『行願品疏』を読む(三回目)

十因の列挙

・本文

●初因十義者、一法爾常規。二酬昔行願。三遂通物感。四明示真門。五開物性原。六宣說勝行。七令知地位。八顕果徳厳。九示其終帰。十広利今後。

・書き下し

初めに因の十義とは、一には法爾常規、二には酬昔行願。三には遂通者感。四には明示真門。五には開物性原。六には宣説勝行。七には令知地位。八には顕果徳厳。九には示其終帰。十には広利今後。

・解説

 項目の列挙なので現代語訳は省略。ここでは因の十義の内容について列挙されている。教起因縁については、『探玄記』『刊定記』にも項目が設けられているので、比較して後日別のノートにまとめてみようと思う。因と縁に対してそれぞれ十ずつ挙げられているのが澄観の特徴だと考えられる。慧苑とも関係ありそう。

第一法爾常規

・原文

今初、第一法爾常規者、一切諸仏法爾皆現無尽身雲、於無尽剎、常転円満無尽法輪、令諸衆生達本還原、窮未来際、無有休息。更無異轍。猶皇王帝道千古同規。是故經※1云、「無量劫中修行満、菩提樹下成正覚。為度衆生普現。如雲充満尽未来。」十方菩薩偈※2云、「汝観無上士広大智円満擇不時非時演法恒無盡。」既不擇時説無間矣。又云※三「法王大威力、常転妙法輪。」明知此経法爾常說。猶日月之照不因川源。如万籟之声非関撫擊。

・書き下し

今、初めに第一法爾常規とは、一切諸仏は法爾に皆無尽身雲を無尽刹に現じて、常に円満無尽法輪を転じて諸衆生をして本に達して原に還らしめ、未来際を窮み休息有ること無し。更に異轍無し。猶お皇王帝道が千古に同規なるがごとし。是れ故経に云はく、「無量劫中の修行満ちて菩提樹下に正覚を成ず。衆生を度せんが為に普く現じる。雲の如く充満して未来を尽くす。」と。十方菩薩偈して云はく、「汝は無上士の広大智円満して時非時を擇ばず法を演べること恒に無尽なるを見る。」と。既に時を擇ばずして説きて無間なり。又云はく「法王は大威力にして、常に妙法輪を転ず。」と。明らかに知んぬ。此の経は法爾常説なり。猶お日月の照は川源に因らざるがごとし。万籟の声は撫擊の関に非ざるが如し。


・現代語訳

今初めに第一法爾常規というのは、一切の諸仏は、法則として、尽きることのない雲のような身体を、尽きることのない(ほど数多い)世界に出現させて、常に円満無尽の法輪を転じて、衆生を本来(の浄らかな状態)に達しさせて、(本)原に還らせる。(その働きは)未来の果てまで休むことがない。(それは)皇帝の王道が遠い昔から同じく定まっているようなものである。そのため経で云っている。「無量劫の中で修行が満(行)し、菩提樹の下で正覚を完成された。衆生を(悟りに)渡すために普く身を現わして、雲のように充満して未来(永劫)までをカバーする。」と。十方菩薩の偈では云っている。「汝は無上士の広大な智が円満であり、(説法を説くために適切な)時であるかそうでないかを問わず、法を説いていることが恒であり無尽であることを観るであろう。」と。時を択ばすに説くと言っているのだから途切れることはないのであろう。また云っている。「法王は大威力であって恒に妙なる法輪を転じている。」と。明らかに知ることができる。この経は、法則として、恒に説かれていると。(それは)日や月の光が川の源に起因しないようなものである。万物の響きが触れたり叩いたりするのとは関係ないようなものだ。

・解説

 ここで澄観が言いたいのは、『華厳経』の教えは時間的にも空間的にも無限であるということである。それは法爾である。訓読みすると「法として爾る」。法則として当然そのようになるというくらいの意味であろう。法則というのは、人間が関わっても関わらなくてもそこにあるものである。例えば、万有引力は、ニュートンに発見されるずっと前から世界に存在していた。
 仏の教えというものも、万有引力のように、元々そこにあるものである。例えば、花は綺麗なものであるが、いずれ枯れる。だからといって、枯れること自体が悪いわけではない。枯れるということが受け入れられないから、苦しみとなる。これは人間の死に置き換えても構わないであろう。一切のこだわりを捨てて世界を見れば、世界は全て仏であったのだと気づく。しかも、それは最初から法爾として存在していたのだ。というのが十因の最初である。我々からすれば「と言われても・・・」という感じである。法爾は飽くまでも、仏からの視点で語っているのだと言えるだろう。
 『探玄記』でも、法爾が、十の第一として挙げられている。法蔵は『六十華厳』の「仏不思議品」を引用して、一つ一つのものに一切のものがおさまっているということから法爾であると説明されている。部分部分に世界の全てが、収まっているというのが華厳の世界である。『華厳経疏』でも同じ様な説明がなされている。『行願品疏』ではその説明が省略されている。煩瑣を避けるためか?
 

・註

  1. 『八十華厳』「如来現相品」大正蔵10・26b

  2. 『四十華厳』大正蔵10・668b

  3. 『四十華厳』大正蔵10・669a



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