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『サザンクロス ラプソディー』vol.28

「えっ! ユウカ?......」

仕事を終え、帰宅したら、そこにはユウカがいた。ポールとふたり、リビングの長テーブルで、向かい合ってコーヒーを飲んでいる。

「ヤマ、お帰り。彼女、今日からここに住むことになったから」

「えっ! 今日からユウカがここに住むの?」

「ヤマさん、久しぶり。元気にしてた?」

ユウカは立ち上がって、柔らかい微笑みを浮かべている。

久しぶりに見るユウカは、以前にも増して、その美貌に磨きをかけているようだった。
もともとスレンダーなユウカだったが、そのからだはさらに引き締まったようにも見える。

ユウカがオーストラリアを去ってから半年が経ち、いまは十一月初旬、季節は夏を迎えていた。

三日前にシドニーに着いたユウカは、今朝までホテルに泊まっていたそうだ。昨日、ポールと電話で話をしたユウカは、今日からここに住まわせてもらうことになったという。
ポールも、渡りに船だったようだ。

二階の部屋は、件の中国人夫婦がこの家を去ったあと、誰も住んでいなかった。

そして、ふた月ほどまえ、一階の部屋に住んでいたサシャが、恋人のソフィアといっしょに住むことになり、この家を出て行った。

この家のオーナーであるポールは、ローンを組んでこの家の支払いをしている。二部屋も空き部屋があれば、その分をそっくりそのまま自分が支払いをしなければならない。
負担がかなり大きかったのだ。

そんなときに、ユウカがやってきて、「そちらに住みたいんですが......」との打診だ。
ポールは即答だっただろう。

以前、ポールはユウカと二度ほど顔を合わせたことがあった。もちろん、俺の彼女だと認識はしていただろう。もっとも、俺にとってユウカは、彼女には違いなかったが、ポールの想像しているような普通の彼女ではなくて、セフレだったのだが、もちろん、ポールはそんなことなど知る由もない。

前回、ユウカは学生ビザで来ていたが、今回は観光ビザでやってきたという。
この半年の間、俺はユウカと連絡を取ることは一度もなかった。
彼女からは俺に絵ハガキの一枚すら送られてこなかったし、俺に直接電話をかけてくることもなかった。
だって、俺は清算されたセフレだったからだ。

「じゃあ、ふたりで積もる話もあるだろうから、僕はこれで」

ポールはそういって、二階の自分の部屋に上がっていった。もう夜の十一時をすこしまわっていたということもあったのだろうが、あまり英語が話せないユウカを気づかったのだろう。

この家のルールでは、ポールが俺たちといっしょに居れば、俺たちふたりは英語で話さなければならないからだ。

「びっくりした?」

「ああ、びっくり、クリクリ、クリスマスだよ......いまは十一月、クリスマスまではまだ遠いけど」

「相変わらず、つまんないギャグ」

ユウカはそういいながらも口もとを手のひらで覆って、声を出して笑っている。

「それで、どうしたの? ここに住むなんて......」

俺は突然のことで、本当に驚いていた。
俺は『なんでなんだよ』と心のなかで訝しがっていた。

「うん......。日本に帰っていろいろ楽しいことにチャレンジしようとしたのよ。けど、ある日、そんなことより、ヤマさんのことばかり思い出している自分に気づいちゃって......」

ユウカは恥ずかしそうに目を伏せた。

「俺もユウカのことは気にかけていたし、それは嬉しいことだけど。けど、そういいながらも何人かの男の子たちとは、その......遊んでたりして」 

俺はちょっと意地悪をいってみたくなった。
しつこいが、なにしろ俺は、過去の男、一方的に清算されちゃったセフレのはずだったからだ。

「えーっ!......そんなことを訊くの? それに関してはノーコメント」

ユウカは一瞬困ったように眉間にしわを寄せたが、すぐに笑顔を取り繕って、誤魔化すようにいった。

「それで、ヤマさんともっと親睦を深めたくて」

「親睦?......なんか、社交辞令みたいな堅っ苦しいいい方だね。お互いにもうからだの隅々まで知ってる仲なのに?......」

俺はユウカに、セックスというものの素晴らしさを改めて教えてもらった。からだに関していえば、お互いに隠しているところはなにもない。

「まあ、確かにそうだけど。そうじゃなくって、私、ヤマさんのこと本気で好きになったみたい。だから、まえみたいに遊びじゃなくって、真剣にお付き合いがしたくって」

「それはうれしいけどさ。俺たちって始まりが軽い感じだったでしょ? それに、こういういい方はどうかと思うけど、ユウカはひとりの男に縛られたくないって、まえはいっていたよね? 実際に俺のほかにふたりの男たちと関係を持ってたでしょ?」

「そうだけど......。あのね、ひとって変わるものなんだよ、ヤマさん」

ユウカは真っ直ぐに俺の瞳を見つめている。

「うん......そうだとしても、俺......ユウカのことを、大切にしたいたったひとりの恋人だ、なんてすぐには思えないよ」

「わかってるって、そんなこと。だから、お互いのことをもっとわかり合いたいっていってるんでしょ?」

ユウカのその口調には、有無をいわせぬものがあった。
俺はユウカのそのことばに困惑していた。
俺の頭のなかではいろんな考えが渦巻き、上手く処理できていなかった。

「まあ、とりあえずはここに住むことになったから、よろしくね。私......別に焦ってないから、すこしずつ距離を縮めていこうよ」

ユウカがそんなに真剣に、俺とのこれからのことを考えていたのなら、俺に彼女がいるのかどうか事前に確かめもせず、この家に住むことを先に決めるなんてどうかしている。
もし、俺に付き合っている彼女がいたらそのときはどうする気だったんだろう。

たぶんユウカは、自分が声をかければどんな男もホイホイついて来る、そんな自信があるからなのだろう。
まあ、確かにこれだけいい女なら、ユウカから好きだといわれて拒絶するやつなんて、そうそういないだろう。

「うん、わかったよ」

「じゃあ、改めまして、私、ユウカです。よろしくお願いします」

ユウカは、両手をからだのまえで軽く重ねると、そういって子どもみたいに可愛らしくペコリと頭を下げた。

「俺は、ヤマです。ユウカさん、こちゃらこそよろしくお願いします」

俺はユウカのその杓子行儀なあいさつに、なにを思ったのか、いい間違いをしてしまった。『こちゃらこそって......』
なんか、すごく恥ずかしい。

「もうっ! せっかくの改めましてのあいさつが台無しでしょ。なに、こちゃらこそって」

ユウカは、「こちゃらこそ、こちゃらこそ」と同じことばを二度繰り返すと、お腹を抱えて笑い出した。

俺はバツが悪いやら、なんやら、ユウカの笑いに釣られて声を出して笑っていた。

時刻はもう深夜零時に近かった。
俺は人差し指を立てて口にあてると、「ポールはもう寝てるだろうから、ユウカの部屋へ行こう」と声を落として、ユウカの手を引いた。

小さな手だ。

懐かしいユウカの右手だった。冷たくて、温かい。
俺はその瞬間、うれしさが込み上げてきて、泣きそうになった。

「本当に久しぶりだね、ヤマさん。すごく会いたかった......」

「俺も会いたかったよ、ユウカ......」

部屋に入ると、ユウカは俺の唇にすこし熱を持ったじぶんの唇を重ねてきた。そして、俺のからだをぎゅっと抱きしめると、とまっていた時間を取り戻すかのように激しくからだを預けてきた。



ユウカは玄関脇の一階の部屋に住むことになった。俺の部屋は二階だから、もちろん別々の部屋だ。エッチをするときは、俺が一階のユウカの部屋に行く。

英語学校にも行かず、アルバイトも観光ビザでは以前みたいに大っぴらにできないユウカは、暇を持て余していた。

ひとりでスキューバダイビングの教室に通ったりしていたが、そこで知り合った男性と、ふたりきりでどこか別の場所へ出かけることなどは決してないようだった。グループでお茶をしたり、食事を楽しんだりとかはしているようだったけれど。

俺のことを、ただひとりの大切な彼氏、と思い込もうとしているかのように俺には思えた。

実際のところはわからなかったが、「今日はこんなことがあったの」、「その男の子ってバカでね」とか、俺から訊かれもしないのに、浮気はしていませんアピールをことあるごとにしていた。

「村岡さん、たまには早朝ゴルフに行きましょうよ」

「そんなことをしたら、嫁さんが怒るって。だから絶対に無理だよ。ごめん、ヤマ」

村岡さんには男の子が授かり、村岡さんは奥さんの手前、休みの日には子守を必ずするようになっていた。

村岡さんは、本当はゴルフをしたいのだろうが、昼の休憩時間に楽しみにしていた、ゴルフ練習場へもまったく行かなくなった。

「ゴルフクラブを一度でも握ってしまうと、コースに出たくなるのは目に見えているから」と村岡さんは寂しそうに項垂れた。

ゴルフ仲間がいなくなった俺は、相変わらず昼間の休み時間には打ちっぱなしには行ってはいたものの、仕事まえの早朝ゴルフも、ゴルフコースに行くこともほとんどなくなっていた。

加茂下さんとは二度ほどふたりだけでコースに出かけたが、教え魔の加茂下さんに辟易してしまい、誘われても、用事があるので、と断ることが何度か続くと、そのうちお呼びが掛かることもなくなっていた。

というわけで、俺は、ゴルフ好きのユウカといっしょに、休みの日には必ずゴルフコースでプレイするようになった。

「ユウカは相変わらずゴルフうまいね。ハンデをもっと貰わないと、俺は負けてばっかりだよ」

「なにいってるの? その負けて悔しいって気持ちが、ゴルフを上達させるんでしょ」

ゴルフ場からの帰りの車のなかで、ユウカは、「これ以上のハンデは絶対にあげない」と取り付く島もない。

「ヤマさん、私、ヒレステーキね」

「そうか、もうあっさりしたものしか胃が受けつけないんだね、ユウカ」

「あーっ、ヤマさんったら、酷い。私はまだそんな歳じゃないって。太りたくないからだよ」

ユウカはそういいながら、車の運転をしなければならない俺を尻目に、美味しそうにビールを堪能している。

ゴルフ場からの帰り道、俺たちはバーベキューハウスで昼食を取ることにした。

「ユウカ、焼けたよ。ソースはどれにする?」

バーベキューハウスでは、肉は自分で焼かなければならない。なにしろ約一ポンドのステーキ肉だ。
焼くのにかなりの時間がかかるため、慣れないと、焼きすぎて焦がしてしまうこともある。

「ヤマさんのおすすめは?」

「ユウカには、やっぱり醤油ベースのコレかな。俺はグリーンペッパーソースにするよ」

ソースをたっぷり絡めたTボーンステーキを口に運ぶ。

旨い!

本当はミネラルウォーターではなく、ビールが飲みたかった。けれど、俺は運転手だからしょうがない。我慢だ。

そんな俺を尻目に、ユウカは見せびらかすようにビールを飲み干すと、お代わりした。

『夜はいじめてやるからな。覚えていろよ』

俺は復讐心に燃える。

俺の仕事が休みの日には、俺とユウカは、朝からゴルフに出かけ、昼食にステーキを頬張りスタミナをつけ、家に帰ってシャワーを浴びたあと、三ラウンドから五ラウンドを一気にこなす、という日々を送るようになっていた。


〈続く〉



ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
話は続きますが、不定期更新なので、次はいつになるのか今のところ未定です。ご了承下さい。

尚、全く内容の違った作品も間に投稿する予定です。これについても、予めご了承下さい。

今回のこの作品は、1989年頃の物語という設定ですが、実在する人物、店舗、団体、地名などとは一切関係ありません。

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