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障害のある子へのかかわりと支援(始まり部分)について

以下は、息子が広汎性発達障害の判定を受ける前~受けてからの初動とその効果について書いたものです。実際は、家族にも本人にも多くの困難がありました。幸い、本人は成人して、毎日作業所に元気に通っています。子が発達障害かもしれないと思う人も、そうでない人も、参考にしていただければ幸いです。親がどうするというより、いろんなところの支援を受けると楽になりますよ、ということが今回の主題です。

1 大学での学び


私は前世紀、大学で法学を学び、民事法の社会保障分野のゼミに入ったので、高齢者や障害者福祉のことも学び、接してきました。そのゼミでは、障害のある人自身が主体になり、自治体や国と積極的にかかわり、制度を活用しながら自分の生を切り開く、実践の中で学ぶことをモットーにしており、裁判に関係する方とも関わりました。その中で、障害のある人たちがよりよく生きるためには、ほかの人たちと同じように、「自分で生き方を決められる」ことが何よりも大切だと学びました。憲法第13条に書いてある(幸福追求権に基づく自己決定権の保障)。やつですね。私は憲法の中で、一番大切な条文と思っています。

2 当時の障害のある人たちをめぐる状況


実際、働く場が当時なく、養護学校(当時。現在は特別支援学校)を出ても自宅で過ごすしかなかったり、授産施設で作業して賃金をもらう、というような過ごしをする。知的に問題がないとされた人は、困難ながらも環境調整がされていない一般企業で苦闘する、という感じでありました。現在に比べても制度やサービスが未整備のなか、志のある方々がかろうじて支えてきた領域という感じでした。生きるのがやっと、という感じです。(余談ですが、現在路上生活をされている方の中にも障害のある方は多くいるように思います。)

3 親たちの活動の成果(当時)


親(当時は母親がほとんどでしたが・・)がいろんなところに掛け合い、子が過ごせる場を一生懸命につくり、作業所をつくって運営するところまでボランティアで関わりました。仕事で引っ越ししてしまいましたので、そこまでしか関われませんでしたが、現在、B型、生活介護といった形になって続いているかと思います。当時幼かった子たちは大人になっても元気に通っていると。親は子より早く亡くなります。

苦労はありましたが、親子で楽しく遊んだり、アートなどの活動もしたりして、大変な中でも楽しく過ごせるよう工夫されていました。

4 親としての行動や指針など


結婚でき、子に恵まれ、上の子がそうであったことが分かったとき、育てるところはもちろん素人でありますが、制度については結構知っていた、というのもありました。このため、言い方は悪いですが、使える制度はできるだけ使い倒そう、頼れるところにはとことん頼ろう、と当初から割り切って動きました。

親に対する教育というのも受けました。本で書いてあることがほとんどで新たな知見というのはなかったものの、そういう場に行くことで、同じ悩みを抱える親に出会ったり、地元の支援体制に触れ、どう利用されているかを知ることができましたので、行ったことは無駄ではありませんでした。

このことで、妻は認定心理士を受けられるくらいのカリキュラムを大学で履修したりしました。

いろいろなツールも試してみました。幼いころは。視覚優位なので、絵カードを作るとか。うちの子にはあんまり効果なかったかもですが・・。大きくなったら言ったらわかるようになったし、要求も自分で言えるようになっています。これは試行錯誤の中、いろんなところで学んだおかげだと思っています。本人視野を限定すること選択注意が行くような工夫、シンプルな指示、遅れない意味付けは(行動療法的に)重要でした(最近はもっと発達していると思います)。穏やかな子に育ったのは大きな成果です。

5 判定


赤ちゃんが生まれてから3か月検診、6か月検診、1歳半、3歳、(6歳)と検診があったように思います(当時)が、どこかのステージでそういうお話があります。目線とかやりとりのチェックで。うちは1歳半まではわかりませんでしたが、3歳になる前に子育て支援サークル(一般の子向けのボランティアのやつです)の支援員の方から、「自閉症かも」と言われて、そのあといろいろと調べてみて発覚、という感じでした。3歳児検診はそれを前提に受けたのでそこまでショックというわけではありませんでした。

6 初動(手帳取得など)と、制度に基づく支援を受けるメリットについて


私たちは、判定を受けたとき、速攻で療育手帳を取りに行きました(市役所等で相談→児相→申請)。手帳があるとメリットがあると知っていたからです。レッテル貼りとか精神的なダメージはもちろんありましたが、そんなの関係ない、くらいにメリットがあるのです。ざっと思い出すだけでも以下のとおり。

・各種割引を受けられる(交通費、各種公共施設、結構多くの民間施設)
・所得控除が受けられる
・自治体からの手当(特別児童扶養手当など)の申請要件になる
・児童相談所のサービスを受けられる
・(診断から)精神科の先生との定期的なアセスメント
・公立小学校の選択が可能となる
・就学前の専門施設利用
・移動支援、放課後デイサービスや日中一次支援利用
・障害年金の受給(20歳~)→「診断書」が必須=(児童)精神科医とのつなぎが必須
・相談支援事業所のサポートを受けられる
(福祉サービスへのつなぎ、推薦、調整いただける!)

コストがかからないどころか、資金・サービス面での支援が受けられる!自力でやろうとすると気が遠くなります。めちゃめちゃメリットがあって、とても無視できるものではないのです。制度を利用することは自分の身を守ることにつながりますし、本人のQOLに直結するので、一歩踏みだすことは極めて重要と言えます。できるだけ早く、支援のレールに乗せる。国や自治体、様々な団体のサービスを受けることは、何よりも子の育ちにプラスになります。経済的支援があって外出もしやすくなりましたし、かかわりを増やすことで応援団を増やし、対人スキルも(あくまでも子なりにですが)自宅にいるよりも育ったと思います。親の日常的なかかわりはもちろん重要ですが、その大きな支えになります。

ここまでやると情報は自然に入ってきます。気楽にいきましょう。

手帳をもらえないような高機能な子でも、上記のいくつかのサービスは受けられます。何よりも、学校での環境調整につながるので、(できる範囲でですが)勉強できるような仕掛けを作ってくれます。それでも、当時神奈川県ではIQ92くらいまでもらえましたので、だいたいのサービスは受けられました。

7 健やかな育ちのために


自閉症の子は、対人でネガティブな反応を受けることが定型発達(最近はそう言うのでしょうか)の子に比較して多く、自尊心が育ちにくいと言います。避けられたり、叱られたりしやすいのです。わが子をみてもそうかなと思います。気を付けても、どうしても。自尊心は、大人になって一人で生きていけるための親からもらえる大事な弁当の一つ、と思いますが、その大切な自尊心が支援を受け外に出ていろんな方と接する中でだんだん育っていくと思います。また、いろんな反応をその中で少しずつもらい、タフになっていく。そう信じています。みんな生きていていいんだ、というのは当然なのですが、そう思えるためには自尊心が育つ、親から愛される+αが必要なので。
そういう場は親の力だけでつくるのは大変です、というかほぼ無理。とんでもないお金持ちなら別ですけど・・。

先にも言いましたが、一般的に、親は子より早く亡くなってしまいます。うちはきょうだいがいますが、負担にならないよう、手当は早くからしておく必要があります。そのため、いろいろなことを親が元気なうちに調べ、手配しておくことで安心できます。


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