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町石道を歩くと年末気分

毎年末には亡父の墓参りを兼ねて京都に戻ります。その前日には高野山の九度山から町石道を歩いて奥之院に空海さんに年末のご挨拶をするのも恒例になっています。
真言密教への信仰心というのは特になく、どちらかというと学びの対象として、初期の仏教から密教に至るまで、どういうプロセスでなぜここまで世界観や教義が変化したのかという点に興味があります。余談ですが、ゴーダマ・シッタールタさんが普及したかったのは、最近逆輸入されている宗教色が廃されたマインドフルネスにむしろ近いのではないかと考えている今日この頃です。今生きている世界を、様々な執着、欲を、強制されることなく自ら捨て去って、そして一度の生を静かに全うする。私には程遠い境地ですけれどね。。

ではなぜ毎年に町石道を歩いて奥之院に行くかと言うと、まず空海さんが人物として好きなのですよね。官僚養成学校にいたまだ若い頃に、血筋や身分で将来が固定されいてることを嫌ってその枠外に身を投じた行動力。恵果に会う前に自身への関心を喚起する、あるいは帰国時もすぐに京都に向かわずに持参の経典の目録のみを送り焦らすことで自身の付加価値を高めた戦略的思考とプレゼンテーション能力。嵯峨帝をも魅了した人心収攬術。卓越した語学力、文章力。身分を問わず、且つ無料で学べる学校の開設。その魅力は枚挙にいとまがありません。
現代に生きておられたら、最新のテクノロジーを活用して人々の生活を向上させる世界的企業を立ち上げられ、それだけでは飽き足らずに政治家としてその影響力を行使されていたのではないでしょうか。

また奥之院の独特の雰囲気に惹かれるのに加えて、手前の、と言うか高野山の中心である壇上伽藍には、私の好きな檜皮葺の御影堂や不動堂など美しい建物が巨木に囲まれて林立している。
せっかくなら、歩きやすい道を達筆で文字の描かれた町石に導かれつつ赴く方が、電車やケーブルでいきなり到着するよりも気持ちが盛り上がる。

そんなこんなで前日に仕事を納めた12月28日、今年も町石道を歩いて空海さんに年末のご挨拶でした。
自宅の大掃除はやり残したままで。。

雰囲気を感じていただく写真は昨年末にnoteに上げているのでそちらをご覧いただくとして。

昨年上げていないけれど、ご紹介したい建物をご紹介。

壇上伽藍 西塔

壇上伽藍では派手で巨大な根本大塔が存在感を主張していますが、東塔と西塔が建築物としては惹かれます。
西塔は残念ながら(?)檜皮葺ではなく銅瓦ですが、その侘びていながら威風堂々たるその姿が魅力的です。雪に包まれているとその枯れた風情がさらに際立ちます。1800年代に再建された新しい建物なのですけれどね。古ければ良いと言うものではないという好例だと思います。

杉木立と調和する西塔

杉の木立の中で異彩を放つことなく調和しています。
倒木で破損してしまった美しかった室生寺の塔の事例もありますので、そういった点では心配ですけれど。

御影堂の奥に根本大塔

美しい御影堂を愛でつつ、派手なコンクリート造りの根本大塔脇を進んで。

不動堂

大好きな不動堂の屋根の優美な曲線を堪能した先

壇上伽藍 東塔

小じんまりしていますが東塔も檜皮葺で、落ち着いた色合いで好ましい。

壇上伽藍は、宇宙を表すという曼荼羅と同様に、形式に則って配置されているようです。ただ、素人の私は、単にその雰囲気と自分好みの美しさに惹かれるのみです。

恒例行事を経て、年末気分が高まって参りました。

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