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地域に開かれた芸術大学

地域に開かれた芸術大学

夏休みも終わり、10月になり、移転も完了し、これまでのB-LABOの地域とのつながりの集大成としても開催された「いきいきちいさな芸術祭」も無事成功し、これから移転後の芸大を作っていくフェーズへと突入したB-LABO。

「移転先地域」という単語はもう時期消えてしまうのでしょう。今在学している学生の中ではB-LABOが1番使ってるんじゃないでしょうか。

そんなきょうげいB-LABOがなぜ今地域と共生し、たくさんの物語を作り上げるようになったのか。
大きなイベントの狭間にいる今。
いまいちど考えてみようと思い今日のブログを書いています。


1.いきいきちいさな芸術祭

前回のブログでも書いたいきいきちいさな芸術祭。
当日は学長から事務局の方、教授、京都市の方などなど、実は地域の人以外の大学関係者もたくさん訪れ、イベントを楽しんでいただけました。
午前中は地域の人が多かった印象。

今回のいきいきちいさな芸術祭を見てどう思ったでしょうか。

僕はB-LABO代表であり、一地域の中でのプレーヤーとしてこれまでたくさんの人との関係性を作り、ものを作り、企画をし、実践してきたつもりです。

その中でどうしてもこの移転と同時に何か集大成としてのイベントがしたいとこの春頃から思っていました。

また同時に僕だけがB-LABOという制作を通して地域との関係性を作るだけじゃなく、京都市立芸術大学そのものが地域と共生を始める必要があると感じていました。

そうしてこの春「テーマ演習」として授業を立ち上げ、まずは僕の周りにいる仲が良い友達から、地域の中で一緒に制作を始めました。

その結果が今回のいきいきちいさな芸術祭につながったことは僕個人が地域に入り込み、関係性を作るだけでなく、集団として京芸生が地域に受け入れられ始めていると感じる大きな一歩だったと感じています。

2.芸大祭とB-LABO

そんなB-LABOですが、そもそも始まったきっかけは僕が昨年度芸大祭実行委員長を務めていたことです。

芸祭長になって2か月ほどが経った5月。
いろんな縁あって移転先地域の中に入り込んだ芸祭実行委員会。

本部委員だった僕は、来年度の芸大祭を見越して必ず移転先地域との関係性は築いていた方が良いと思い、ほぼ単身で仕事の合間を縫いながら移転先の様々な公共施設や飲食店などへ芸大祭の営業を行いました。

そうした結果、副産物として誕生したのが「きょうげいB-LABO」というプロジェクトです。
(営業していたときにたまたま下京いきセンに行ったことがきっかけ。)

自分の受けてたプロダクトデザインの課題と結びつけたのも、この営業があったから。

その後実行委員会内でもたくさんの移転先のリサーチを重ね、昨年度の芸大祭ではプレイベントを京都駅ビルで開催しました。
ここでは崇仁地域ののお囃子会などもコラボを果たしたりなど、徐々に京都市立芸術大学が地域に受け入れられているように感じました。
芸大祭当日も移転先で知り合った方々に来てくださったことを今でも印象的に覚えています。
昨年度から着実に芸大祭は移転先との関係性を作ることができたな、と思っています。

昨年度8月の関係者向け広報資料

結果として芸大祭2022本部委員は美術が5人、音楽が4人いたのですが、美術からは「きょうげいB-LABO」が、音楽からは「小さな演奏会」という移転先でのプロジェクトが誕生しました。
もちろんこれは芸大祭の業務とは別で進めていたため、広報の段階で生まれた企画として芸大祭後は独立。
今はそれぞれのプロジェクトを新たなメンバーで成長させています。

3.きょうげいB-LABOが提案した、新たな芸大祭のカタチ

そんな昨年度の芸大祭事情でしたが、今年の3月、いよいよ次の世代に芸大祭を引き継ぐときが。
これまでだと前年度本部委員からは1年間の仕事内容や資料を引き継ぐのみでしたが、今年に限っては2023年度芸大祭の新しいカタチを2022年度本部委員から提案をしました。
これは僕や後輩の子たちで進めてきた移転先地域での活動が、今後の芸大祭に良い影響を与えるかもしれないと思ったからです。

当時の資料の中では、移転後の芸大祭の客層はどうなるかや、2023年度は移転直後で新校舎が使えないこと、地域の施設や他の場所でできるような芸大祭を目指してほしいと大学から言われたことなど含め、「地域に開かれた芸術大学」としての芸大祭プランを提案しました。

3月17日引継ぎプレゼン資料
B-LABOの概念図とも似ている

そこには今現在もお世話になっている京都市の職員さんや下京区役所も資料作成に協力していただき、大学が使えない新芸大祭を全力でサポートできるような人脈・環境なども同時に引き継ぎました。

現在の芸大祭実行委員会にこのプランを押し付けるわけにはいかず、「提案」というカタチでプレゼンし、引き継ぎを終えました。

結果として今年の芸大祭本部との開催方向性が合わず、新キャンパスを使う形での芸大祭を進めています。
今年はこの形での芸大祭は実現しませんでしたが、3月時点でこんな案もあったんだということを誰かに知ってもらいたいなと思い、今日のブログには載せました。
今年の芸大祭実行委員もすごく頑張っているらしいので、応援しています。

4.開かれた芸術大学へ

さて去年の話や半年前に終わった話をつらつらしてしまったのですが、今はすでに移転して一週間が経ちました。

僕は今年の4月から芸大祭はきっぱり離れ、きょうげいB-LABOの代表として自分のプロジェクトを成長させる決断をしました。

それは地域に入り込むことに専念し、そこで自分ができることをもっと追求したかったから。
もちろん昨年度進めてきた移転先の取り組みがあったので芸大祭にも関わりたいと強く思っていたのですが、そこで主役になるのは次の人たちです。

そうして今、いきいきちいさな芸術祭が終わり、きょうげいB-LABOは確実に着々と地域の中での芸大生像を作り上げていると思っています。

正直なところ、移転後たくさんの設備のトラブルのことや芸大祭のこと、移転が上手くいってることより上手くいってないことの方が多いことも、何となく肌感で感じています。

今回のブログを書いたことも、今の移転したあとの周りの人を見ていると、たくさんの人が大学や施設に対してネガティブな思いを募らせているからだったりします。

一年半以上前から移転先に通う僕は、そんな移転が学生にとってネガティブなことになっている現状が正直すごく(個人的に)悲しいです。

「開かれた芸術大学」とは別に物理的に開かれるという意味だけではなく、たくさんの人との関わりを築きあげる中で、地域と京芸生が出会い、互いのことを知り、より創造的な制作をすることに大きな意味があるのではと思っています。

僕はさらに沓掛と崇仁どちらとも経験してるからこそ、新しい制作スタイルの確立や模索を過去の京芸を引き継ぎながら未来に残せる唯一の学年なのかなと思い、地域に学びながらも独自の方向で何かができないか、実験的なイベントを繰り返しています。

僕自身移転という大きな変化がないと関われなかった人や社会があり、今はたくさんの地域の人たちに支えてもらっています。

移転があって良かったこともあることを社会に発信していくためにはもっともっと頑張らないとなと思うのです。

今日のブログでは、B-LABOの誕生したきっかけや今までのバイブルを書けてたらと思います。

寒くなってきましたが、皆さん体調にはお気をつけて。ではでは。


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