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《KID RETURN》幻のプレミアム版とあの時代

引っ越しで蔵書を整理していて出てきたのがこの《KID RETURN》。この本もまた1986年12月8日発売と、この夜に講談社に突撃した緊張感溢れる一冊(笑)

さて、ラジオを聴いていたようなコアな、現在恐らくアラフィフ以上のファンならきっとこの本は持っている事だろう。

奥付には発行者として高瀬幸途の名がある。元々殿の「たけし吼える!」や「みんなゴミだった」の版元飛鳥新社から太田プロがスカウトし、版権管理会社として新たに設立した太田出版の初代編集長に据えた男で、実はこの俺とは一悶着あったのだが、それはまた別の機会に。

さらに印刷日として1986年11月27日とあり、前回紹介した《小泉記念鑑》は12月26日、「たけしの挑戦状」は12月10日と年末商戦を意識した展開を感じる。

この頃は11月半ばからは年末年始特番の撮り溜めが始まり、それと平行しながら「世界まるごとHOWマッチ(TBS)」「スーパージョッキー(NTV)」「元気の出るTV」「スポーツ大将(ANB)」「オレたちひょうきん族(CX)」「風雲!たけし城(TBS)」「OH!たけし(NTV)」これらのレギュラー番組を撮る。

そしてさらにその間断を縫って単発のスチール撮影(週間テレビジョンの表紙や各種雑誌、FICCE関連)や取材が入り込んで、スケジュールを見ると連日「27時終了」などと書いてある。つまり未明3時がエンド。翌朝はこれまた早朝からレギュラー番組のロケが待っている。さらにそんなハードスケジュールにも関わらず殿は直帰せず“めし”と称し必ず飲みに行くのだ。

絶対的に睡眠は不足する。足りない睡眠時間は楽屋でマイクロ・スリープにて済ませる。また、なぜか車中で殿は余り寝ない。構想を練っているのか、常に景色に目をやり思索に耽り時折ネタ帳に書き込みをしている。

ともかく前年に拍車をかけて過密・苛烈なスケジュールが詰め込まれていた。今のお笑いタレントではこんな過密スケジュールは組まれなくなっているというが、1980年代、特にバブル期の殿のスケジュールはこんな調子だったし、事あるごとに「菊池さんオレ死んじゃうよ!」と怒鳴っていた。

だから時折「オレたちひょうきん族」の撮り──今思えば殿がいなくても撮れなくはない番組──で突発的に“風邪”をひき撮影を休む。これはストレスから来る“ささやかな反抗”であったのだろう。

余談だが同じ「オレたちひょうきん族」出演者のヒップアップ小林さんが高熱で撮影の病欠を打診したところCXから「次回から来なくて良いです」とあっけなく言われ、高熱を押して局にすっ飛んで行ったそうで、要するにタレントが休むとコストロスが発生するので局は困る。特に「タケちゃんマン」はレギュラーコーナーであり、殿が休むと用意したセットや絡むタレントの出演費などで一度で数千万円吹っ飛ぶのだ。

この《KID RETURN》はちょうど10年後の1996年の映画『キッズ・リターン』と直接の繋がりはないが、『Dolls』『菊次郎の夏』と並び“北野武の私小説”として一貫したアンダー・メッセージがある。殿は「浅草キッド」にしても自分が作ったフレーズ・タイトルには思い入れがあり、大切にする傾向がある。

ちなみに漫才師の「浅草キッド」は彼らが勝手に名乗り出しただけで、これも別の機会に書くが殿はその事に関し激怒していた。もっとも当たられたのは傍にいた俺だ(笑)表向きは気持ち良く認めたような話になっているが、逆に「お前らが名乗るんじゃねえ!」などとも言えないのが殿だ。

《KID RETURN》はいわゆるエッセイ集であり、移動の車中や楽屋で書き溜めたテキストを纏めたもの。哲学的な匂いがあるが、あくまで素朴で私的な疑問や願いが書き連ねられており、1980年に入ってからやっと30代で漫才ブームでブレイクした遅咲きの芸人北野武30代最後の“思想クロニクル”とも呼べる一冊だ。当時の殿の年齢をゆうに超えた今の俺が読むと幾分稚拙に感じる点はままあるが、“39才の北野武の心の叫び”が生(き)のまま映し出されていると思う。

当時殿と俺は2人きりになると哲学絡みでよくケンカをしていた。例えばデカルトの「方法序説」に関し「我思う、ゆえに我あり」の“「我」が説かれていない論争”で、これは今なら反省だが殿は口ぶりとは違い「方法序説」を読み込んでいなかった。俺はこの「我」と仏教の「自我」や「空(くう)」の概念と結び付け殿にぶつけたが殿は途中から「なんだい!オマエは所詮俺に喰わせてもらっているただのボーヤじゃねえか!」などと悪態をつきだす。議論の放棄、ちゃぶ台返しだ。これは権力を盾にした「負け惜しみ」とも言える行為で、常に本はさらっと読み複数読み込まない殿の限界だった。俺にとって殿は師匠だが同時に“おやじ”でもある。だからこんな事も今となっては楽しき思い出だ。

さて、この《KID RETURN》は装丁デザインもこれまでの殿の書籍とはガラリと変わって、ポートレートも表紙に使わぬ力が入った出来だが、100冊だけプレミアム版が存在する。これは関係者や発刊にご縁があった方への進呈用で、違いは冒頭の画像の通り“KID RETURN Beat Takeshi Ohta Publishing”の文字が“箔押し”仕様になっており、ピカピカに輝いている。販売版はただの印刷だ。

先日とある方から「Amazon.com」で中古を買ったらプレミアム版で、さらにサインが入っていた旨を聞いたので、30年以上も経ち中古市場に流れたものもあるようだ。ラッキーな方はどこかで入手できるかもしれない。

この《KID RETURN》の頃は当時5社あった写真誌がキャンペーンを張り殿に包囲網を敷き、車は常に追跡され、夥しい数のカメラマンからマンションに張り込みをされていた。今でもこの本を手に取ると、それらの悪意に満ちたマスコミ達に華奢な身体で捨て身で殿を護るべく無我夢中に戦ったあの日々が、厳冬の冷気と共に俺の胸に鮮明に蘇るのだ。

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