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「個性」の前に「型」を身につける

もしも突然目の前に真っ白な画用紙を渡されて「自由に絵を描いてください」と言われたらどうしますか?

喜んで筆を走らせる人もいるかもしれませんが、一方で「何を描いたら良いのかわからない」と途方に暮れてしまう人もいるのではないでしょうか。

何となく描きたいイメージはあっても、実際に表現することができなくて困ってしまうこともあるかもしれませんね。



実は「文章」もこれと似たようなモノだと思っています。

「自由に書いて」「自分らしさを表現して」「個性を出して」といきなり言われても、アウトプットするための回路がうまく機能していないとできません。

うまくアウトプットできるようになるためには、「練習」が必要です。その第一歩が「型」を身につけることだと考えています。

まずは基本パターンとなる「型」を理解し、その「型」に当てはめるような形で自分の文章を作っていくことから始めます。そして、徐々にバリエーションを増やしていき、目的や状況に応じて、いろいろな「型」を使いこなせるようになることが1つのゴールです。



「型にハマった文章なんてつまらない……」
そう考える人もいるかもしれません。

たしかにその人らしい「個性」とか「味」が感じられるような文章には、一種の魅力がありますよね。

ただし、世の中で求められる文章の中には、「わかりやすさ」や「明確性」が求められるものもあります。

たとえば、説明書やマニュアル等の文章で重視されるのは「わかりやすさ」の要素です。文学の世界で評価されるような文章は、ここでは求められていません。



以前、哲学者である野矢茂樹先生が対談の中でこんなことをお話ししていました。

まずは、誰が読んでもわかるような「普段着の文章」を教えなくちゃいけない。そう言うと、「そういう授業はつまらないんじゃないですか」って言われることもあるんです。でも本来の教師の喜びって、職人芸を見せつける喜びじゃなくて、できなかった子供ができるようになるのを見る喜びですからね。

〈対談〉 新井紀子✕野矢茂樹
生きるための論理

この「普段着の文章」というのは、まさに言い得て妙です。個性云々の前に
まずは誰が読んでもわかる文章を書けるようにする必要があります。

文章の「型」を学ぶということは、自分が使える「道具」を増やすということでもあります。すなわち、表現の幅を広げるための練習です。身につけた技術をどのように活用していくかという部分に「個性」が宿ります。


一見矛盾しているようですが、「個性」を表現するためには「型」を理解する必要がある、というのがわたしの持論です。

もちろん中には例外もあるかもしれませんね。稀に無意識のうちに基礎を肌で学び取り、自然と使いこなしている人もいるでしょう。ただし、大多数の人はそうもいきません。


「文学としての国語」と「語学としての国語」を分けて考える必要があると思います。今回のトピックとして取り上げたかったのは、後者の部分です。

国語の学習に関してはいろいろな考え方がありますが、ぜひその中の一つとして参考にしていただけたら嬉しいです。



みな




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