№6007:「偏った思想」の有害性
こんにちは。FBL大学学長&スモールジム会長の遠藤です。
2013年から「少人数型会員制オンラインビジネススクール(FBL大学)」を運営し、2020年から約20坪タイプの「スモールジム」を全国に展開中です(2024年度内に全国50店舗体制見込み)。
さて、土曜は今週いただいた質問等の中から1つを抜粋してご紹介。
【今週の質問等】
「遠藤さんは『偏った思想ほど有害なものはない』と繰り返し発信しています。自身の思考の整理のために改めてその理由を教えてください」
【私の見解】
「論語」にも「中庸は徳の至れるものなり」という章句があります。
「中庸」の反対が「偏り」ですから「偏りは人間の最低の資質」ということができます。
その有害性を思い当たるままに幾つか記します。
1つは「偏った思想による閉鎖性」です。
「偏った思想」の人は自分以外の視点や意見を「間違っている」として徹底的に排除します。
これにより「偏った思想の者同士」で褒め合い、認め合うようになります。
これが「閉鎖性」を生むことに説明はいらないでしょう。
2つは「対立と分裂」です。
自分の偏った思想や信念に固執することによって、周囲の人と意見が合わなくなり、それが対立構造につながります。
新興宗教がわかりやすいと思いますが、その攻撃性は家族とかお世話になった人にまで向いていきます。
これは「人間として最低最悪の状態まで堕ちている」と思います。
3つは「成長の妨げ」です。
自分の意見を正しいと信じ、周囲を否定することで、周囲との人間関係が崩壊します。
そうなれば新しいアイデアもでなくなるし、異なる視点からのアプローチを排除するようになります。
今の時代に重視されている「多様性」とは真逆の状態です。
4つは「権力の集中」です。
これも新興宗教団体を見れば明らかでしょう。
必ず教祖様みたいのがいます。
新興宗教団体でなくても「思想が偏った団体」も同じです。
「教祖様の意見はすべて正しい」のですからこうなるのが必然です。
5つは「健全な議論ができなくなること」です。
権力によって構成員はマインドコントロールされていますから「それは間違っているのではないか」なんて言ったら「ムラ八分」にされます。
このように「偏った思想」は個人や社会に様々な害をもたらします。
トレーナーとかインストラクターにもこういったタイプが少なくありません。
そういう人たちの現実と照らし合わせれば、上記5項目がすべて該当していることがわかると思います。
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