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金己男氏が死去

【平壌5月8日発朝鮮中央通信】元党中央委員会書記である金己男氏が、2022年4月から老病と多臓器機能不全で病床で治療を受けていたが、とうとう蘇生できずチュチェ113(2024)年5月7日10時、惜しくも94歳を一期に死去した。

これに関する朝鮮労働党中央委員会、朝鮮民主主義人民共和国国務委員会、朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議常任委員会、朝鮮民主主義人民共和国内閣の共同名義による訃音が7日、発表された。

訃音によると、金己男氏は朝鮮革命の思想的純潔さを守って強化し、社会主義偉業の連綿たる勝利を政治的にしっかり保証するための聖なる闘いに全てをささげたわが党と革命の元老、著名な政治活動家である。

1920年代末期に、埠頭労働者の家庭で生まれて苦難の中で少年時代を送った金己男氏は、祖国の解放後、金日成主席の大いなる信頼によって新しい朝鮮の中堅後進に育成され、民主建設時期から戦火の日々まで外国で学業に熱中した。

帝国主義連合武力の侵攻から祖国の寸土を死守するための厳しい戦争が最中であった時に、金日成総合大学で教育活動を行うようになった同氏は、金日成主席の願う通りに廃虚から社会主義強国を打ち立てるための聖業に寄与する有能な人材の育成に専心した。

金日成主席の大いなる政治的信任によって、1956年5月から党中央委員会で活動することになった同氏は、長々60余年間、党の思想的・理論的基礎を打ち固め、チュチェ革命を勝利のうちに前進させる偉業にあらゆる心血を注いだ。

全党に唯一思想体系を確立し、国際共産主義運動の中に台頭したあらゆる反革命的潮流の策動からわが党中央を政治的・思想的に擁護、防衛する活動が差し迫った要求とされた1960年代に、高い政治的識見と理論水準、円熟した筆力で党の偉業に大きな貢献をした。

1970年代に、党中央委員会機関紙である政治・理論雑誌「勤労者」と党報「労働新聞」の編集、発行を担当した責任幹部として働きながら、党の思想建設と指導力強化に積極的に寄与した。

党の指導継承の時期に、党宣伝扇動部門の重責を歴任して確たる領袖観と党的原則性、高い政治的・理論的実力を発揮し、金正日国防委員長の思想と指導に先頭に立って忠実に従って党の権威と戦闘的威力を全面的に宣揚する上で誰も代われないはっきりした功績を積み上げた。

チュチェの革命偉業継承の重大な歴史的転換期にも、敬愛する金正恩総書記の唯一的指導体系を確立し、朝鮮式社会主義の政治的・思想的威力を絶えず高める上で特出した役割を果たした。

革命と人民に対して常に誠実な姿勢と高い責任感を持って党の思想活動の全ての領域で新時代の威力ある攻勢と斬新な発展を堅持して、社会主義強国建設の勝利的道程を輝かしくつないでいくように後押しするのに惜しみない精力を傾けた。

金己男氏は、党と革命、祖国と人民に立てた功労によって、共和国の最高勲章である金日成勲章と金正日勲章、金日成主席と金正日国防委員長のネーム入り腕時計表彰と労働英雄称号をはじめとする高いレベルの党および国家表彰を授かった。

金己男氏は、たとえ逝去したが、党と革命、祖国と人民に対して立てた同氏の業績は偉大な金日成金正日主義偉業遂行の全歴史的道程に末永く輝くであろうと訃音は強調した。

同日、朝鮮労働党中央委員会、朝鮮民主主義人民共和国国務委員会、朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議常任委員会、朝鮮民主主義人民共和国内閣が、故金己男氏の葬儀を国葬にすると発表し、金正恩総書記を国家葬儀委員会委員長に、金徳訓総理をはじめとする100人を委員とする国家葬儀委員会を構成した。

国家葬儀委員会は、故金己男氏のひつぎが平壌市普通江区域西将会館に安置されており、故人と告別するために訪れる弔客は8日9時から20時まで迎え、9日9時に故人のひつぎを出棺すると明らかにした。---

www.kcna.kp (チュチェ113.5.8.)

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