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短編小説 『黒い糸』前編

その日は朝から普段とは違う一日だった。晴天なのに、時折、雨が降っていた。俗にいう狐の嫁入りとかいうやつだ。明日香がそのひとに出会ったのは、そんな珍しい日だった。

その男は真夏だというのに、真っ黒なコートを羽織っていた。きっとコートの中は汗だくに違いなかった。

突然、その男は無表情で明日香に近づいてくると、信号待ちをしていた明日香のからだを歩道の後ろの方に突き飛ばした。

明日香が歩道に片手をついて立ち上がりながら、その男に「何をするんですか?」と言おうとしたその瞬間、一台の車が彼女の目の前をすごい勢いで通り抜けて行った。

もし、明日香がそのままそこに立っていたら、間違いなく轢き殺されていただろう。

その男は、明日香に一瞥をくれると、その場を立ち去ろうとした。

「助けてくれたんですか?」明日香が声をかける。

すると、男は明日香をふりかえり、その鳶色の瞳で明日香をまっすぐに見据えると、

「君はまだお迎えが来ていないからね。これが私の役目なんだ。さっきの男との黒い糸は切れたからもう大丈夫だ。今のところはね。ただ、またいつ誰とつながるのかは分からない。赤い糸がありとあらゆる所でつながっているように、黒い糸もいたる所でつながることがある。すまない、しゃべりすぎた。これは秘密だった」と言うと、踵を返して足早に去って行った。

明日香は何のことか全く理解できず、通りのかどを曲がった男を追いかけて、助けてくれたお礼を言おうとして男を探したが、その姿はもうどこにもなかった。

明日香の通う市立高校。
昼休みの教室で大親友の恵美と楽しくお喋りをしている。

明日香は恵美に、最近始めたばかりでどうしても占わせてくれというので、タロットカードで占ってもらった。すると恵美は、

「すごいじゃん!明日香の近くに天使がいて、『明日香を守ってくれている』って出てる。それからね......」

恵美はまだ占いの続きを話していたが、明日香はそんなことは耳にも入らず、朝のことを思い出していた。

「あれが天使?あの男の見た目はどちらかと言うと、天使というよりは悪魔の方に近かった。上から下まで黒ずくめだったし、しかも、この真夏にコートって、暑すぎるでしょ。ありえない」

その日の午後、また、空は晴れているのに雨がパラリパラリと降っていた。

明日香がビルの工事現場の下を通り過ぎようとすると、また、あの黒コートの男が現れて、明日香を横に突き飛ばした。

「いたたたた」明日香が立ち上がろうとすると、一本の鉄筋が地上高くから一直線に落ちて来るのが見えた。それと同時に、上の方にいる人の手と、自分の手の指が黒い糸でつながっていて、それが途中で切れたのが見えた。黒コートの男が切ったかのように見えた。

「どういうことだろう?」

黒コートの男は、怪訝な表情を浮かべながら明日香を見つめている。

「一日に二回というのは珍しいな...初めてだよ。君には何かついているのかな?何か嫌な予感がする。」

「大丈夫でしたか?」と、心配をしている工事現場の人々の問いかけに、

「大丈夫です」と、短く答え明日香はその場を後にして歩き出した。

その男は、「君に一緒についていくよ」と言うと、明日香のすぐ後をついて来た。

明日香は、立ちどまりふりかえると、姿勢をただしてお礼を言った。

「あのーっ。今朝は、どうもありがとうございました。それと...今も助けてくれたんですよね?」

その男は明日香を値踏みするように、じーっと見つめると、「んーっ、50点!」とケラケラと笑いだした。

「はあ?何なんですか、50点って?」

「君の顔、50点!」またケラケラと笑った。

「信じられない!なんて失礼な人。もういいです。さようならっ!」明日がふくれっ面をしながら歩き出すと、男がその後をぴったりとついて来る。

「ついて来ないで!困ります」
そう言って、明日香が男をふりかえると、男はいかにも「周りを見てごらん!」という仕草をしている。

「人が見ているでしょう?」と言って辺りを見渡すと、真夏に真っ黒なコートを着ているのに、誰もこの男を見ていないことに、やっと明日香は気がついた。

それどころか、皆の視線は明らかに明日香に向けられている。

明日香には見えているのに、他の人には全く見えていないみたいだった。

「僕の姿は君だけにしか見えないんだ。悪いけどね......」

「あなた、何者?まさか、天使じゃないよね?」


「天使じゃあない。まあ、君ら人間の認識としては、精霊になるのかな」

「あなたは私を守ってくれましたよね。何でなんですか?」

「それは、黒い糸が見えたからさ」

明日香はさっきの工事現場で見た、あの黒い糸を、思い出していた。

「あの黒い糸は、何なんですか?」

「あれか...あれはね、黒い糸がつながった者同士で殺したり、殺されたりするのさ。それが黒い糸のいわれなのさ」

「赤い糸の話は聞いたことあるけど、黒い糸の話なんか、初めて聞いた......」と、内心『冗談でしょ?』と思ったが、二度も死にかけたのだ、冗談では済まされない。

「君、気づいてる?今ね、周りの人達には、君が僕に話しかけてるのは見えていないんだ」

「君がひとりごとを、ブツブツ言ってるようにしか見えていないんだ。いかにも、挙動不審人物って感じだよ。声に出して話さなくったっていいから、心の中で語りかければ、僕には通じるから」

明日香は男に言われた通り、こころのなかで話しかけます。

「わかった、わかった。あのね、聞きたいことがあるんだけど。なぜ、あなたは私がその...殺されるってわかったんですか?」

「僕には不思議な力があってね。まあ、精霊だから当然なんだけど、黒い糸が出現するところが分かるんだよ。僕はどこへでも一瞬で行けるからね。地球の裏側にだって行けるんだ。だけど、1、2分の間に黒い糸を探し出して、その糸のつながりを切るっていうのは、なかなか難しいものなんだよ」

「それで、どうして今日は二度も私を助けてくれたんですか?」

「それはね、僕の予感がここで待て!と、言ってたんだよ。だから今日は立ち止まっていたんだ。ずっと君の後をつけていたわけじゃないよ。ストーカーじゃないんだから。ただ、不思議なのはね、一日のうちに二回、同じ人に黒い糸が現れるということは、たったの今まで、見たことも聞いたこともなかった。ありえないことなんだ」

「それで、何故あなたはその黒い糸を切るのですか?死ぬんだったらほっとけばいいじゃないですか
?」

「そこはまた微妙でね。死んでいい人と悪い人、っていうのがいるんだよ。寿命がまあ...尽きた人はそのままほっとくんだけど、寿命が尽きていない、君みたいな子は、僕が助けないと、僕はひどい目に遭うんだよ。ひどい目って、よく地獄の業火で焼かれるって言うだろう。あれを100倍くらいにしたような感じかな」

「まったく、どういうものか想像がつかないんですけれど、恐ろしく痛いってことだけは分かります」

「痛ったいんだよ。もう、本当に。涙がちょちょぎれるぐらいにね。君にも一度ぐらい味わってもらいたいもんだ」男はニヤリと笑った。

と、突然、黒コートの男の顔つきが、今までのにやけた顔から真面目な顔つきに変わった。その瞬間、明日香はまた歩道の横に突き飛ばされた。明日香の目の前を、自転車が猛スピードで走り抜けて行く。自転車に乗った男はふりかえりもせず、そのまま走り去っていった。

「危ないところだった。三度ってっていうのは何なんだろう?意味が分かんないな。俺も長らくこの役目を経験しているけど、こんなことは本当に初めてだ」

「君はいったい何者なんだ?ただの女子高校生にしか見えないんだけど、頭の悪そうな......」と苦笑している。

「頭が悪そうなのは、余計でしょう?あなただって決して賢そうに見えないわ。この真夏に黒いコート着込んで、馬鹿じゃあないの?」

「だからぁ、この黒いコートは他の人には見えないし、僕も全然暑くないんだよ。何なら、このコートを脱いで、君にその中身を見せてやってもいいんだけどね。変態おじさんみたいに。フフフ」と男は笑った。

「嫌です!そんなもの見たくありません!」

「そんなものってなあに?そんなものって?」

「馬鹿っ!そんなの言えるわけないじゃないですか」

「ウブな女子をからかうのは面白いなあ。今まで、何百人の人たちを助けたけど、君みたいに僕と最初からこんな風にスラスラと話して、気持ち悪がらない娘は初めてだ。長く生きてると、あっ、俺死んでるの?まあ、とにかく長らくこの仕事してると、こういうこともあるんだな。人生って面白い!精霊の暮らしって面白い!」

「それで、精霊さん。いったいどこまでついて来るんですか?」

「どこまでって、ずっとだよ。また何があるかわからないでしょ?」

「ダメっ!もう、帰ってください。お願いっ!」

「そう言われても...もし、もし君に何かあったら...僕はあの恐ろしい罰を受けることになるんだ」まるで子供みたいに大きな声を上げて泣き出した。

「分かった、分かりましたから。家まで送って下さい。それでいいでしょう?」

さっきまで泣いていたのが嘘のように、

「ラジャー、ブラジャー、パッセンジャーっ!」と敬礼して、くだらないダジャレを言った。

蔑むような目で、男を見る明日香。

「ここまで結構です。三度も助けていただいて、本当にありがとうございましたっ。さようならっ!」

家に着くと、明日香はそう言って、玄関のドアをピシャリと閉めた。


続く

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

短編小説『黒い糸』後編へと続きます。

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