10月28日(木)早朝

父を自宅で看取った前後1ヶ月の記録。

今日が1日実家にいれる最終日。

昨日は、朝から網戸を全て外してゴムを外す作業をした後、親友とランチしに草津まで。

この1ヶ月、完全に自分の用事をしたのって、携帯電話の機種変更と友達とのランチだけだったな。

ランチして帰ってきてから、また、網戸手伝ったし。

我ながらがんばってると思う。

下手くそであまり役に立ってるわけではないんだけど。

母は、ずっと何かの作業をしているので、晩御飯もよく作った。

母は、ご飯の準備や買い物についてあまり気にしなくてすんだと思うので、それだけでも役に立ったかも。

自分は、大崎上島に住んでいるので、今後は大して役に立てず、妹が主に母を支えていくことになると思うけど、父が亡くなって2週間、しっかり手伝ったと思うので、少し心は軽い。

快く休ませてくれた職場に感謝だ。

うちは、お金に余裕があるわけでなし、近くに住んでいるわけでもないから、仕事を休んで、一番大変なとこを手伝えて良かった。

今日、大型ゴミを出したら大きな作業は終わり。

溜め込み体質で多趣味だった父が残している数々の物を処分していく母の日々は、まだまだ大変そうだけれど、すっきりした家で、気持ちよく暮らすという目標に向かってぼちぼち進めていくだろう。

家の作業でひとりではできない部分は、妹の連れ合いががんばってくれたので、ほぼ終わったし。(私は手伝っただけ。)

みんなが自分の得意分野を頑張ったので、短期間で、生活が整ってきた。

父の死後、「悲しみにくれて何もできない」、というより、「父のためにやれることは全てやりきった」という気持ちで、ずっと前向きにいれたな、と思う。

一番しんどかったのは、父が治らない病気と判明して、入院している間だったな。入院している間にどんどん悪化していってたので、入院中に死んでしまうのかも、と、思うと、本当に1日1日が長かった。

島にいる間は、仕事を休む準備を整えて、自分の家族ができるだけ困らないように準備して、と、目まぐるしくて、実家にたどり着いた時が一番体調も悪かったし。

実家に着いて、父が運ばれて、好き勝手し始めた時には、びっくりした。

私にとっては長い12日間だったけど、介護側の体力がなんとかもったし良かった。

途中で、私は父の介護を離脱し、後方支援に回ってしまったけど、なんとか最後まで投げ出さずに手伝ったしね。

12日間、家族にだいじにされて、好き勝手していた父が目に浮かぶ。

病気はしんどそうだったけれど、大切にしてもらって楽しそうだった。自らお別れの電話をしまくる人間って、なかなかいないよね。

本当に家のこと、なーんにもしてないし、物は溜め込んでるし、父の遺影に向かって「じっちゃーんっ」て何度も叫んでたけど、まあ、憎みきれない人やったな。

生きてる間も母に苦労をかけてたけど、まだ苦労をかけてるで、と、思う。

でも、母にまだ片付ける気力、体力があること、片付けが終わった後も、まだ、自由にできそうな時間があるので、その時間を母にプレゼントしたと思えば、救われるかな。

遺族年金も、ひとりで暮らせるくらいにはあったし。

母は、しばらくは、寂しいと思うけど、また、楽しいことを見つけていく人だと思うので、さほど心配はしていない。

私は、ぼちぼち私の現実へ。

私に実家との時間をくれた私の家族に感謝。

毎日毎日電話をくれた次男くん。

元気な声にどんなに助けてもらったか。ありがとう。

つぶれそうになったときに助けてくれた夫。ありがとう。

飄々と生きてくれていた長男くん。マイペースっぷりに癒された。ありがとう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?