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短編小説 『遼之介は..。』

「リョウちゃん、いいかげんにしてよね! 少しでいいから働いてお金入れてよ。私一人じゃ、かつかつなんだってば。コンビニとかのバイトでもいいからさ。空いた時間で小説書けばいいでしょう?」

理沙は、都内のホテルでフロントの仕事をしている。新卒で働きだして今年で五年目だ。

仕事の大変さの割には給料が安い、といつも溢している。

「しかしなあ...仕事をして疲れ果ててしまえば、小説を書く時間なんてなくなってしまうんだよ。前にもそう言ったよね?」

「最近さ、小説を書いてる様には見えないんだけど......」

「そんな1日中書けるわけないだろう? 書いていなくても、やらなきゃいけないことは山ほどあるんだよ。何も考えてないように見えるかもしれないけれど、頭の中はフル稼働してるんだよ。小説を書いたことのある理沙だってわかっているはずじゃあないか」

「はーい、私ハズレくじ引いた。小説投稿サイトで少しは人気だったから、もしかしたら、将来は有望なのかなって思ってたのに全然じゃん。出版社主宰の小さな賞さえも取れないし」

理沙は呆れ顔で矢継ぎ早にことばを続ける。

「同棲し始めて、もう、2年だよ。わたし、来年28歳。リョウちゃんはまだ22歳だろうけど。地方に住んでいる両親は、結婚はまだかってことあるごとに遠回しに言ってくるし。リョウちゃんのこともまだ言えてないし。結婚のことを考えると...はぁ~っ......」

「ため息をつくと幸せが逃げていくよ、理沙」

「それ、前にも聞いた。お父さんの口癖だったんだよね。もういい。仕事に行かなきゃ。じゃあ 行ってくるから。今日のおこづかい置いとくからね、無駄遣いしないように」

「無駄遣いしないようにって、500円じゃ何にもできないよ。昨日言ったよね?今日は小説用にボールペンとノートを買いたいって。100均のやつじゃあなくてちゃんとしたの買いたいって」

「ああ、そんなこと言うんだ。誰に食わせてもらっていると思ってんの?そんなに文句言うんだったら出て行ってもらっても、私は全然かまわないんだけどっ!」

「わかったよ。わかりましたっ!」

「何その言い方?」

「すみませんでした。私が悪うございました」

「それでよし。良くできました。じゃあね」

そう言うとドアを大げさにバタンと音を立てて出て行った。と思ったら帰ってきて、

「行ってらっしゃいは?」

怒ったように催促する。

「行ってらっしゃいませ」

俺は神妙に頭を下げて言う。

ふん、と鼻を鳴らし勝ち誇ったような顔をして理沙は出ていった。

ここのところずっーとこんな感じの毎朝だ。
だいたいなんだってんだよ。
最初に好きですって、アプローチしてきたのはおまえだろ!
同棲だって、おまえが言い出したことだ。
私があなたを支えます、いや支えさせてくださいって言ったのはおまえだよ、理沙。



俺の名は、『遼之介』。歴史小説が好きだった母、『明子』がつけてくれた名前だ。

小さい頃からよく、将来小説家になって何かの文学賞を受賞できたら良いねと言われ、絵本からはじめて、多いときは3冊、最低でも1冊の小説をノルマのように毎日読んでいた。

俺も物語を読むのは大好きだったので、勉強の合間の気晴らしに、高校2年生までそれを続けていた。

そのせいか、物語を思いついても、ああ...どこかで読んだことあるなあと思ってしまうことが多く、結局書かずじまいになってしまうこともある。

また、書いても、100%俺のオリジナルだ!と自信を持って発表できることも少ない。

頭のかたすみで、この話読んだことがあるなあ、なんて思っている自分がいる。

本を読みすぎた故の弊害って奴だ。

俺が高校2年生になって桜が散り始めたころ、母は男をつくって家を出て行った。
それ以来なんの音沙汰もない。
相手の名前は、『光』と言うらしい。

もともと大学の文学部出身で、小説も、暇を見つけては趣味で書いていた母は、なぜ自分が出ていくことになったのか、彼との出会いから、どのようにして恋に落ちたのかまでの物語を、20000字にもおよぶ短編小説にして、署名、捺印した離婚届けと一緒に残して家を出て行った。

それまで真面目に生きてきて、突然、浮気され、最後の最後に、小説に奈落の底に叩き落とされた父、『純一郎』は、それ以来文学を異常に憎むようになった。

母が出て行ってすぐの高校2年生の夏、3000冊ほどあった、母が俺に買い与えてくれた本の数々を、父は、母を思い出すからと、俺に断りもなく、学校に行っている間に勝手に全て処分してしまった。

その時、大喧嘩になり、すでに受験しようと心に決めていた大学の文学部も、売り言葉に買い言葉、絶対に大学なんかに行くもんか!とつい言ってしまった。

そうして始めたアルバイトで貯めた金を握りしめ、高校卒業と同時に実家をあとにし、東京でコンビニのアルバイトをしながら、小説投稿サイトに作品を不定期に投稿していたのだ。

そこで同じように作品をあげていたのが、俺の同棲相手、理沙だった。

ある時を境に、理沙は、俺の作品に毎回のようにコメントを入れてくれるようになり、こんなストーリー読んだことが無いだの、あなたは才能があるだの、挙げ句の果てには大好きです!と、SNSの中心で告白される始末。

すっかりその気になった俺は、直に連絡を取り合うようになり、理沙から貴方を支えたい、小説家としてデビューさせたい、という申し出を受けたのだ。
そうして、理沙の住んでいた1DKのこの部屋に転がり込んで、もう2年が経っていた。

それがなんだよ。
今では書いた作品をなんだかんだ言ってけなすばかりでさ。
似たようなの読んだことあるとか、ひねりがないとか言いたい放題言いやがって。

これでもまだ投稿すればそれなりにスキはもらえるんだぞ。
コメントでも、よかったです、次回作が楽しみです。なんて言ってもらえるんだぞ。

まあ、有料記事にしたらだ~れも買ってくれないけどな......。

はあ......空しい。

「あー腹へった」

何か食べようと冷蔵庫を開けてみるが、マヨネーズ、ドレッシングなどの調味料以外なにも入っていない。米もすっからかんだ。買いおきのカップ麺もない。何も食うものがない。

最近では、理沙が仕事帰りに買ってくる、半額のシールがついた惣菜ばかりだ。
理沙は料理が苦手だ。
俺もできない。

同棲し始めてすぐの頃は、瞳をキラキラ輝かせて、「料理が上手になって美味しいものいっぱい食べさせてあげるからね」なんて、殊勝なことを恥ずかしそうに言っていた。

それが今では、「食器洗うの面倒だから」と、買ってきたものを電子レンジでチンして、そのパックのまま食卓に並ぶようになった。

俺が少しでも文句を言おうものなら、さっきのようにやり込められる。

それでも、俺はこの生活が気に入っていた。

理沙は、気は強すぎるが、ベッドのなかでは可愛いのだ。
美人だし、からだも俺好みだし、笑うと本当に可愛いのだ。
エッチに満足すると怒っていたこともすっかり忘れて、優しく接してくれる。

ただし、翌日の朝までの限定でだ。
出勤前になると、最近ではさっきのようなことの繰り返しだ。

今夜もその手で行こう。
俺ってクズだな、と苦笑しながら、テーブルの上の500円硬貨を見つめた。

そうだ、今日はこれを使わずに明日、明後日にもらう1000円と合わせて、ちょっと良いボールペンとノートを買おう。
1日500円が俺のおこづかいだった。
仕事をしていない俺にはこれでも十分だとは思う。

しかし、腹がへった。理沙が帰ってくる夜までの辛抱だ。

そんなことを考えていたら、ゴミ箱からカサカサという音が聞こえた。
中をのぞいてみると、小さなゴキブリが、食べ物の残りかすを脇目もふらずに食べていた。

「お前はいいな。そんなもので満足できるんだから。人間って本当に大変なんだぞ。生きているだけで色々とあるんだよ」

いつの間にか俺は独り言をつぶやいていた。

そのゴキブリは、一瞬食べるのをやめて、逃げもせず、隠れもせずに俺を見つめた。

「なんだよお前。何か言いたことでもあるのか?」

俺はゴキに見つめられることなど、これまでの人生で経験したことがなかったので、一瞬後ずさりして、何だか不思議な感覚を覚えていた。



「あーっ、よく寝た」お腹が凄く減っていたはずなのに、いつの間にか眠っていたみたいだ。

突然、玄関の扉が開いて、部屋の明かりがつくと理沙の声がした。

「ただいま、遼ちゃん。遼ちゃん、いる?」

次の瞬間、部屋中に理沙の悲鳴が響き渡った。

「キャーーーッ!」

「おい!理沙どうした?」

「なに、何?こいつ......」

玄関の傘を手に取ると、まっすぐ俺に向かってくる。傘の先を俺の顔に近づけると、ひと突つきして後退りする。

「痛っ!理沙、何すんだよ。痛いじゃないかよ」

「な...何なのよ。あんた一体何?」

「理沙、俺だよ。何で傘なんかで突つくんだよ? 朝のことまだ怒ってんのか?」

「遼ちゃん?どこ?」

理沙は俺から距離を取って辺りを見まわして、俺を探している。

「だから、ここだってば」

やっと俺に目を向けた理沙は、目を見開いてまじまじと俺を見つめている。

「遼ちゃん?...遼ちゃんなの?」

「だから、俺だってば。さっきから何やってんの?」

「キャーーーッ!ゴキブリが喋った」

「ゴキブリ?なんのことだ?理沙、何を言っている?」

「本当に、遼ちゃんなの?」

「だから...俺だってば!」

「リョウちゃんが、遼ちゃんがゴキブリになっちゃった......」

「俺がゴキブリになった?どういうことだ?」

いつの間にか理沙は、玄関脇の姿見の鏡を俺の前に持ってきていた。

「ん...何だこいつ?」

鏡に写っていたのは、体長10cmほどの真っ黒な大きなゴキブリだった。
気色悪っ、と思っていると理沙が悲しそうな声で言った。

「遼ちゃんが......」

「えっ?......これって、もしかして俺?」

そう...俺はゴキになってしまっていた。

「いったい、何で?遼ちゃん......」

「わかんないよ。何でだか......」

何でこんなことに......。きっと今の俺はとんでもなく途方にくれた顔をしているのだろうが、何せゴキだ。表情の違いなんてあるのだろうか?

「あっ!あの時、ゴミ箱を漁っているゴキを見たときに、一瞬だけ思ったんだった。お前はいいよな、って」

「あーっ、遼ちゃん...きっとそれだよ。眠れないアルコール依存症の花嫁が、死にそうなジジイと入れかわる映画。あれだ」

俺もその映画を思い出していた。

「けど...遼ちゃんのからだをしたゴキはいないよね。どこに行ったんだろう?帰ってきたときには玄関は閉まっていたし、遼ちゃんの鍵もここにあるし」

なんか、ゴキになったせいか、もう何もかもどうでもよくなった。

「理沙、それより何か食べ物くんない?凄くおなか空いたんだけど」

「何をあげればいいのかな?やっぱり食べかすとかかな?」

「おいっ!中身は人間だって」

「そうだね。とりあえず、これ食べてみる?」

そう言って、理沙が俺の目の前に差し出したのは、いつもの半額のシールがついた牛肉コロッケだった。1個パックのトレイごとそのまま床に置かれていた。

匂いは食欲をそそる。1口噛ってみる。「旨いっ!凄く旨い」最近では飽き飽きしていたこのコロッケがこんなに美味しいものだとは...。

どうやら味覚もゴキ仕様になったようだった。 

「美味しい?」

理沙が愛しそうに目を細めて見つめている。

「ああ、すご~く旨い」

俺がお腹いっぱいになって理沙を見上げたときには、理沙は泣いていた。

彼女のこんな切なそうな泣き顔を見たのはいつ以来だろう?
最近ずーっと怒った顔しか見たことがなかったから......。

「なんか...可愛い」

「えっ!ゴキの俺が可愛いのか?」

「うん、キモかわいいってやつ?可愛いよ、遼ちゃん」

「えへっ!」って...照れてる場合じゃないよ。

「遼ちゃん、見て。このコロッケ、5分の1も減ってないよ。これなら食費もかかんないね」

「かかんないねって...なんだよそれ?」

「実はね、もういいかげんここら辺で遼ちゃんとのこと終わりにしようって思ってたんだ」

「理沙......」

「でも、これで決心がついた。やっとサヨナラできる」

サヨナラできるって...理沙って、この異常事態をすんなり理解して、おまけに受け入れちゃってるよ。

「だから、ここから出て行ってくれる?」

理沙は、眉間にしわを寄せて、真剣な表情で冷たく言い放った。

「えっ?」

しばらく沈黙が流れたあと、理沙はプッと吹き出して、突然、笑いだした。

「アハハハハッ、冗談だよ。びっくりした?」

お腹を抱えて、大笑いしていやがる。

「あのね、私いいこと思いついたの。このゴキの遼ちゃんの物語を書いてみたらどうかって」

「小説を書くってこと?」

「うん、そう。遼ちゃん、忘れたわけじゃあないよね。私も小説家になりたかったってこと」

そうだった。理沙の小さい頃からの夢だったのだ。その夢を俺に託して、ずーっとこんな俺を応援してくれていたんだ。

「ねえ、どう思う?」

「いいんじゃないか。俺も追い出されるの嫌だし。路頭に迷いたくもないし」

「じゃあ、決まりねっ!よろしくゴキちゃん」

そう言うと、理沙は、おそるおそる手を伸ばして俺の頭をなでた。

「なんか、可愛いよ。面白い顔。よく見るといろんな表情があるんだね」

こうして、俺と理沙の不思議な新生活が始まった。

俺のアドバイスを受けながら、理沙が書いた連載小説は、投稿サイトですぐに注目を集めた。

理沙が調子にのって、自費で電子書籍化すると、爆発的な売り上げを記録した。

次回作を、かなり期待されていた理沙は、困り果てて俺に泣きついた。

不思議なことに、人間だった頃はあんなに苦しんで書いていた小説も、ゴキになってからは、何も考えなくてもツラツラと紡ぎ出すことができるようになっていた。

俺が思うに、ゴキになって人間だった頃の記憶がかなり抜け落ちたんだろう。

以前は、これって似たような話があったよな、と書くことを躊躇っていた物語も、今では100%自信を持って、自分のオリジナルとして紡ぎ出すことができるようになっていたからだろう。

この生活が始まって以来、理沙は怒ることもなくなり、毎日幸せそうだ。俺にも優しくしてくれる。

最近、物書きとして少しづつ仕事をもらえるようになり始めた理沙は、仕事関係のつき合いで遅くなることが増えてはきたが、外泊することはない。

最近では、ホテルでのフロントの仕事をやめて、小説家として食べていこうかな?なんてことも言い出した。

俺には、ずーっと一緒にいてくれる?と言ってくれているので、捨てられる心配はしてはいない。

しかし最近、理沙は、家に置いていない俺の知らないシャンプーの匂いをさせて帰ってくることが増えた。何しろゴキなので匂いには敏感だ。

だが、それもしょうがないことだろう。
何せ、俺がこんな体なので、理沙を満足させることなんてできやしない。

それでも俺は理沙と一緒に寝たくて、今夜もこうしてベッドに潜り込んでいるのだ。


俺の気配に気づいた理沙は、パチッと目を覚ますなり、俺にデコピンをくれると、本当に困ったちゃんね、という顔で声を荒らげる。

「遼ちゃん!何回言ったらわかるの?遼ちゃんのベッドはあっち。ハウス!!」

「俺は、犬かっ!」

俺は、こうして今夜も『ゴキ遼ハウス』となぐり書きをしてあるダンボールでつくられた俺専用の家に、すごすごと戻るのであった。

「はぁ~っ......」ため息しかでない。

「遼ちゃん、ため息をつくと幸せが逃げていくよ!」

俺の背中に理沙のことばが突き刺さる。

俺って...いま少しは幸せなのか?
わからないこと、悩むことばかりが多すぎる。

そんなことを考えていた。

事実は小説より奇なり、このことばが今更ながら本当にそうだと今のこの身に沁みる。

人生って面白いなっ!

けど、ゴキの寿命って......。



最後までお読みいただき、ありがとうございます。





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