見出し画像

母親の視点で ~ケの日のケケケ

「ケの日のケケケ」特別版の放送があったので視聴した。
今回は主人公の母親にフォーカスを当てて感想を書いてみようと思う。
以下、ネタバレを含むので注意されたい。

主人公あまねの家庭は、母親・響子とあまねの2人暮らし。
どうやら父親と母親は離別したらしい。
あまねは母親のことを「響ちゃん」と呼ぶ。
毎朝、朝食作りはあまねの担当で、響子は
「今日も美味しい」
と毎日同じメニューの朝食を笑って食べている。
ご機嫌な時に「ケケケケケ」と笑うのも、響子とあまねは「お揃い」だ。

あまねの最大の理解者である響子。
響子がどうして元夫と離別したのかは正確には分からないが、正論を述べる元夫に対して、響子はとことんあまねに寄り添おうとしたのではないかということはじゅうぶん推測できる。
自分の正義を信じて、娘を治して普通に近づけようと、努力という名の無駄でしかない苦痛を娘に強制し続けたであろう元夫に対する落胆と絶望。
すれ違いは修復困難な溝になり、娘を守るために離婚。
そのとき響子はきっと「私は娘の全てを受け入れる」「何があっても娘を守る」と心に誓ったのではないか。
だからこそ、響子はあまねに好きなようにさせた。
しっかりした母親であらねばという鎖も断ち切った。
外では自分の好きなように仕事して、家では娘のいちばんの親友のように、
お互いが居心地のよい距離で過ごしていた。
ご機嫌なケの日の連続だったはずだ。


しかし、響子に彼氏ができる。
やがて、響子のお腹には新しい命が宿る。

子どもの泣き声は特に「神経をフォークで裂かれるように痛い」と感じるあまねにとって、響子の妊娠はどうしようもない絶望、裏切りにも聞こえる。
努力すれば、少しずつ慣れていけば、克服できるのではないか。
そう言う彼氏・龍に、響子の考えも染まってしまったかに見える。
龍のように、一見あまねの辛さに寄り添う理解者に見えて、あまねに拷問としか言えない不毛な努力を強いる「全くわかってないヤツ」が、担任教師のように剥き出しの差別感情をぶつけてくる人よりも、ある意味しんどい。

響子には、あまねのために諦めてきたことが数えきれないほどたくさんあるだろう。

娘と一緒にテーマパークではしゃぐこと、
娘と一緒にショッピングセンターで服を買ってフードコートでアイスを食べること、
娘がスポーツをやるなら、試合に応援に行くこと、
娘が音楽をやるなら、発表会を聴きに行くこと、
娘が寂しがっている時に抱きしめること…

あまねを妊娠した時に夢想したかもしれないそのような未来は、響子には訪れなかっただろう。
それどころか、どこへ行っても耳を塞いで逃げ出して泣き出す我が子を追いかけて、どうしていいのかわからず途方に暮れて、家に引き篭もっていた時期もあったかもしれない。
あまねの感覚過敏の特性がわかってからも、必死に治療方法を探したり、治すのが無理だとわかってひとり涙する夜も、
学校に合理的配慮を求めても断られて、娘の居場所はどこにあるのかと絶望した夜も、きっとあっただろう。

そんな響子に、どうして今さら彼氏など作ったのかと言えよう。
響子にだって、自分の幸せを追求して好きに生きる権利が当然あるはずだ。

響子は本当に龍に染まってしまったのか。
染まってしまった、と言うより、染まりたかったのかなと思う。
一度諦めたお母さんとしての小さな幸せたちを、もう一度だけ夢見たかったのな、と。
あまねが高校生ということは、響子はおそらく出産できるギリギリの年齢だろう。
あまねとの2人暮らしも確かに幸せだ。
でも、もし、もう少し違う形の家族の幸せがあるのならーー
そう思うのは、理解できる気がする。

あまねに「お姉ちゃんになるんだよ」と告げたものの、あまねからは祝福の言葉は無い。
祝福されないのも辛いし、娘を母である自分が追い詰めているのも辛い。
自室に逃げるあまねを感じながら、普段はあまねの仕事であるはずの食器洗いをする響子。
そのシャワーの音が、響子にも刺さるように痛かっただろう。
わざと強く流して、自分を痛めつけているようにも思えた。
芝居のことは素人ながら、このときの響子の表情がほんっとうに痛々しくて、絶品であった。
さすが尾野真千子である。

あまねと響子の2人だけであった家族は、生まれてきた赤ちゃんと龍を加えて4人になった。
新しい家族の未来がどうなるのかまではわからないが、あまねの「たゆまぬ努力」によって、樋口はあまねの特性を受け入れつつあるように見える。
響子が龍や下の子とあまねとの間で板挟みにならないといい。
響子にもケケケと笑えるケの日ができるだけ多くありますように。
そう願わずにはいられない。

この記事が参加している募集

テレビドラマ感想文

ドラマ感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?