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「男のお子様」「女のお子様」で異なる基準

4月に小学6年生になる娘が、進学塾の無料公開テストを受験した。
テストの時間中、保護者向けに中学入試動向についての講演会があった。机の上には各種パンフレットと、表と裏の両方に印刷がされているA3の紙が一枚。小さな文字でびっしりと何か書かれている。

説明会が始まり、教室長と名乗る女性が説明を始めた。
A3の紙は「偏差値表」で、表が「男のお子様」用、裏が「女のお子様」用とのこと。

なるほど。私立中学は男子校、女子校も多いし、一枚にはまとまらないのだろう、とぼんやりと「女のお子様用」の偏差値表を眺めていた。

他の人がしていたように「男のお子様は・・・」「女のお子様は・・・」と言われるたびに表と裏をひっくり返し、さもしっかり聞いているように見せかけていたが、はなから中学受験をさせる気もなかったので、内心は上の空だった。ところが、ある言葉が耳に入ってきた途端、ビクンとなった。

「〇〇中学については男のお子様は57、女のお子様は62、と、女のお子様の方が高い偏差値が必要となります。」と。

え?どういうこと?

講演会が始まってからはじめて、ちゃんと聞く気になって顔をあげると、教室長は続けて「男のお子様と女のお子様の定員数が違うので、そのような偏差値基準になっています。」と説明した。

心がざわついた。何、それ。

その後も約1時間、数え切れないほど「男のお子様」「女のお子様」を連呼する話は続いたが、必死にメモを取り裏表をひっくり返す他の保護者を横目に、私には何も話が頭に入って来ず、A3用紙の裏表をひっくり返すことすらやめてしまった。

東京医科大学が女子受験者の試験の点数を調整していたと話題になったのは数年前。その報道を目にしたときも昨日と同じように心がざわついた。「女性は医者になっても結婚・出産でやめてしまう可能性が高い」という考えがあったのかもしれない。でも、もしそうであれば、女性が医者になっても結婚・出産でやめないような仕組みを作るべきじゃないのか、より多くの女性医師を育てなければ医療現場の人不足を解消できないのではないか、そう感じていた。

自分が進路を選択したときには、女性だからという観点で考えることはあまりなかった。さいわい、女性に生まれたことを嫌に思ったり、男性に生まれたかったと思ったこともあまりない。娘にも「女の子だから」こういう道に進んでほしいという希望も期待もしていない。自分のしたいことを、性別にとらわれずにしてもらいたい。でも、私自身がそのような考え方であっても、社会の仕組みで「女性が不利」ということは現実として多くあるのかもしれない、と感じた。

その講習会で心がざわついたのは私だけなのかもしれない。「男女で定員が違うなんておかしいと思います。」と声をあげられるほど私も衝動的ではないし、場の空気を乱すこともしなかった。みんなどう思って聞いているのかと少し見回してみたが、皆一様に無表情で話を聞いている。当たり前にそういう事実が受け入れられ、何の疑問も感じずにいる保護者がほとんどなのかもしれない。ほとんどの家庭において、娘が男女で定員が異なる中学に入りたいと言ったとき「それならあなたは女の子なんだから男の子よりも良い成績を取らないといけないのよ。」と当然のように言うのが現実なのだろう。

講習会後、同席していた夫が「イラっとしてるだろうと思ってた。」と言っていた。お察しの通り。その場で声をあげてもどうしようもないことなので何もしなかったが、何もできなかった自分に不甲斐なさを感じた。今日は国際女性デー。昨日のモヤモヤを文章にして整理したいと思った。

子どもたちの進路について語られる場で「男のお子様」「女のお子様」と、わざわざ分けて語られる必要がない社会になってほしい。

そう発信することが、今の私にできることのひとつだと思う。

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