「失われた30年」に加担してきた会計士

公認会計士試験合格者のみなさま。おめでとうございます!

みなさまのこれまでの筆舌に耐えがたい努力が実り、本日の結果につながったのだと思います。

過酷な試験勉強の日々を乗り越えて勝ち得たこの結果、喜びも一塩のことと思います。

本当におめでとうございます!

さて、そんなめでたい日に全く空気を読まずに敢えて辛辣なことを申し上げたい。まだ、何色にも染まっていない今のあなたにこそ聞いてほしいと思っており、今日のこの合格の日にこの内容でブログを書くことを決めました。少しお付き合いいただけると幸いです。

ちなみに僕は15年前に会計士試験に受かり、これまで大手監査法人、事業会社、経済産業省、法律事務所、社外役員など複数のお仕事をしてきている独立会計士です。

「失われた30年」に加担してきた公認会計士

「失われた30年」という言葉に象徴されるように日本経済はこの30年間低迷してきたわけですが、実は公認会計士もこの「失われた30年」に加担してきたのではないかという仮説があります。

僕の仮説の根拠は、厳格監査に象徴されるここ最近の監査の在り方が「失われた30年」の原因に大きな影響を与えているというものです。

オーバープランニング、オーバーコンプライアンス、オーバーアナリシス

「失われた30年」の原因分析は様々な経済学者、経営学者が行っていますが、その中でも野中郁次郎先生(一橋大学名誉教授、UCバークレー特別名誉教授)の分析を取り上げたい。

先生は日本企業の失われた30年の原因は「オーバープランニング(過剰計画)」「オーバーコンプライアンス(過剰規制)」「オーバーアナリシス(過剰分析)」の3つにあると説明されています。

会社経営をするにあたり、プランニング、ガバナンス、アナリシスいずれも必要不可欠な要素であるが、これらすべてを過度に行うことでが企業から知識創造が失われ、結果、企業の競争力が削がれてしまったと結論づけています。

そして、日本企業の競争力の低下を招いた原因である「オーバープランニング」、「オーバーコンプライアンス」、「オーバーアナリシス」の3つに監査が拍車を掛けているというのが僕の仮説です。「厳格監査」という一見すると正当性のありそうな大儀の下、図らずもこの3つの過剰に監査は加担してしまった。

これが僕の仮説の全体像です。

なぜそんなことになっちゃったのか?

端的に言うと、会計士の多くが社会的使命を忘れて、自らの保身に走る人が増えたからだと考えています。

厳格監査とは誰のための監査だろうか?それはクライアントのためか?投資家保護のためか?資本市場の発展のためか?

例えば、、、

  • その監査手続を追加的に実施することでクライアントのどの点が改善され、どの点が会社の便益につながるのか?

  • その監査手続がどの点において情報の信頼性が高まり投資家保護につながっているのか?

  • それがひいては資本市場の発展に寄与しているのか?

これらの問に明確に解答できる会計士はどれほど存在するだろうか?

何か問題があったときに自己が責任を追及されないように自己防衛的な観点で監査手続を年々増やし続けているのではないか?それを厳格監査という名の下に正当化しているのではないか?

というのが僕の見立てです。

仮にその見立てが正しいとするならば、会計士の自己防衛的な対応による受益者は責任を回避できる会計士自身であり、クライアントが、投資家が、ひいては資本市場全体がこのコストを負担していることになる。

これが僕が「失われた30年」に会計士が加担していると主張する背景になります。

今年会計士試験を合格したあなたに伝えたいこと

上記は所詮僕の仮説に過ぎず、「失われた30年」に会計士が加担していることを示す証拠を提示することはできません。

なので、あなたにお伝えしたいことは、あなた自身の目で確かめていただきたいということです。

公認会計士は「失われた30年」に加担しているか、僕の主張なんて全くの的外れで全然そんなことはないのか。

もし、あなたが「失われた30年」に加担していると思うならば、是非抗ってほしい。疑問を抱えている方はあなた一人ではないはずです。あなたの隣にもあなたと同じような違和感を持っている人はずです。それも1人ではないはずです。

仮にあなたが違和感を抱きつつも、自分をごまかしてやり過ごした場合、あなたは図らずも「失われた40年」「失われた50年」に加担する側になります。

すべてはあなたの目で見てあなたの頭で判断してほしい。公認会計士試験に合格したのだからもう十分に判断する力は備わっているはずなので。

今日から始まるあなたの公認会計士人生が幸あれ!!


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