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「メディア学」を大学院の専攻にして。

ベルギー(とイタリア)の大学院で、メディア学(media studies)を専攻してきました。

私は元々大学でリベラル・アーツの学部にいて、社会科学を中心に学んでいました。とはいえ分野が幅広かったため、「もう少し深く専門的な見識をつけたい」と考え。何をテーマにしようか、と思い至ったのが「メディア・コミュニケーション学」でした。

緘黙症と文章

メディア学は「コミュニケーション」と合わさり、「メディア・コミュニケーション学(Media and Communication Studies)」とよく称されます。

私は「コミュニケーション」への関心が長らくありました。例えば幼少の頃、緘黙症に悩んでいました。簡単な言葉を発するだけでも難しく、学校にいては全くの無言状態。「自分だけ話せないのはなぜだろう」と、黒い羊(black sheep)になった感覚で小中学校の大半を過ごします。

ひとつの転機は「文章」。一時不登校に陥り、カウンセリングに行きました。そこで精神科医の先生に「今悩んでいることを文章にしてごらん」と励まされます。A4紙の両面にびっしりと書き起こし、読んでもらえました。そのとき初めて誰かに「伝わり」、救われたような感覚を覚えます。

皆が当たり前にしている口頭の会話でなくとも、文章という手段を通して、考えを伝えられる。そのときから、コミュニケーションの「手段(メディア=medium/媒体)」に関心が高まりました。

「異邦人」の感覚

また、私は高校に三年間通いませんでした。大人と話す機会はありましたが、1,000日間を超える日々の中で、同年齢の人とはたったの一人とも話したことがありません。

その後大学に入り、困惑します。周囲の人たちは、高校での生活という共通体験をベースに話をしているのですが、私にはそれがありません。何を取っ掛かりにして会話を深めていけばいいのか、よく分かりませんでした。

留学生が多いキャンパスで、自分はどちらかというと、高校からストレートで上がってきた日本の正規生よりも、外部からやってきた他国の学生らにシンパシーを覚えます。「同じ」であるよりも「違う」が前提のコミュニケーションの方が、居心地が良かったのだと思います。

例え国籍や言語が同じでも、全く共有できないことがある。そんなズレを意識し続けたせいか、「伝わるとはどういうことか」というテーマに、人並み以上に敏感になったのだと思います。

海を超え、発展してきたメディア。

より話を拡張すると、「価値観も考え方もバラバラな人たちが、どのようにものを伝え合っているのか」という点に行き着きます。

ひとつおもしろいなと感じたのは、ヴェネツィアです。

東地中海のど真ん中にある、海洋国家。北はドイツやイギリス、西はフランスやスイス、東はダルマチアやオスマン・トルコ帝国、南はエジプトやチュニジア等、中世にまざまざと異なる民族群が一箇所の小さな島に押し寄せ、交易していました。

もちろん、国も歴史も言語もバラバラ。そんな彼らが交易し合うわけですが、お互いの「価値」をどう客観的に担保すべきなのか? 例えば法律、通貨、所有権などの抽象的な概念を、万人が納得できる形の規矩準縄にするのは、意外と難しいことのように思えます。

その結果、イノベーションが栄えます。ひとつは「複式簿記」です。今でも当たり前の「借方」と「貸方」で行う会計手法ですが、ヴェネツィアにその起源が見られます。

また、書籍や出版の文化も、この島で栄えます。

「グーテンベルクの活版印刷」というと、歴史の教科書によく書かれていることですが、当時はかなりの大型本でした(図書館に置かれてるような)。

それを、誰でも持ち歩けるような文庫本にしたのがアルド・マヌーツィオ。ヴェネツィアの出版人です。イタリック体やページ番号など、「誰でも読みやすい」UXを追求しました。

今でいえば、デスクトップ型の据え置きしかなかったパソコンを、ノートパソコンやスマホにして、モバイル(mobile)にしたような感覚でしょうか。

中世のスティーブ・ジョブスというと大袈裟かもしれませんが、私はどこか似たように捉えています。「情報とデバイス」の普遍化を促す発想は、まさしく異なる民族同士が顔を突き合わせる、海(=外部)に接した地域ならではと感じます。

世界中で4億人以上が使うPaypalも、大洋に面した多民族的な風土(シリコンバレー)で生まれています。イーロン・マスクやピーター・ティールを始めとし、YoutubeやLinkeInの創業者らを生み出した「Paypalマフィア」ですが、今日の「メディア」の主要な担い手でもあります。

古来に立ち返ると、フェニキア人によるアルファベットも挙げられます。

ローマやヴェネツィアよりも前の時代。地中海で交易ネットワークを創り上げたフェニキア人ですが、今も何十億人が使う「アルファベット」は、彼らの文字に由来します。

それまで煩雑で画数も多く、コスパの悪かったヒエログリフや楔形文字を改善し、線だけで簡便に(どんな人でも)書けるようにしました。プラクティカルに誰とでも交易できるように、権威だった表意文字(神官や王侯など限られた層しか使えない)を、崩していったんですね。

複式簿記、文庫本、Paypal、アルファベット。人間のコミュニケーションを円滑に媒介する「メディア(媒介手段)」は、いずれも「違う」集団が互いに衝突し合う環境(特に海)でこそ、発達したのではないでしょうか。

振り返り — 私にとっての「メディア学」

「異なる他者に伝わる」ということを、私はずっとテーマにしてきたのかもしれません。当たり前に口頭で伝えられなかった際に感じた挫折感。それが、コミュニケーションの伝達手段(media)そのものに関心を寄せることとなりました。

「仲介」でしかないものに、普段から特別な意識を向けられることはありません。ただその発展史を眺めてみると、異なる人間同士が「意味の交換」をどう実現させてきたかが分かる。

私がメディア学に面白みを感じるのは、そんな試行錯誤を、自身の生き方に重ね合わせる部分があったからかもしれません。

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