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白ではなく、黒でもない


0か、100か

好きか、嫌いか

白か、黒か


世界はそんなに綺麗な境界線で
整理整頓されている訳ではない

全てはグラデーションで
あっちでもなく、こっちでもなくて

どちらかと言うとあっちで
でも最近はこっちな気もしていて

結局、どっちなんだろう

僕は何処に居て
あなたは何処に居るんだろうか

そんな微妙な中間地点で
僕たちは誰もが必死に
毎日を生きているのかも知れない


群れに溶け込めない灰色の羊は
伸び伸び自由に暮らせる草原を探して
独り旅に出る

白い群れからはハミ出してしまい

黒い群れからは相手にされない

自分は独りぼっちだと
世界を恨んで、憎んで、疲れ果てて

諦めて、歩みを止めて振り返った時に
ようやく"当たり前の事"に気付く


ハミ出してしまった白い羊たちの群れの中には
真っ白の羊なんて何処にも居なくて

相手にされなかった黒い羊たちの群れの中にも
真っ黒の羊なんて存在していなかった

そこに居たのは
白っぽい灰色の羊と、黒っぽい灰色の羊


そこに在ったのは
ただの綺麗な灰色のグラデーションで

誰もが孤独を感じていて
誰もが仲間を探していて

そうやって近い灰色を集めて
ちょっとだけ違う灰色を仲間外れにしている


「自分だけ、どうして...」

そう誰もが思っているからこそ
隣で独り静かに蹲(うずくま)っている他人の
全く同じ気持ちに気付いてあげられない

この社会で相対的に多く在るのは
対話と理解と協調ではなく
拒絶と不寛容と不感なのかも知れない


そんな現実を目にする度に
僕は居るのかどうかも分からない
神さまに向けて、祈りの言葉を口ずさむ

主よ
 変えられないものを受け入れる心の平静と
 変えられるものを変える勇気と
 その2つを見分ける知恵を与えたまえ

「ニーバーの祈り/平静の祈り」と呼ばれる
アメリカの神学者の有名な一節


手荷物はこれだけ

心の平静と勇気と、知恵

それだけリュックに詰め込んで
雨降る中、傘も刺さずに灰色の旅を続ける

神さまへの信仰は
持っていても持っていなくても
どちらでも良いんだと思う

でもすごく嫌な事があった時には
神さまの所為にしたくなってしまうから
不信心なりにたまに祈ったりもしてみる

神さまどうか
心の平静と勇気と知恵をお与え下さい

神さまどうか
この雨が止んだ先に
平和な草原を見つけられますように


もし、雨が止む場所が何処かに在るとしたら
きっとそこには綺麗な虹が架かっている


ずぶ濡れになって風邪をひきながら
灰色の僕は虹の夢を観る


豊かな草原と綺麗な七色の虹


虹の七色の光を混ぜれば
加法混色といって、白色になる

この世界には存在していない綺麗な真っ白

それは"真実のイデア"の白色なのかも知れない

虹を描いた絵の具を混ぜれば
減法混色といって、灰色になる

それは"真実のイデア"の似姿である
この世界の濁った灰色なのかも知れない


そんな妙(たえ)な虹の光に憧れて

その憧れに"確信"と名前を付けて
灰色の世界で灰色の僕は旅を続ける事にした

0ではなく、100でもない

好きではなく、嫌いでもない

白ではなく、黒でもない

そんな世界の片隅で
心の平静と勇気と知恵を灯火に

伸び伸び自由に暮らせる草原が
この世界の何処かに必ず在ると確信して

灰色の僕が霞んで見えなくなるくらいの
真っ白なあの光に手を伸ばす

その光の向こう側は眩し過ぎて
直接観る事はついぞ叶わない

その光は
いつか僕の心の眼を開いてくれるのか
それとも現実の両眼を焼き切ってしまうのか

そして、何処に導いてくれるのか

それを知っているモノが居るのだとすれば
信じてもいない"神さま"だけなのかも知れない

そうだとしても
僕は哲学をし続けたい


灰色の世界は、理性の力で白色に近付けるのか

憧れを捨てずに、現実を生きていけるのか


グレーの羊は旅をしながら
綺麗な虹への憧れを形而上学する

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