見出し画像

新聞紙

ケータイの普及により、イエデン(固定電話)を持たない人が増えている。 
新聞をとらない家庭も増えているようだ。

この界隈は、中高年の人が多いせいか、月に一度のちり紙交換(古紙回収)の日は束ねたひと月分の新聞紙が玄関先に並ぶ。

在職中夫は、通勤時に日経電子版をタブレットで読んでいた。
それ以前は紙の新聞を、満員電車の中で器用に疂みながら読んでいた。
わたしはわたしで朝日の朝刊だけとって、家で読んでいた。
夫が定年退職してからは、朝日はやめて、日経の電子版と紙の新聞を朝夕刊セットでとっている。

新聞を読むのは子どものときからどちらかというと苦手だった。
それでも、習慣として新聞をめくり、見出しだけ一瞥して、気になった記事は読む。
時間がないときは、切り抜いておいて、後でじっくり読む。
経済の記事はどこよりも詳しいし、文化欄や家庭欄、エッセイなどはわりと熱心に読む。

今や新聞とは名ばかりで、
リアルタイムのネットの記事に抜かれる運命だ。
それでも新聞をとって読む価値はあると信じている。

新聞は読むだけではない。
新聞紙の利用価値が高い。  
何かの作業をするとき汚れないように下に敷いたり、包んでゴミを捨てたり、掃除に使ったり。
新聞紙があるとなぜか安心する。 
他の紙では代用できないような気がする。

noteにまねきさんという方がいらっしゃった。
たまにわたしにもコメントをくださった。
あるとき、新聞記事を読んでそれについて投稿したら、
これを続けてみたら?
とアドバイスしてくださった。
それが頭の片隅に残っていて、今でもたまに新聞記事を題材にしてnoteを書いている。