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掌編小説 『記憶の中の天使』

僕が記憶を失い、この町で暮らし始めてからもう半年が経った。

雪が深深と降り積もる、凍えるような寒いある日の朝、僕は衣服を全く身につけず、わたあめのようにフカフカな幾重にも折り重なった雪の中で見つけられたと言う。生きていたのが不思議なくらいだったと言われた。

見つけてくれたのは、この雪深い田舎町で小さな診療院を営む医師の高倉だ。
物静かなひとで、昭和を感じさせる一見ダンディーなおじさんだ。

最初の頃は、高倉をはじめとする多くのこの町のひとたちが八方手を尽くして探してくれたのだが、結局、僕の名前や、家族、住所、仕事場などの情報は何一つ分からず仕舞いだった。SNS全盛期の今でさえ、まるで誰かに邪魔をされているみたいに......。

そう言うわけで、僕は今、高倉の家にしばらくお世話になった後、 彼の知り合いが所有するアパートを紹介され格安で住まわせてもらっている。

あるとき、ふとしたきっかけで、僕は料理ができるということが分かってからは、 そのアパートの近くの喫茶店で働いている。

自分で言うのもなんだが、かなり美味しいと評判になり、お客さんが増えたものだから、店のオーナーママは大喜びだ。

僕は料理をすることがすごく好きみたいで、料理をしている間は本当に幸せな気分になる。
間違いなく以前の仕事は調理師だったんだろう。

それと読書が好きみたいだ。
ある日カウンターに座ったお客さんが有名な作家の全集を持っていて、それが目に入って少し読ませていただけないですか?と訊いたら快く承諾してくれた。
それ以来、県立図書館に行って、昔の小説家の全集を借りて少しずつ読んでいる。

ここで暮らすには名前が必要だろう、と言うことになり、僕はいま翔平と呼ばれている。
この店のママにつけてもらった。
ママいわく、僕の雰囲気がそんな感じなんだそうだ。

僕の記憶の片隅に、夢の中に時折出てくる少しやんちゃな可愛い天使がいる。
頭にこびりついて離れない。

ある日、僕が目玉焼きを作ってやったら、半熟は見た目がプルプルしていて気持ちが悪いって言うから、両面焼きで中は少しだけトロッとした感じで出してやったら、それ以来、朝はそれと、たっぷりのカフェオレ、ちょっと厚めのトーストに多めのバター、ハチミツがけをさいそくするようになった。

その天使は花が大好きだった。
いつもいっぱいの色とりどりの花達に囲まれて幸せそうな顔をしていたっけ。

それと、彼女はお気に入りのテーブルに座って、いつも、「あーでもない、こーでもない」と、ひとりブツブツ言いながら物語を考えるのが大好きみたいで、ノートに綴っていた。
そのノートも二百冊は優に超えていたと思う。

そのノートを一度見せてくれたことがあったが、さすが天使だ、と思わせる内容の物語だった。
ある意味、ぶっ飛んでいる。
使われている言葉も独特、物語もほかで聞いたことなど一切ないものだった。

やはり、物語を紡ぐにはそれまで経験して来たことが大きく左右するのだなあ、と感心したもんだ。天使だから誰も想像出来ない経験をして来たんだろう。

ふたりでの会話の時は、いつもおしとやかじゃ全然ない、ぶっきらぼうな返事が返ってくる。
「あいよ。オッケー。了解。」等々。

 たま~に、「えへへヘっ」と、ひとりで思いだし笑いをする様もまた面白かった。
その時の、両目がかまぼこみたいな形になっていたのも懐かしい。

どうやら夢の中では僕はこの天使に恋をしていたみたいなんだが、こいつがまたツンデレで、普段は僕の方を見向きもしない。

それで僕は用がないのかなと思って、「じゃあね!」と、帰ろうとすると、「えっ、もう帰るの?」と、とたんに本当に寂しそうな顔をする。

まあ、あのギャップには誰だってやられてしまうけどね。
女子のツンデレはただでさえずるいのに、天使のそれは破壊力抜群だ。

これが僕のただの妄想か、夢の中の出来事なのか、
それとも本当に、この天使と一緒に暮らしたり付き合ったりしたことがあったのかどうかは、いまだにわからない。 
そして、僕はこの天使に会いに行く途中だったような気もするんだ。

何かの約束をしていたような気もする。 
「また会おうね!」とかそういうことだったような気もするんだが、
何せ記憶を失くしているのだからどこに行けばいいのか分からないし、
この天使がいったい誰なのかもわからない。

天使だから現実に会えないかもしれないし、 
まあ、現実問題としては存在はしていないだろうな、とは思う。

そんな日々を僕はまだ過ごしている。
これからもしばらくの間は、この場所にいることになりそうだ。

けれども、その天使のことを忘れたことは一度もない。
いつも頭の片隅にある。

まあとりあえずは元気で毎日の天使のお仕事をこなしているのであれば、
彼女が幸せでいるのなら、それでいいかなと思っている。


毎日の暮らしは否が応でもやって来る。
過去を振り返るのは懐かしく愛おしいものだが、 人間ってやつは前に進むものだ。

いらないものを少しずつ捨てながら、
大事なものを残し、
少しずつ必要なものを拾いながら、
心の痛みを抱えてでも、前に進まなければならない。

そして、その歩みは死ぬまで続くのだ。
どうせ続くのだったら、楽しいものにしたい。
充実して満足のいく人生を送りたいんだ。

何一つ思い残すことのない人生を過ごしたい。

できれば、ひとりではなく、となりで誰か一緒にその長い道のりを歩んでくれれば最高なのだが、その願いは叶うのだろうか?

きっと叶うと今は信じよう。




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