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『おれ、カラス クリスマスの奇跡』最終話(全三話)

「すごーい。パパ、すごいねーっ! はやーい。見て、パパっ! あれ、チョーきれい」

ふしぎちゃんは、サンタクロースの家に着くまで、トナカイに引かれたソリのなかではしゃぎっぱなしでした。

「チョーきれい」なんてことばを、もし、すずが耳にしたら、ふしぎちゃんは怒られること間違いなしです。

それくらいふしぎちゃんは、初めて目にする光景、そして、ソリに乗って空を飛んでいることに、我を忘れるほど興奮していたのです。

やまちゃん、プチさん、サンタクロース、ふしぎちゃん、そして、はしちゃんたち四人と一羽はサンタクロースの家に到着しました。

日本と時差があるここは、まだ朝の十時をすこし回ったところです。

真っ黒な顔をした同じような顔つきの小人たちが、みんな一斉に仕事の手を止めて、家の外に飛び出してきました。

「おっ! 相変わらず黒いな。こいつら......」

久しぶりに自分の分身の小人たちを見たやまちゃんは、懐かしいやら、なんやら、複雑な心境です。

「わーっ! 小人さんたちだ。かわいい。けど、みんな真っ黒だね。いまのパパみたい」

真っ黒なオーバーオールに、真っ黒な作業帽を被った、真っ黒な顔の小人たちは、いわばみんなやまちゃんの分身です。

「そりゃそうだろうよ。だってこいつら......」

「はしちゃん!」

軽いノリで小人の正体をふしぎちゃんにバラしそうな勢いのはしちゃんを、やまちゃんはすごい目で睨んでいます。

「はしおじさん、なに? こいつらって......」

「いや、ふしぎちゃん。なんでもないよ......」

尚も『それはいうなよ』と無言のプレッシャーをかけ続けるやまちゃんを横目で見ながら、はしちゃんはことばを濁します。

「こんにちは、小人さんたち。はじめまして。あたし、ふしぎです」

ふしぎちゃんを不思議そうに見ていた小人たちは、手をつなぐと、ふしぎちゃんのまわりをくるくる回りながら踊りだしました。

やまちゃんたちは、その輪の外へ追いやられています。

そして、いつの間にかふしぎちゃんは、二重三重の小人たちの輪の中心にひとりたたずんでいました。

「おい、こいつらなにやってんだよ? プチさん」

「これはきっと歓迎のダンスだ。こいつらも、ふしぎちゃんを見て、なにか感じるものがあったんだろう」

「かわいいーっ! 小人さんたち、かわいいねっ! パパ」

自分のまわりを踊りながらくるくる回る小人たちを眺めながら、ふしぎちゃんは目を輝かせています。

「うん、そうだな。かわいくないこともないが。こいつら人間の女の子に会うのは、たぶん今日が初めてだよな。ということは?......ふしぎを女として見てやがるなっ! やめろっ、このエロ小人たちっ! しっしっ、やめろその変な踊りは」

よく見ると小人たちは、腰を前後左右に振りながら、ふしぎちゃんのまわりを踊っています。そういう目で見ると、かなりエロティックなダンスです。

「やめろ、ふしぎ! そいつらの真似をするんじゃない」

ふしぎちゃんは、小人たちの真似をして、その場で足踏みをしながら、腰を前後左右に激しく振って踊っています。

やまちゃんは、小人たちの列のなかに、羽をバタつかせて乱入しました。

すると、小人たちは、「わーっ!」と声を上げながら、散り散りに家のなかへと駆けこんでいきました。

「なんなんだよ、あいつらいったい......」

やまちゃんは目を白黒させて、くちばしから唾を飛ばしています。

「あーっ、おもしろかった」

「ふしぎ、大丈夫だったか? さわられたりしなかったか?」

「なんにもされなかったよ。けど、あの小人さんたち、なんかパパと同じ匂いがしたよ」

ふしぎちゃんは、『なんでだろう?』そんな表情を浮かべています。

「......」

やまちゃんは、自分でも『ぎくっ』という音が聞こえそうになるくらい、ぎくっとしていました。なにしろ、小人たちは、やまちゃんの羽毛から作られたやまちゃんの分身たちですから、女好きなのも、やまちゃんに似た匂いがするのも仕方がありません。

「コルボールはいったいなにをしておるんじゃ? 小人たちを放っておいて」

サンタクロースは辺りを見まわしています。
しかし、コルボールの姿はどこにも見当たりません。

「長旅で疲れたじゃろう、ふしぎちゃん。家のなかに入ってくつろごうか?」

「はい、サンタクロースさん」

サンタクロースにうながされて、ふしぎちゃんたちは家のなかへと入っていきます。

「はしちゃん。俺、なんかもうヘトヘトに疲れちゃったよ。こんなんでふしぎが家に帰るまでの、あと二日間、大丈夫かな?」

「まあ、なんとかなるんじゃない。そんなに心配するなって、俺もいるし」

「なんかあったら、本当に頼むよ、はしちゃん」

「ああ、俺に任せとけ」

本当に頼りになるのかどうかわかりませんが、はしちゃんは、やるときはやる男です。

「ふしぎちゃん、これが、わしお手製の自慢のクッキーじゃ」

家のなかに招き入れられたふしぎちゃんたちは、サンタクロースが運んできたクッキーとミルクでおもてなしを受けています。

ふしぎちゃんはふかふかのソファに座り、やまちゃんとはしちゃんはテーブルの上に乗っかっています。

「おいしーい。サンタクロースさん、これ、すっごくおいしい」

ふしぎちゃんは子供にしては食べ方がとても上品です。
くずをこぼしやすいクッキーも、上手に食べています。
これもひとえに、すずの教育の賜物でした。

やまちゃんは食べ方に関して、すずから注意されることがよくあります。

「本当にやまちゃんの娘さんなのか? やまちゃんの食べ方とは大違いじゃな」

「悪かったですね。お上品じゃなくて」

『だって、俺はもとはカラスだからな。それは、しょうがないだろ!』とやまちゃんは口に出さずにぼやいています。

「まあ、はしちゃんに比べれば、まだ遥かにやまちゃんの方がましじゃがの」

はしちゃんは、口いっぱいにクッキーを頬張って、そのままミルクを飲もうと、お皿のなかにくちばしを突っ込んでいます。
ミルクの入ったお皿のなかには、そのクッキーがポロポロとこぼれ落ちています。

「はしちゃん。ふしぎが見てるぞ」

やまちゃんのそのことばに、はしちゃんはふしぎちゃんに顔を向けます。

「はしさん、気にしないで。ふしぎ、はしさんがおいしそうに食べてるところを見ると、いつも幸せな気分になるから」

「あ、......り、がとう」

飲み込めないほど口いっぱいに頬張ったクッキーをポロポロとこぼしながら、はしちゃんは、ふしぎちゃんの優しいことばに涙が出そうです。

「おお、来たか。いったいどこにいたんじゃ? やまちゃんたちに挨拶もせずに......」

執事然とした格好の、さっきの小人たちと同じような顔をした、ひとりの小人が現れました。
部屋に入ると、背筋をピンと伸ばし、両足をそろえて立ち止まります。

彼がコルボールです。

「サンタクロースさま、申し訳ございませんでした。そろそろ、皆様がお着きになる頃だと思いまして。それで、おもてなしのご用意をしておりましたら、私の制止を振り切って、小人たちが表へ飛び出してしまいました。いま、みんなに厳しく注意してきたところです」

コルボールはプチさんの後を引き継いで、いまはサンタクロースのために献身的に働いています。

「そうか、そうじゃったのか。それは、ご苦労じゃったな。ありがとう、コルボール」

「いいえ。私の方こそ皆さまにご挨拶もせずに、とんだ不作法をいたしました。誠に、申し訳ございません」

「やまちゃん。彼がプチサンタの代わりにいまわしを助けてくれている、コルボールじゃ」

彼が優秀だったからこそ、プチさんは長年のお役目から解放されて、いまは悠々自適、自分の人生をノワールとふたりで思いっきり楽しむことができるのです。

「初めまして、やまちゃんさま。コルボールと申します。ようこそいらっしゃいました。今後ともよろしくお願いいたします」

「ああ、俺はやま。よろしくな、コルボール」

丁寧にお辞儀をされて、すっかり恐縮したやまちゃんは、そのカラスのからだで、できるだけ丁寧にお辞儀を返します。
言葉遣いはまったく変わりませんが。

「はじめまして、コルボールさん。あたし、ふしぎです」

ふしぎちゃんは、ソファから立ち上がると、コルボールに視線を合わせ、両手をからだのまえで軽く重ねます。そして、背筋を伸ばしたまま、腰からからだを曲げました。
ひと呼吸おいて、それからゆっくりと上半身を起こすと、再びコルボールに視線を合わせます。
それに加えて、爽やかな笑顔も浮かべています。

これはふしぎちゃんがすずから教わったものでした。

すずは時折自分の挨拶の仕方を、姿見のまえで確認することがあります。
あるとき、それを興味深そうに見つめているふしぎちゃんに気づいたすずが、手取り足取り、きちんと教え込んだものでした。

賢い子供なので、どんな場でこんな挨拶を交わすのかも理解しています。

「これはこれは、ご丁寧なご挨拶、痛み入ります。初めまして、ふしぎさん。私、コルボールと申します」

はしちゃんは、口いっぱいにクッキーを頬張ったまま、首をコクンとさせて、コルボールに会釈を返しています。

「初めまして、はしちゃんさま」

コルボールは笑いを噛み殺しているようです。

それはそうでしょう。
いくらカラスとはいえ、ふしぎちゃんのあの完璧な挨拶のあとです。
あまりにもひどすぎます。

「コルボールがここら辺を案内してくれるじゃろうから、近くを散策してみるといい。木々も色づき始めて、きれいじゃろうし。プチサンタ、おまえはどうする?」

「いや、俺はここに残るよ。森の方はちょっと......」

「そうか、そうじゃったな...... 。じゃあ、コルボール、やまちゃんたちをよろしく頼む」

「かしこまりました。お任せください」

やまちゃん、ふしぎちゃんのふたりは、コルボールに連れられて、森へ散歩に出かけることにしました。

はしちゃんは、「食べ過ぎて動けないから」といって、ソファでからだを休めています。

森のなかはひんやりしていて、和やかな雰囲気に包まれていました。

コルボールは、ふしぎちゃんの右肩にちょこんと腰掛けています。

「パパ。ママも一緒に来ればよかったのにね。きれいなところだね」

「そうだな。なんか、すごく癒されるな、ふしぎ」

「パパ、あそこを見て! なんか、動いてる」

「どこだ? あっ! あれは......」

ふしぎちゃんが指さす先に視線を向けたやまちゃんの目には、驚きの光景が飛び込んできました。

キラキラ光る蝶のような、蜻蛉のような、色とりどりの生き物が、そこら辺一帯を踊るように飛び回っていたのです。

「やまちゃんさま。あれは森の妖精たちです」

「そうなんだ......。コルボール、やまちゃんさまはいい加減やめてくれ。やまちゃんでいいから」

「はい、承知いたしました。やまちゃん」

「妖精さん? ......きれいだね、パパ」

「ああ、キラキラ輝いてるな」

何十もの妖精たちが、その煌めく羽を羽ばたかせて、森の樹々の隙間を、踊るように飛び交っています。
可愛らしい話し声や、楽しそうな笑い声も聞こえてきます。

そのなかのひとりの妖精がやまちゃんたちに気づくと、その羽をひと羽ばたきさせて、空中を滑るように近づいてきました。

「あなたたちは、サンタクロースさんのお家の方からやってこられましたけれど、もしかして、サンタクロースさんのお知り合いですか?」

妖精は相手の頭のなかに直接話しかけるので、どんな相手とでも話をすることができます。

「ああ、そうだけど。俺たちがここに来たらまずかったのか?」

やまちゃんは宙に浮かぶその妖精を下から見上げています。

「いいえ、まったく構いません。この森はみんなのものですから」

「そうか、ありがとう。俺はこのカラスの姿だと、だいたいどこへ行っても、眉をひそめられるからな」

「カラスさん。あなたはもとは人間だったんですね」

「おお、驚いた。そんなことまでわかるのか?」

やまちゃんはびっくりです。

「そう、パパは人間なの。いまは、真っ黒なカラスだけど」

「ところで、サンタクロースさんのところにいらっしゃる、プチサンタさんを誰かご存知ありませんか?」

「プチさんなら、俺はよく知ってるよ。マブダチだからな」

「マブダチ?......それって、お友だちということですか?」

「そうだ」

やまちゃんがプチさんの友だちだと聞いて、フェミニョンヌは、パッと顔を輝かせました。

「プチサンタさんは、いまもサンタクロースさんのお家にいらっしゃるのですか?」

「ああ、さっきまで一緒だったよ」

「プチサンタさんはお元気なのでしょうか?」

「ああ、元気にしてるよ。ただ、いまはちょっとへこんでるけどな。ヘマをやらかしたばかりだから」

「まあ、なにがあったんですか?」

「やまちゃん、それ以上は......」

コルボールが話に割って入りました。

「ああ、よく知らない妖精さんにそんなことまで話しちゃいけないな」

「......私、かなりまえになりますが、プチサンタさんとお付き合いしていたフェミニョンヌと申します」 

「そうか、あんたがプチさんの......」

「ある日突然、プチサンタさんは、なにもいわずに私のまえからお姿を消されました。私はプチサンタさんにお逢いしたくて、何度もサンタクロースさんのお家まで行こうとしたのです。けれど、私たち妖精は、この森から出ることができません。誰かが招待してくれない限り、ここから出ることができないのです」

「それで、あんたはプチさんに会いたいんだな?」

「ええ、できればお逢いして、直接お話ししたいのです」

「そうなんだな......。俺が招待してやってもいいんだが、サンタのじいさんに断りもなく、勝手にあんたを連れて行くわけにもいかないしな。それに妖精さん、あんたはプチさんと......」

「じゃあ、ふしぎがフェミニョンヌさんをしょうたいする。いい? コルボールさん」

やまちゃんがいい終わらないうちに、ふしぎちゃんが口を挟みました。

「ふしぎさん。少々お待ちいただいてもよろしいでしょうか?」

「うん、コルボールさん」

コルボールはサンタクロースとテレパシーでやり取りしています。

「サンタクロースさまが、『フェミニョンヌさんを、是非お連れするように』と仰っておられます」

「やったーっ! ありがとう、コルボールさん」

「いいえ、お役に立ててなによりです」

ふしぎちゃんが手放しで喜ぶその姿に、コルボールは思わず笑みがこぼれます。

子供の無邪気な笑顔は、それだけでひとのこころを幸せにする力を持っています。

「ありがとう、ふしぎちゃん」

フェミニョンヌも本当にうれしそうです。

その様子を遠まきに見ていた妖精たちは、滑空して近づくと、ふしぎちゃんのまわりをくるくると飛び回りながら、口々に、「私も。私も、招待して!」とふしぎちゃんに詰め寄ります。

「うん。みーんなしょうたいするよ! いい、コルボールさん?」

「......はい、構わないと思います」

なににつけても、生真面目なコルボールですが、ふしぎちゃんの満面の笑みを見た後では、その笑顔に水をさすことはできません。
コルボールは独断でそう答えました。

というわけで、妖精たちは何百年かぶりに、森の外へ出ることになりました。
その数、フェミニョンヌを含めて、101人。

家のまえでやまちゃんたちの帰りを待っていたサンタクロースは、予期せぬ数の妖精たちを目のまえにして、戸惑いを隠せません。

「コルボール、これはいったい? 誰が妖精たちを招待したんじゃ?」

「あたしです、サンタクロースさん。ダメだったの?......」

ふしぎちゃんの無垢な瞳に見つめられたサンタクロースは、到底「ダメだ」と、いえるはずもありません。

なんともいえない面持ちのサンタクロースを見て、コルボールは苦笑しています。

『サンタクロースさま。私もふしぎさまのその瞳にやられました』と心のなかでつぶやいています。

「......いや、かまわんよ。みんな歓迎しよう」

「ありがとう、サンタクロースさん」

ふしぎちゃんたちがサンタクロースの家に戻ると、妖精の姿を見た小人たちは、その性別を超えた、愛らしさ、優美さに魅せられ、たまらず、仕事の手を止めて表へ飛び出してきました。

妖精たちも、初めて見る真っ黒な小人たちに興味津々。お互いに挨拶を交わし、話し始める者もいれば、ものもいわず、手を取り合って見つめ合う者たちもいます。
かと思えば、さっそく子供のように追いかけっこをして遊び始める者たちもいます。

もっとも、妖精が小人に捕まるようなことなどは決してありません。
捕まりそうになったら、その羽をひと羽ばたきさせればいいのです。
そうすれば、いとも簡単に、小人たちの手の届かないところまで飛び上がることができます。
小人たちは空を飛ぶことはできませんので。

サンタクロースの背中から、プチさんが顔を覗かせています。

「フェミニョンヌ......」

プチさんがフェミニョンヌに逢うのは、何百年ぶりでした。

「プチサンタさん、本当にお久しぶりです......」

フェミニョンヌのその深い碧色を湛えた瞳からは、ポロポロと涙がこぼれ落ちています。

その涙は、地面に落ちるまえに、キラキラと眩い光を放つダイヤモンドの粒にその姿を変えました。

ふしぎちゃんはそのなかの一粒を摘み上げると、手のひらの上に乗せて太陽の光に透かして見ています。

「きれーい。キラキラ光ってる」

ふしぎちゃんもやまちゃんと同じく、光るものが大好きです。
カラスの血、というやつです。

「プチサンタさん、本当にお逢いしたかった......」

小刻みに震えるフェミニョンヌのそのか細い声は、サンタクロースのこころをチクリと刺しました。

「プチサンタ、彼女と話すことがあるだろう? わしの書斎で話してくればいい。ただ、わかっておるとは思うが、同じ過ちは繰り返すんじゃないぞ」

サンタクロースには、プチさんとフェミニョンヌを無理やり別れさせた、という過去があります。
それで、サンタクロースは、フェミニョンヌにここへ来てもらったのです。

「サンタクロース......ありがとう」

プチさんとフェミニョンヌは、空中を並んで飛びながら家のなかへ入っていきました。

「お元気でしたか? プチサンタさん......」

「ああ、元気だったよ。フェミニョンヌ......」

表の喧騒が届かないサンタクロースの書斎のなかで、静かに見つめ合うふたりの間には、逢えなかった長い長い空白の時間はもう存在していません。

「なぜ、私のまえから突然お姿をお消しになられたのですか?」

「あのときは本当にすまなかった」

プチさんは首を垂れるばかりです。

「あのあと、私がどれほど泣き暮らしたのか、おわかりになりますか?」

「......ほんとうにすまなかった」

「いいえ、許すことなどできません」

そういってフェミニョンヌは、プチさんの胸のなかに飛び込みました。

思わず抱きしめるプチさん。

そんなふたりの様子を、部屋のドアの隙間から覗き見ている者がいました。

ノワールは見た。いや、見ていたのです。

家でプチさんの帰りを待っていたノワールは、妖精たちと小人たちの騒がしさに、いったい何事か? とここまで駆けつけたのです。
そして、偶然ふたりがこの部屋まで入ったのを目にしたのでした。

「わーーっ!」

ノワールのその顔は、嫉妬心でたちまち歪み、彼女は絶叫とともに部屋のなかに駆け込んできました。

ノワールが振りかざす、鋭く銀色に光るナイフはフェミニョンヌの胸元へ......。

そのナイフをヒラリとかわしたフェミニョンヌは、からだのバランスを崩して、ノワールに覆い被さる形になって、そのままふたりは床に倒れ込みました。

その拍子に、フェミニョンヌの唇がノワールの唇に触れました。

すると、その瞬間、ふたりのからだから眩いばかりの光が放たれ、辺りはその輝きで包まれました。
しばらくして、その光が消え去った後には、ひとりの妖精がその場に佇んでいました。

その姿は、フェミニョンヌとノワールのふたりの面影を宿した、誰もが一瞬にして心を奪われるような、それはそれは、美しい妖精の姿でした。

長らく妖精のあいだで語り継がれる、ひとつの言い伝えがありました。

それは、運命によって導かれたふたりが出逢い、口づけを交わすと、そのふたりは溶け合ってひとりの妖精となり、そして、ふたつの魂は未来永劫、二度と離れ離れになることはない、というものでした。

期せずして、フェミニョンヌとノワールが、互いにその運命の相手だったのです。

フェミニョンヌとノワールがいなくなった部屋で、その新しく生まれた妖精の姿を呆然と見つめながら、プチさんはひとり立ちすくんでいます。

食べすぎてしばらく昼寝をしていたはしちゃんも、「なんか、騒がしいな」と目を覚ましてこの部屋にやってきました。

そして、その妖精の姿を目にした瞬間、はしちゃんは、雷に打たれたかのようにからだの自由を奪われて、その場を動けなくなっていました。

サンタクロースとやまちゃんたちは、大勢の妖精や小人たちの相手をしていました。

「やまちゃん、はしちゃん、ふしぎちゃん、コルボール。今日は妖精さんたちをもてなす宴を開こうと思うんじゃ。小人たちにも、いい気晴らしになるじゃろう。ここのところずっと働き詰めじゃったからのう。今日はわしが腕によりをかけておいしい料理を作ろう」

「サンタクロースさんって、お料理ができるんですか?」

ふしぎちゃんは、サンタクロースに疑いの目を向けています。というのも、あのぶっとい指で、料理の下ごしらえをしたり、出来上がった料理をおいしそうに盛り付けたりできそうにないからです。
しかも、からだの小さな妖精と小人たちに向けてなのですから。

「ふしぎはパパの作る料理は好きか?」

「うん、もちろん。大好きだよ」

「実は、パパの作る料理はすべて、プチさんを介してサンタのじいさんから教わったものなんだ」

「へぇ、そうなんだ。すごいんだね、サンタクロースさんって。ふしぎ、そんけいします」

ふしぎちゃんに褒められたサンタクロースは、照れ笑いを浮かべています。

「さて、料理に取りかかるまえに......」

小人や妖精たちの大きさに合わせて、テーブルや椅子、それにグラスやお皿なども、サンタクロースは魔法でちょちょいと取り揃えます。

そして、瓶に入った何十本ものミルクと、大皿に盛られた沢山のクッキーをテーブルの上に並べました。

「宴の用意ができるまで、これでくつろいでくれ」

サンタクロースのそのことばに、一斉にクッキーとミルクに群がる妖精と小人たち。

やがて、料理を終えたサンタクロースが、凄まじい数と量のご馳走を抱えて戻ってきました。

「さあ、宴の始まりじゃ。コルボール、頼む」

「かしこまりました。サンタクロースさま」

コルボールはひときわ高い壇上に上がると、大きくひとつ深呼吸をしました。
そして、よく通る声で、「皆様、お静かに願います!」そういったあと、話を続けます。

「Ladies and gentlemen。今夜は思い切り、飲み、食べ、お話しして、楽しいひとときをお過ごしください。この日が皆様方にとって、素敵な思い出のひとコマとならんことを!」

コルボールがパーティーの始まりを高らかに告げると、その場にいたみんなの歓声が上がります。

日は傾き始めていました。

いつの間にか、サンタクロースの家のまえは、パーティ会場のように華やかに飾り付けられていました。

すべてサンタクロースがちょちょいのちょい、と魔法で用意したものです。

妖精たちはその涼やかな声で、アカペラを披露しています。
ステージまえに陣取った小人の一団は、その歌声に恍惚とした表情で聴き入っています。
歌の合間に思い思いの声援も送っています。

ミルクバーでは、いろいろなフレーバーのミルクを、バーテンダーの格好をした小人の三兄弟が、カクテルさながら作り出しています。
三人の見事なシェイカー捌きは、妖精たちの視線を釘付けにしています。

すこし離れた特設のボールルームダンス会場では、すっかり意気投合した妖精と小人のカップルたちが、爽やかで、それでいて妖艶な、見応えのある社交ダンスを、大勢の観客たちをまえに即興で披露しています。

そして、キャンプファイヤーの近くでは、またふしぎちゃんが小人たちに取り囲まれていました。

ふしぎちゃんは小人たちの輪のなかで笑顔を振りまいています。

「おいっ! おまえらどっか行け。ふしぎに近寄るんじゃない」

ふしぎちゃんに近寄っていた小人たちを追い払うのに必死なやまちゃんは、苦虫を噛み潰したような顔をしています。

「わーいっ、怒っこられたっー! 逃げろーっ!」

小人たちは口々にそう叫びながら、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていきました。

「おまえら、本当にいい加減にしろよ!」

さっきからふしぎちゃんの足にしがみついて、腰を小刻みに振り続けていたひとりの小人を、やまちゃんはくちばしで突きます。

『はぁ〜......自分の分身とはいうものの、我ながら情けない......』

やまちゃんは、小人たちの女好きに呆れ返っています。
けれど、小人たちはやまちゃんの分身、やまちゃんそのものなのです。
責めることなどできません。

「パパ、なに怒ってるの? ふしぎ、ぜんぜん気にしてないけど」

「ふしぎが気にしてなくても、パパがこいつらにムカつくんだよ」

やまちゃんはやり場のない怒りを持て余すように、そう吐き捨てました。

「小人さん、仲良くしようね」

ふしぎちゃんはそういって、握手をしようとひとりの小人に手を伸ばします。
小人も真っ黒な顔をうれしそうに綻ばせながら、恐る恐るその爪楊枝のような小さな手を差し出します。

「よせっ! ふしぎ、そいつにさわるんじゃない」

「コルボール、こいつらをなんとかしてくれ」

やまちゃんはコルボールに助けを求めました。

「承知いたしました、やまちゃん。皆様、ご静粛にお願いいたします。どなた様も、こちらのレディ、ふしぎさまには近寄らないように。決して踊り子さんには手を触れないでください!」

コルボールはひときわ高い場所から、いたって真面目な顔つきで、きっぱりと小人たちに告げました。

「......踊り子さん?!」

そのことばにやまちゃんが後ろを振り返ると、ふしぎちゃんは、輪のなかで、小人たちの動きに合わせて、またあのセクシーな腰ふりダンスを披露していました。

「よせ、ふしぎ。そんな踊りを踊るんじゃない」

「だって、パパ。これ面白いよ。なんだか、チョー楽しいーっ!」

そういうふしぎちゃんの腰の動きは前後左右の動きから、円を描くようにだんだん激しくなっていきます。

やまちゃんは羽で頭を抱えています。

「こんなところにふしぎを連れてくるんじゃなかった......」



サンタクロースの家で、妖精や小人たちと楽しいひとときを過ごしたやまちゃんたちは、サンタクロースに送られて、二日ぶりのわが家に戻っていました。

「ふしぎ、疲れただろう?」

「ぜんぜん、つかれてないよ。ふしぎ、すごーく楽しかった」

やまちゃんは人間の姿に戻っています。

「じゃあ、俺はこの辺で」

「はしさん、ふしぎに付き合ってくれてありがとう」

「いや、いいってことよ。じゃあな、やまちゃん」

「パパ。はしさん、もう帰るって」

「ありがとうな、はしちゃん。またな」

ふしぎちゃんがはしちゃんに伝えます。人間の姿に戻ったやまちゃんは、カラスのことばが話せません。

はしちゃんは、ベランダの手すりにぴょんと飛び乗ります。
そして、暮れなずむ茜色の空を背にして、東の空に向かって勢いよく羽ばたくと、自分のねぐらへ帰っていきました。

「でも、パパ。ほんとうによかったね、人間にもどれて」

「ああ、もうすこし時間がかかるもんだとばかり思っていたから、なんか拍子抜けしちゃったよ」

実は、ノワールがフェミニョンヌとひとつになって、その結果、プチさんがノワールとヤッた、〈口づけ〉というその行為そのものがなかったことになったのです。

プチさんがノワールとやったのは、口づけだったのです。

そして、サンタクロースは、魔法の力を取り戻すことができて、やまちゃんはまたこうして人間の姿に戻ることができたのでした。

「ねえ、パパ」

「なんだ、ふしぎ」

「あのね、ママにね......今度のこと話していい?」

「今度のことって、サンタのじいさんのこととかか? それはダメに決まってるだろ!」

「だって、ふしぎ......すごく楽しかったんだもん。なんか、ママだけ知らないって......かわいそうだよ!」

「ぜんぜん可哀想じゃない! ふしぎ、『言わぬが花』っていうことばがあってな。今度のことはママは知らなくていいことなんだ」

「えーっ!......ふしぎなんでだか、ぜんぜんわかんないっ!」

ふしぎちゃんがこんな風に一度いい出したら、まったくいうことを聞かないことを、やまちゃんは痛いほどわかっています。

「ふしぎ、お願いだから、パパのいうことを聞いてくれ......」

「ただいまっ! パパ、ふしぎ、ごめんね。突然出張になっちゃって」

やまちゃんとふしぎちゃんがそんないい合いをしていたところに、すずが帰ってきました。

「どうしたの? ふたりとも、そんなに怖い顔をして」

ふたりの真剣な表情に、すずはいったいどうしたのか? と心配そうに声をかけます。

「おかえりなさい、ママ」

「ママ、お帰り。お仕事ご苦労様でした」

「ただいま、パパ。ふしぎ、大人しくしてた?」

「うん、ママ。ふしぎは、とってもいい子にしてたよ。俺のいうことをよーく聞いて、口答えもまったくしなかったし」

そういって、やまちゃんはふしぎちゃんを睨んでいます。その口もとは、すずが見えないところで、『いうなよ!』と動いています。

「ママ、ママ......あのね」

「ふ、し、ぎっ!」

やまちゃんの制止を振り切って、尚もこの二日間に起きたことを話し始めようとしたふしぎちゃんに、やまちゃんは声を荒らげます。

「なにパパ、そんな大声出して。いったいどうしたの?」

ふしぎちゃんもさすがに、『これは、ぜったい、ママにはいったらいけないことだ』と理解しました。

そして、ふしぎちゃんはすずに向かってにっこりと微笑みます。

「ふしぎ、いい子にしてたからっ! そうだよね? パパ」

「ああ、すご〜くな......」

そういうやまちゃんの口もとは、すずからは見えないところで、『ありがとう、ふしぎ』と動いています。

「そうなの? それならよかった。これ、お土産」

すずがやまちゃんに手渡したのは、な、なんと......あの〈いきなり団子〉でした。

「ママ、これって?......」

「出張先の福岡のお土産じゃないんだけど。九州のお土産コーナーで試食したら、すごーくおいしくって、つい買っちゃった。名前も面白いの、『いきなり団子』っていって」

「これが......はしちゃんがいってたやつか......」

やまちゃんは、はしちゃんとの会話のなかでたびたび出てきた、あの噂のいきなり団子を目のまえにして、感慨深げです。

「まずそうじゃなさそうだけど、見た目はそんなにうまそうでもないね」

「うん、けどね。これ、かなりおいしいよ」

「そうなんだ......」

やまちゃんは包みを開け、お茶も入れずにさっそく味見をします。

『これは!......微妙......』

どうやら、やまちゃんの口には合わなかったようです。というのも、やまちゃんは、はしちゃんから、「いきなり団子って本当においしいからっ!」などと、散々聞かされていました。
なので、やまちゃんのなかでは、そのおいしさの期待値がかなり跳ね上がっていたのです。

「まあ、パパったら......そんなにこれ食べたかったの?」

子供みたいに飛びついて、いきなり団子を口に入れたやまちゃんに、すずは苦笑しています。

「うん......まあね......」

やまちゃんは恥ずかしそうに照れ笑いです。

「ふしぎ、これ好き。おいもさんとあずきさんのハーモニーがさいこーっ!」

食いしん坊のふしぎちゃんも、「いま飲み物を入れてあげるから、ちょっと待ちなさい」とすずが止めるのも聞かずに、いきなり団子を口にしています。

やまちゃんは、このフレーズをどこかで聞いたような......と首をかしげています。

「ねえ、パパもふしぎも聞いてよ。今度の出張で起こった、信じられない出来事」

「いったいなにがあったんだ、ママ?」

「それがね。私、あのテレビドラマのパツキン先生が大好きだったのよ」

「パツキンせんせい?......」

「もちろん、ふしぎは知らないと思うけど、パパは知ってるよね?」

「ああ、もと暴走族あがりの熱血教師のお話だろ?」

「そうそう」

やまちゃんはプチさんとふたりで、このドラマの再放送を昼間、大爆笑、大号泣しながら見ていたことを思い出しました。

「それでね、そのパツキン先生の俳優さんと、屋台で偶然出くわしちゃって、隣り合わせで、長浜ラーメンを食べたのよ」

「へぇー、そりゃすごい偶然だったね、ママ」

「パツキン先生って、ドラマのなかで、自分の出身地の福岡で有名なとんこつのインスタントラーメンをよく食べてたじゃない。それで、『これも悪くないけど......本場の長浜ラーメンが恋しい』って、いつもぼやいてたでしょ?」

「そうだったね」

「それでね、そのドラマのなかのパツキン先生の名ゼリフの『人生ってやつはバリカタだ。だからこそ味わい深い。それに、お代わりは、いつでも、何度でもできる!』を間近で直接聞かせてもらったのよ。私、超うれしくて、そのとき私ね、本当にお腹いっぱいだったんだけど、その俳優さんがお代わりしたのに釣られて、屋台の大将に思わず『替え玉お願いします! バリカタでっ!』っていっちゃったわよ」

すずはかなり興奮しています。
その熱量のすごさに、やまちゃんはたじたじです。

そんな風にうれしそうに話し続けるすずと、そんなすずの話を興味深そうに聴き入っているふしぎちゃんの顔を、やまちゃんは愛おしそうに優しい眼差しで見つめていました。

今日はふしぎちゃんの中学入学の日です。

式典を終えた三人は、学校の正門前で、校内にある桜の木を背景に記念写真を撮っています。

ふしぎちゃんを真ん中にして、やまちゃんとすずは両脇に寄り添うように立っています。

この年、遅咲きだったその桜の木の枝には、満開の桜のなかに隠れるようにして、はしちゃんの姿がちょこんと小さく写り込んでいます。

やまちゃんから、ふしぎちゃんの入学式で、この時間に三人で写真を撮ることを伝えられていたはしちゃんは、「俺もふしぎと一緒に写りたい」といって、ちゃっかりその写真に写り込んでいたのです。

はしちゃんのその姿をよーく見ると、自分の入学式でもないのに、誇らしげに胸を張っているのがわかります。

黒髪ロングに、真新しいセーラー服を可愛く着こなしたふしぎちゃんのとなりには、やまちゃんだけが落ち着かない様子で立っています。

今日はふしぎちゃんの高校入学の日です。

すずは、前々からこの日のために休みを取ってはいたものの、可愛がっている部下の、とても信じられないような失敗をフォローするために、この場に来ることができませんでした。

学校の正門前で、ふしぎちゃんとやまちゃんは満面の笑みで写真に写ってはいるものの、どことなく一抹の寂しさを感じさせます。

この写真のなかにも、すでに葉桜になった木の枝に、はしちゃんは写り込んでいます。

ふしぎちゃんの中学入学のときとは違って、周りになにも遮るもののない、この写真のなかのはしちゃんは、目立ちすぎるほど目立っています。
なんで、こんなところにカラスがいるの? それを見た誰もがそう思わずにはいられないほど、その不気味な存在感を見せつけています。

この写真をよく見ると、はしちゃんは満面の笑みで、手羽先にググッと力を入れて......なんでしょう、これは? たぶん、はしちゃんは、ピースサインをしているつもりなんだと思います。



はしちゃんは、やまちゃんとふしぎちゃんとプチさんとサンタクロースの四人に看取られて、この世を去りました。

病に侵されたはしちゃんは、やまちゃんの家で最期のときを迎えました。
本来ならば、野生のカラスを部屋のなかで飼ったりはできません。
けれど、やまちゃんにはそんなことは一切関係ありませんでした。
大親友のはしちゃんのためです。

事情をよく知らないすずは、そのことを心よく思ってはいませんでしたが、やまちゃんとふしぎちゃんが、真剣にはしちゃんの面倒を見ていることにはなにも口出ししませんでした。

はしちゃんがこの世を去ったのは、クリスマスの朝方、日がのぼり始めるまえの、まだ静かな暗闇に包まれたころでした。

この日、すずは、風邪で体調を崩し、寝込んだ大和の看病のために帰省していました。

「やまちゃん、そろそろお迎えが来たよ......やまちゃん、見えない? そこに、カラスの顔をした変なやつが、大きな鎌を持って立ってるの......」

「はしさん......」

ふしぎちゃんは、そのつぶらな瞳に、いまにもこぼれ落ちそうな涙を湛えています。
ふしぎちゃんのその手は、はしちゃんのからだにそっと優しく添えられています。

「やまちゃん、いままでありがとうな......俺、やまちゃんに出会えて本当によかったよ。こうして、プチさんにもサンタクロースさんにも、それからふしぎちゃんにも出逢えたし......」

「はしちゃん、しっかりしてよ......」

「やまちゃん、俺はもう十分に生きたよ。こんな風に幸せな最期を迎えられるカラスなんて、この世に俺の他には誰もいないと思うよ。......本当にみんな......ありがとう......」

そういって、やまちゃんに伸ばしかけたはしちゃんの羽先は、力なく床に落ちました。
はしちゃんのその顔は、幸せそうに微笑んでいます。

生前、はしちゃんは、「もし俺がこの世からおさらばしたら、人間がやるみたいに葬ってくれないか? できたら、あの妖精の住む森のなかがいいな」といっていました。

実は、はしちゃんは、ノワールとフェミニョンヌがひとつになって生まれた、あの妖精の姿を初めて目にした、あのとき、恋に落ちたのです。

楽しい宴の最中、はしちゃんは何度となくあの妖精に話しかけようとしましたが、結局、一度も会話を交わすことはありませんでした。
なにも始まることなく、人知れず終わった恋でした。

サンタクロースは、そのはしちゃんの思いに応えました。

「わしは人間のお願いしか叶えてあげられん。冷たいようじゃが、わしにはカラスにクリスマスプレゼントをあげることはできんのじゃ」

まえに、サンタクロースは、はしちゃんにそういったことがありました。

「わしからのささやかなクリスマスプレゼントじゃ」

サンタクロースはそういって、はしちゃんをその地に葬ったのです。

「パパ、いったいどこへ行っちゃったんだろう?......」

やまちゃんが再びすずのもとから姿を消して、約半年が経っていました。

やまちゃんは寿命をまっとうし、あの世へ旅立ちました。人間としてはかなり短い四十八歳という若さでしたが、もともとカラスのやまちゃんです。
大往生といってもいいくらいに長生きしました。

やまちゃんが、その命の灯火を消したとき、やまちゃんの姿はもとのカラスの姿に戻ってしまいました。

やまちゃんの最期は、ある日突然やってきました。

やまちゃんがいつものようにプチさんとくだらない話で盛り上がっていると、突然、胸を押さえたやまちゃんは、その場に倒れ込み、そして、そのまま息を引き取りました。

すずは会社に、ふしぎちゃんは学校に行っていて、ふたりともその場にはいませんでした。

かねてからやまちゃんは、「俺が最期のときを迎えて、そのとき、もし、俺の姿がカラスに戻っていたら、あとのことはよろしく頼む」とプチさんとサンタクロースに、自ら書いた手紙を渡していました。

やまちゃんは、いつかはそんな日が訪れるような気がしていたのです。

プチさんに呼ばれて急いでその場に駆けつけたサンタクロースは、カラスの姿のやまちゃんをすずやふしぎちゃんには見せられない、とやまちゃんから頼まれていた通りに、託されていた手紙を部屋に残して、やまちゃんの亡骸だけを連れ去ったのです。

いま、やまちゃんは、サンタクロースの家の近く、妖精が住む森のなかで、はしちゃんのお墓のとなりに仲良く並んで眠っています。

「やまちゃん、起きてる?」

「ああ、いま起きたところだよ」

「やまちゃん、今日さ、どこ行こっか?」

「んー......あっ、そうだ。昨日初めて見た、あの変な生き物をさ、からかってやろうよ」

やまちゃんとはしちゃんの、そんな会話が聞こえてきそうです。

「ママ......パパはきっとどこかで私たちのことを見守ってくれているから......」

また置き手紙一枚だけを残して消えたやまちゃんのことを、すずはほんとうに心配していました。

けれど、ふしぎちゃんは、やまちゃんがもうこの世にはいないことを知っています。

ものごとの理解が誰よりも早いふしぎちゃんは、自分がカラスと人間のハーフだということは、もうとっくの昔、ふしぎちゃんがサンタクロースの家を訪れたときに気づいていました。

けれども、そのことを必死になって隠そうとしているやまちゃんの気持ちを痛いほど理解していたふしぎちゃんは、やまちゃんのまえでは、なんにも知らないふりを最後まで通し続けたのです

心優しい女の子でした。ふしぎちゃんという子は、本当に。

ふしぎちゃんのなかでは、生きとし生けるものには、上も下もありませんでした。

一生懸命に生きる、すべての生き物たちは気高く尊い存在でした。

ふしぎちゃんは、カラスのやまちゃんと、人間のすずのあいだに生まれた自分のことを、誇りに思いこそすれ、つまらないものなどと卑下したことは一度もありません。

「ママ、そんなに心配しなくていいから。きっとパパはいま幸せだと思うから......」

今年、大学生、十九歳になったふしぎちゃんは、すずとふたりで、雪化粧が施された公園のなかを、一歩一歩足元を確かめるように歩いて行きます。

ここは、あのクリスマスの日、すずが初めてやまちゃんと出会った、あの公園でした。

ふたりはたくさんの料理の食材をその手に携えています。

すずは、今日、もしかしたら、まえみたいに明日の朝、やまちゃんが帰ってくるような気がしていました。

あの日、すずのお腹のなかにふしぎちゃんがいると聞かされたやまちゃんは、部屋に用意してあった料理をほとんどひとりで平らげました。

「俺、いっぱい食べて、俺と、すずと、俺たちの娘の三人で、いつまでも楽しく暮らせるように頑張るから」

すずは、やまちゃんが瞳を輝かせながら、そういってくれたことを思い出していました。

すずのなかで、ひとつだけ不思議だったのは、あのとき、なぜやまちゃんが、おなかのなかにいるわが子が女の子だと、すずから聞かされるまえにすでに知っていたのかです。

それを不思議に思ったすずに、まるで神さまから与えられたかのように、〈ふしぎ〉という名前が、そのとき突然すずの頭のなかに降りてきました。

それですずは我が子を〈ふしぎ〉と命名したのです。

空からは真っ白な粉雪が音もなく舞い降りてきます。

「ママ、雪きれいだね......」

今日はクリスマスでした。

ふしぎちゃんのそのことばに、すずはあの日のことを思い出していました。
すずがやまちゃんと初めて出会った日のことを。

あの日もこんな風に粉雪が舞い散るなか、この公園のなかで、やまちゃんは傷つき、雪に埋もれて倒れていました。

そして、そのあと、やまちゃんと過ごしたわずかな時間が、あのとき深く傷ついていたすずの心を本当に癒してくれたこと。

そうして、再びやまちゃんと逢うことができて、ここにこうしてふしぎちゃんというかけがえのない愛おしいわが子を授かったこと。

やまちゃんと出逢えた、そのこと自体が、すずにとっては奇跡と思える出来事でした。

すずはふしぎちゃんの左手をギュッと握りしめます。

ふしぎちゃんもすずの右手を強く握りしめます。

『すず、ふしぎ......いつまでも......』

ふたりにはやまちゃんのそんな声が聞こえたような気がしました。

そして、ふたりは立ち止まると、粉雪が舞い散る白い空を、しばらく見上げていました。

〈了〉



最終話まで三話合わせて約45000字に及ぶこの物語に、最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございました。

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