『行願品疏』を読む(初週)

なぜ読むのか

澄観の思想ってわからんなあとなったので玄談だけでも読んでおこうと思った。なんで『華厳経疏鈔』じゃなくて『行願品疏』なのかというと、とある先生から『行願品疏』の方が文章が読みやすいと聞いたから。玄談は大体同じようなこと言っているらしい。『華厳経疏鈔』も参照はする。毎週火曜日にノート出せるようにコツコツ読んでいくつもりである。本当に研究ノートみたいな感じに徒然なるままに書いていく。

著者について

著者は華厳宗の第四祖である澄観(738–839)。第四祖と言っても第三祖の法蔵(643–712)との間には直接的な師弟関係は存在せず、思想上にも違いがあるとされる。後日、詳細について別のノートでまとめる。


『行願品疏』について

詳名は『華厳経行願品疏』。澄観自身も関わった般若訳『華厳経』(通称『四十華厳』)に対する注釈。『四十華厳』は『華厳経』の中の「入法界品」を別訳したもの。卍続蔵の七巻に入っている。また、宗密(780–841)による『鈔』が存在するので適宜参照する。

題号

・本文

貞元新釈華厳経疏巻第一

・解説


貞元は785–805年の唐の元号。『四十華厳』は貞元十一年に訳出されたらしい。南天竺の烏茶国の獅子王(名前かっこいい)が唐の徳宗に貢進した梵本をもとにして、般若三蔵に命じて訳出させた※1。

・註

  1. 『仏書解説大辞典』の「華厳経」の項目参照。執筆者河野法雲。

帰敬偈

・本文

稽首歸依真法界 光明遍照諸如來 普賢文殊海会尊 願得冥資讚玄妙(卍続蔵7・472上)

・書き下し

稽首して真法界・光明遍照の諸如来・普賢文殊海会尊に帰依したてまつる。願わくは玄妙を讃えることを冥資され得ることを。

・現代語訳

稽首して真法界と光明が遍く世界を照らすような諸々の如来と普賢や文殊などの海会の内の尊者に帰依する。(私が)玄妙を讃えることに加護がありますように。

・解説

 宗密は真法界以下海会尊までを所帰の三宝と注釈している※1。なるほど。真法界は法宝、光明遍照諸如来は仏宝、普賢文殊海会尊は僧宝ということになる。普通は仏法僧という順番であって欲しい。宗密は「先標法者諸仏之師故」と注釈する※2。そういうのもアリなのか。こじつけなような気がしなくもない。
 真法界や光明諸如来や普賢文殊海会尊のそれぞれについては、後に澄観の口から説明があるはずなので今はスルー。

・註

  1. 『行願品鈔』卍続蔵7・824下

  2. 『行願品鈔』卍続蔵7・828上


目次

・本文

将釈経義、略啓十門。第一教起因緣。第二教門權實。第三所詮義理。第四弁定所宗。第五修証深深。第六彰教体性。第七部類品会。第八流伝感通。第九釈経名題。第十隨文解釋。

・書き下し

まさに経義を釈さんとするに、略して十門を啓く。第一教起因縁、第二教門権実、第三所詮義理、第四弁定所宗、第五修証深深、第六彰教体性、第七部類品会、第八流伝感通、第九釈経名題、第十随文解釈なり。

解説

 現代語訳は省略。華厳宗の経疏は十の章に分かれていることが多い。
 試みに中国における『華厳経』の注釈書を比較してみる。

大体、どの祖師も同じようなものだと思う。『華厳経疏』と『行願品疏』を比較すると修証深深だけちょっと浮いてるような気がする。細かい内容は、多分そのうちわかるだろ。

次回は教起因縁から。

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