとが存在している
ということなのかもしれない


世界には普遍的な真実というものは
 存在していない
』と

世界には普遍的な真実というものが
 存在していると信じて生きる
』は

矛盾しているように見えて
これも絶対性と相対性の問題で
流動的で境界線が曖昧なエクリチュール性を
内包しているから、両立しうるのだ


そっか、なるほど

そうだとすれば曖昧でマーブルでファジーな
問題を軽率に二項対立に仕立て上げて

ヘーゲルの弁証法よろしく
アウフヘーベンしてがっちゃんこ!
さらに上の階層の真実へと再構築するなんて
短絡的で暴力的な解決方法に甘んじないで

複層的な自己矛盾を内包して生きる

そんな曖昧さに耐えうる懐の広い思考力が
僕たちには必要なのかもしれない


そんなことを最近読んだ
プラトンとデリダ、そしてスピノザとの
対話から学ばせてもらった気がしている


そもそもこの世界の全てが
二項対立で弁証法的にアウフヘーベンして
進歩主義的にどこかに進んでいくのだとしたら

その"どこか"は
人類の滅亡という結末なんじゃないかな
なんて思うことがある

世界中の最大多数の最大幸福を考えれば
人類の存続が世界の幸福に本当に繋がっている
のかは僕には(悲しいけれど)自信がない

先程話に出てきた
文化人類学者のレヴィ=ストロースは
こうも言っていた

『世界は人類なしに始まった
 だとすれば人類なしに終わるだろう』



うーん、反論はできない

だけど、困ったな

滅んでしまっても良いとさえ思っている
この世界には

何人か、僕の愛おしい大切な人たちもいる


だからこそ
結論は出さない方がいいのかもしれない

世界は滅んだほうがいい

大切な人たちには幸せになってほしい

曖昧なものを曖昧なまま
ファジーなまま、マーブルなまま
捨てるでもなく、大切にしまっておく

アウフヘーベン、しない


僕はそうやって
なんとか、この世界を愛そうと試みる

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