熊野古道伊勢路を歩くday2#1
あれから1週間経った。幸い、足の裏の痛みやふくらはぎの筋肉痛もあまり感じず平穏な日常を送る事ができた。
熊野古道を踏破するにあたり一つ決めた事がある。
決して無理はしない。
って事だ。
必ず月2回は歩くぞ!とか、今年中に踏破するぞ!って決めてしまうと、使命感が増え楽しさがなくなるような気がしていた。
だからこの休日も歩くがどうかは迷っていた。
そんな僕の背中を押してくれたのが奥さんだった。
熊野古道を手軽に歩くには、古道沿いに伸びる紀勢本線を利用して、駅から駅までの区間を歩く事が一般的かと思っていたのだが、休日の奥さんが田丸まで送って、ゴールまで迎えに来てくれると言うのだ。
これは乗っかるしかない!
列車の時間に合わせると言うのも、制限時間を作るようでなんとなく嫌。歩ける距離も把握していないので、都合よく駅単位で止まれるかも不安。
そんな不安材料を払拭してくれると言うのだ。
急遽荷物をリュックに詰めて先週のゴールである玉城町の田丸まで送ってもらったのだ。
天気は先週より良さそう。先週の反省を生かして薄めのジャンパーに袖を落として、まだ記憶に新しい「紀州街道の碑」まで連れてきてもらった。
今日のルートは、ここ田丸から熊野古道一つ目の峠、女鬼峠を越えて、大台町の栃原まで行きたい。
ここから熊野古道が始まるって思いや、初めての峠に挑戦するって気持ちから、先週以上に昂っていた。
紀州街道の碑からまっすぐ南下すると新宮まで158kmの道標がある。
よしよし、少ないが確実に減っている。
田丸城の城下町らしいクネクネの道を曲がり進むと開けた場所に出た。
遠くに田丸城跡の丘が見える道は、風除けもなくかなりの強風が身体を押し戻してくる。先週に比べて今日はかなり西からの風が強い。
薄手のジャンパーで来た事が裏目に出た。
とは言え、30分も早歩きで歩けば露出している顔や手以外は熱ってきた。
奥さんに送ってもらった道は、松阪市から多気町を抜けて玉城に入る県道だが、その道を戻るように多気町へと向かって歩いた。
途中、玉城町の野篠と言うところで、立派なお地蔵さんにであった。
このお地蔵。土に埋もれていたお地蔵さんをある農夫の夢のお告げで掘り落とされたと言うのだ。数多くあるお地蔵さんだが、その一つ一つに逸話が隠されている。
また蚊野には東外城田神社がある。外城田小学校の横にある神社は、多くの鳥居が参道に並んでいる。
寄り道する余裕があったので、鳥居の奥まで進んでみた。
神社の境内に続く道は木々に覆われて、強い風を遮ってくれていた。
普段車で走り慣れた道も自分の足で歩く事で知る事、気づく事がたくさんあった。
身近な場所で発見がある喜びを感じながら、向かい風の中、多気町へと歩き続けた。
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