H68/TR - 68系の始祖かもしれない
昔も今もチップメーカーは、新しいチップを作ると、そのリファレンスと言うか使い方を示すための評価ボードというのを作ります。それは仕様書などでは表現しきれない動作を確認できるようにすると共に、使ってもらい、できればそれを元にハードウェアやソフトウェアの開発を進めて、チップを採用してほしいという目的があります。
パソコンが出るような少し前、まさにNECが8080の評価ボードとしてTK-80を出した頃に、日立も6800を使ってもらうためにH68/TRというワンボードマイコンを1977年にリリースしました。
まあ箱に入っていないですしパソコンとは呼べませんが、操作するためのHPのプログラム電卓のようなコンソールが、とてもカッコ良かったんです。しかも表示が蛍光表示管なんでLEDよりも高級感がありました。
H68/TR
蛍光表示管
モニタROMには簡易なアセンブラまで搭載されていたのですが、表示が7セグなのでニーモニックを出すには少し苦しいところもありました。メモリも1キロバイトしか無かったのですが、評価が目的であればこれで充分です。
H68−TRでタッチタイピングしていた奴
より大きなシステムを作るために、ボードを差し込む4個のコネクタがあるホルダと呼ばれる基板を介して、モノクロまたはカラーのディスプレイ出力ボードやプリンタやシリアルを接続できるボード、最大16キロまでのメモリを増設出来るメモリボードもオプションとして提供され、さらにJIS配列のキーボードも用意され、BASICインタプリタを用意すれば、ほぼTK-80BSに近い構成まで拡張することも出来ました。
H68/TR
H68/TR
ここから80vs68の戦いが始まったわけですが、何だか力技の80とスマートな68という構図を感じてはいました。メモリがたくさん必要になりダイナミックメモリを使いたくなると、自作派にとってはCPUにコントローラを内蔵していたZ80に一日の長があったのですが、メーカーが基板を用意してくれるのであれば関係ないはずです。とはいえ最初のパソコン御三家であるAPPLE、コモドール、タンディはそれぞれ6502かZ80ですから68系はちょっと出遅れ感がありました。日本では日立がベーシックマスターを出したので負けていない感じではあったのですが、68系が巻き返したのは6809が出てからな気がします。
まだOSもなくソフトウェアの蓄積も無い時代なので、素直にCPUのアーキテクチャの戦いではあったのですが、電源や回路の組やすさとコストが決め手の時代でした。
そうそうパソコンが売られるようになっても、このようにボードをコネクタに挿して拡張するスタイルのマイコンシステムは、結構売れていて、CPUごとにコネクタの仕様が統一されて、自由にボードを選んでシステムを組んでいた人も多かったです。
ヘッダ画像は、以下のものを使わせていただきました。https://commons.wikimedia.org/wiki/File:H68-TR.jpg
Tamie49 - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=41042701による
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