今の自分は全て過去の自分がしでかしたこと。



今の自分が惨めに感じる、
そう思うことが少なくありません。

他人と比較して、
特に同じ歳の人や歳下の人が
所謂「普通の幸せ」(結婚や出産、
家を建てる等)
を手に入れているのを間近で見る度に
思うことがないわけではなかったんです。


今でもそれは変わりないです。
結局自分で選んだ結果なんですが
私はなぜ普通の幸せを
手に入れられずに今の年齢まで来たのか、
何故私は普通になれないのか?
こんな自分を他の人はどう思っているのか、
「こんな女にはなりたくないね」と
言われているんじゃないかと被害者意識が
ぐるぐると頭の中をかけ巡っています。
貯金したところでお金だけ溜まって
惨めな老後を送るのでは?
孤独死するのか?迷惑をかけるのか?
この少子高齢社会で更にお荷物な存在
(独身子なし)になるのかと…


でも
そもそも普通って何?幸せとは?と
考えたときに
人と比べるものではないのかなと
思います。
それに最近気づきました。
日本の普通の基準が世界と比べて
大きすぎることに
おそらく普通の幸せとやらを
手に入れたとしてそれはかなり
お金のかかること、
下手をすれば破綻しかねない


それによくよく振り返ると

私がこれまで結婚に至れないほど
これまでの相手の方と
うまくいかなかったのは
私は相手に対してこう思っていました
「この人といると疲れてしまう」
「この人と人生を共に歩む未来が
想像できない」
「早く帰りたい 一人になりたい」
これが本音でした。

それでいつもいつも自分からわかれを
切り出してしまいました。
それに相手の方も私といても
なんだか楽しくなさそうで
お互いに地獄の空間だったんですね。

このような関係性はお付き合いする上で
違うと思うので
それならまだ1人でいたほうがいいと
別れるという形をとりました。


もちろん自分自身に問題があることは
事実です。相手を楽しませることが
できない、コミュニケーション力が
元々なく、一人でいるほうが気楽な
性格もあり、そもそも人といることが
向いていない質です。

このような性格的な問題から
手に入れられなかった、
他の人は恋愛関係なく
友達関係でもお互いに向き合い
歩み寄る努力をして
上辺ではない関係性を築いていける
力を培ってこれたことで
恋愛→結婚まで至ることが出来たん
だと思います。
私はそれをしてこなかったんです。
いつも自分の世界にばかり
閉じこもって人と向き合うことや
歩み寄ることを避けてきました。


誰のせいでもありません。


こんな私でもいつか
幸せとやらを掴めるのか、
それともその普通や世間の幸せとやらを
捨てて、自分なりの幸せを見つけるしか
ないのか迷走をしています。

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