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『サザンクロス ラプソディー』vol.35

「日本人はここをイングランドと呼ぶみたいだけど、それは間違ってるから。わたしたちは普通ブリテンと呼ぶの。この国の正式な名称は長すぎるから、『the United Kingdom』もしくは、『the UK』といういい方や表記が一般的なのよ」

キャロルはあきれたようにそういった。

俺たち日本人はこの国をイギリスまたは英国という名で認識している。それで、過去にキャロルの家に住んだ日本人たちは皆一様に、この国をイングランドと呼んだそうだ。キャロルはその度に「それは違うから」と教えてきたという。
俺もご多分に洩れずそう呼んだから、キャロルとしては、またですか、という気持ちが強くてそんな表情になったんだろう。

ここ『the United Kingdom』はひとつの国ではなく、イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドからなる連合王国だとキャロルは教えてくれた。

「ヤマを脅かすみたいで申し訳ないけど、一応伝えておくわね。ほんとうはあんまりいいたくないことなんだけど、万が一ってことがあるからね」

キャロルはそう前置きして、突然思い出したように十五年ほどまえに起こったある大事件を教えてくれた。

ロンドン塔爆破事件は1974年7月に起こった。この爆発により一人が亡くなり、何十人ものひとが負傷し、その多くが手足を失ったり、顔などに重傷を負ったという。
当時、塔は観光客で混雑していて、負傷者のうち十数人は子供だったそうだ。
この爆破については誰も犯行声明を出さなかったものの、ある組織の犯行に違いないと疑われていた。

1990年頃のイギリスは、いまだにその組織による爆弾テロの脅威の最中にあった。
標的となっていたのは主に北アイルランドにおける英国軍、北アイルランド警察、及びその関連の施設だったが、ここロンドンもその脅威に晒されていた。
一般人が爆弾テロに巻き込まれる危険性はいつでもあった。

俺がのほほんと観光をしていても、表向き平和そうに見える街なかを歩いていても、いつそんな災難に巻き込まれるかなんて誰にもわからなかった。

「こんなことも起こり得るんだ、ということだけは、くれぐれもこころに留めておいてね。それじゃ、今日も楽しんでね」

そういいながらも、キャロルはその当時のことを思い出したのだろう、悲しそうな顔をした。

「楽しんでね」といわれても、そんな話を聞いたあとじゃ、なんか余計な警戒をしそうで楽しめるような気はしなかったが、ここ最近はそんな事件は起こっていないというし、考えてもしょうがないことだ。

1987年に公開されたミッキー・ローク主演の映画で、その組織のことをすこしは知っていたが、キャロルの口から爆破事件のことを聞かされると、実際にあることなんだとすこし身構えてしまった。



今日はこのまえ行けなかった、グリニッジへ行くことにした。

空には羊のような雲がところどころに浮かんではいるものの、ロンドンで初めて見たきれいな青空だった。
ここに来てからこれまでは天気がよくない日ばかりだったが、思い返してみるとポツリポツリと小雨が降ることはあっても、ザーッと強い雨に降られたことは一度もなかった。
傘を差したこともなかった、というか、俺は傘を持っていないことに気がついた。いつか傘の一本くらいは買っておかないといけないだろう。

グリニッジへ行くまえに、トラベラーズチェックを率のいい銀行でポンドに換金しようと、なかに入り列に並んでいた。
すると、カウンターで窓口の行員の接客を受けていた女性が、突然、大声でそのテラーといい争いを始めた。
その女性が困ったように彼女の後ろに並んでいるひとたちを振り返ったときに目が合った。

マリアンヌだった。

俺が気づいたのとほぼ同時に、彼女も「あっ! 」と声を上げて、地獄で仏に会ったかのように俺を呼んだ。

「どうしたの?」

「私、銀行口座を開きたいんだけど、ことばが通じないのよ」

不思議なこともあるもんだ。彼女の話は俺にはこうやって普通に通じているのに、なぜ、そのテラーには通じないのだろう。
もちろんそれは俺がフランス訛りの英語に耳馴染みがあるということもあったのだと思う。

「彼女が銀行口座を開きたいといっている」と俺がそのテラーに伝えると、マリアンヌは別の行員にローカウンターに案内された。口座を開くには、記入する書類も多く時間がかかるため、座ってお話をというわけだ。
俺はマリアンヌのすがりつくような目を無視できず、しばらく彼女のとなりに座っていた。けれど、今度のテラーはマリアンヌがいっていることが難なく理解できるようだった。

フランス人は『H』を発音しないし、フランス語の『R』は喉で発音し、舌先を下の歯の裏側に軽くくっつけて発音するため、英語の『R』の発音とはまったく違う。
だから、フランス人はかなり意識して、このふたつの発音をしないといけないのだとポールが教えてくれた。

英語でコミュニケーションを取ることに関しては、俺も思うところがある。

ほとんどの英語ネイティブは、多少発音が聞き取りづらくてもわかってくれようとする。
けれどもなかには、「英語がわかる奴と一緒に来い」などと横柄な態度で暴言を吐く奴もいる。
俺は役所でこれをいわれたことがある。
なにしろ、その担当者は早口すぎたこともあったが、それ以上に専門用語の単語の羅列だ。
まったく意味がわからないから、どういう意味なのかいちいち聞き返すことになった。
それで彼女は吐き捨てるようにそういったのだ。

俳優の仕事でも一度そういうことがあった。
メイクアップ担当の女性から電話がかかってきて、仕事当日のことをいろいろと説明された。
そのなかで聞いたことのない単語、いわゆる略称や業界用語が出てきたので、「これってどういう意味なのか?」と聞いたら、思いっきりため息をつかれた。
そして、「英語を理解できるひとが誰か近くにいる? 」といわれた。
「いまは誰もいないけど」と答えると、またハーッとわざらしくため息をつかれた。
さすがの俺もブチ切れた。そして、そのままなにもいわずに電話を切った。

それからすぐに俺のエージェントに電話をかけた。

「彼女が電話でひどい対応だったので、悪いけど今回の仕事は引き受けないことにする」と電話の件を伝え、そう告げた。

すると、すぐに折り返しの電話があった。

「彼女が謝っているから、そんなこといわずに引き受けてくれるか?」とエージェントからいわれた。

ほんとうにその本人が謝っているのかどうなのか疑わしいものだったが、結局、俺はそのテレビの仕事を引き受けた。

その仕事とは、日本人の学生が夜遅くの閑静な駅の構内で暴漢に襲われ、拳銃で脅され殴られ、雨のなか地面に叩きつけられてリュックを奪われた事件の再現ドラマだった。

このときは、事前に手渡された台本をマリコに見せて、お手伝いをお願いした。
しかし、マリコは、専門用語がわからないからお力になれそうもない、といった。

英検準一級の彼女がわからないのだから、俺にそんなものがわかるはずがなかった。

そういうことが過去にあった。



グリニッジ。

世界標準時の基準となる子午線が走るグリニッジ天文台がある場所だ。

グリニッジへは公共の足として使われるリバーボートに乗って、テムズ川クルーズをすることにした。

ビッグベンまえのウェストミンスター埠頭から、グリニッジまでは約四十分の小船旅だ。

この日は天気がよかったから、デッキに出て、風に吹かれながらロンドンの街を眺めた。

テムズ川沿いのロンドンの名所や街並みが、次々と視界に入っては過ぎ去っていく。

グリニッジ埠頭に到着すると、十九世紀の紅茶貿易で使われた帆船カティーサーク号がお出迎えしてくれた。
十九世紀に中国からイギリスまでいかに早く一番茶を届けるかを競った、快速帆船のひとつだ。

水飛沫を上げて荒波のなかを突き進むカティーサーク号をはじめ、競い合うほかの帆船たちの勇姿が目に浮かぶ。

「今回も俺たちが一番茶を本国へ届けるんだ!」「オーッ!」「ツー、シックス、ヒーブ!」

船員たちのそんな威勢のいいかけ声が聞こえてきそうだ。

グリニッジでは、観光客お決まりの子午線またぎをやったあと、旧王立海軍学校、王立海事博物館、旧王立天文台などを見てまわり、グリニッジ・パークでしばらく休憩して、また帰りもリバーボートに乗って、船上から眺めるロンドンの風景をこの目に焼き付けた。



世界の大都市に必ずといっていいほどあるもの、それはチャイナタウンだ。

ロンドンのチャイナタウンは、地下鉄ピカデリー線のピカデリーサーカス駅とレスタースクエア駅の間にある。
ヨーロッパでは一番大きい中華街といわれていた。

ここには中国料理をはじめとしたアジア各国の料理のレストラン、日本の食材を買えるスーパーもある。

もちろん、商品にもよるが、だいたい日本の相場の約3~4倍くらいといったところだ。

通りを眺めながら歩いていたら、マリアンヌがいた。近づいて、声をかける。

「狭い世界だね、マリアンヌ」

「あっ、ヤマ! 朝はありがとう」

「いや、お役に立ててよかったよ」

「仕事はもう終わったんだね。もしかしたら、食事に行くところ?」

この時間には仕事を終えていることを、朝、銀行で聞いていた俺は、マリアンヌがひとりでチャイナタウンにいるところを見てそうだと思った。

「うん、そう。ヤマはグリニッジには行ってきたの?」

「うん。あちこち見てまわってお腹がすごく空いたから、俺もここでなにか食べて帰ろうかと思って」

「グリニッジは楽しかった?」

「うん、すごく楽しかったよ。グリニッジまで行きも帰りもリバーボートに乗ったんだ。今日は天気もよかったし、ボートから眺める風景は最高だったよ」

「すごく楽しそう。私もいつか行ってみようっと」

「絶対行くべきだよ。ボートに乗るだけでも楽しいし」

「ところで、ヤマはひとりなの?」

「うん、そうだよ。マリアンヌは?」

「私もひとり。よかったら一緒にご飯食べない? 朝のお礼もしたいし」

「お礼なんて、それはいいけど。じゃあ、一緒に食べようか?」

俺たちは食事を共にすることにした。

「英語のほうはどう?」

チャイニーズレストランのテーブルについて、注文したものが出てくるのを待つ間、俺はマリアンヌに英語の勉強がはかどっているのか訊いてみた。

マリアンヌとはなぜか波長が合う。
日本人のマユと俺との間にはなにかしら見えない高い壁みたいなものがあるのを初めて会ったときから感じていたが、マリアンヌに関しては、そんなものは初めから存在していなかった。

それはきっと彼女のフランス訛りの英語のせいもあったのだろう。耳馴染みがあるせいか心地よく感じる。

店員をやっていると、マリアンヌはいつも英語を話すことになる。
受け答えはほとんど決まっているとはいいながらも、ひとことふたこと話す雑談は彼女にとっては貴重な勉強になるのだという。
相手がいっていることがわからなければ、遠慮なく「それってどういう意味?」と訊くことができるし、発音が上手くできなければ、親切な男性なら唇の形を見せながら丁寧に発音して見せてくれるそうだ。
マリアンヌがフランスからここに英語を勉強しに来ていることを知っている常連客は、嫌な顔ひとつすることはないという。
ま、それはもちろん彼女が魅力的な女性だからだろう。

英会話を勉強したいのなら、英語ネイティブの彼氏、彼女を見つければいい、というのはほんとうだと思う。
常に英語を聴いていれば、耳も慣れてくるし、話すのも、いちいち頭のなかでことばを母国語から英語に置き換えなくても、いいたいことが口をついて出るレベルになるのに、さほど時間はかからないだろう。もちろん、それほど難しくない内容の会話に限られるが。

要するに、いつでも英語を使う環境に自分の身を置くことが大切だということだ。ツグミみたいに。

ポールがいっていたことだが、大学で英語を勉強したことがある日本人たちは、難しい単語を使おうとする傾向があるという。
それはどういうことかというと、英語ネイティブが簡単に句動詞ですませるところを、そういうひとたちは難しい単語を使って話そうとするから、余計に伝わりづらいし、英語に慣れていないような印象を受けるのだそうだ。

ポールがいうには、それは読み書きが得意なひとほどそうだという。句動詞はそれ自体にいろんな意味があるから、論文などを書くときは、文章を正確に伝えるために単体の類義語に置き換える必要がある。
だから、読み書きが完璧なひとほどそういう傾向があるそうだ。

「もちろん、ネイティブではないのだからそこまで話せなくてもあたりまえなのだけれど、日本人は完璧主義というか、シャイというか、間違ったら恥ずかしい、という思いが強すぎるのよ。そもそも英語を話すことに対して恐怖心を抱くひとが多いの。特に高学歴のひとほどそうなのよ」と英会話を教えることを仕事にしていたツグミは、ポールの話のあとを受けて補足するようにいった。

「その点、ヤマさんはほかの日本人とはぜんぜん違うよね。間違ってても、『そーなんだ』ですませるし、ぜんぜん恥ずかしそうじゃないし」

そういってツグミはおどけた顔をして見せた。

「それって褒めてるの?」

「うん、そうだね。半分半分ってところかな」

「ツグミ、半分半分ってどういうこと?」

「恥ずかしがらずにまず話すってことは大事だと思うよ。けどね、知らないことを恥ずかしいと思うからこそ、恥をかかないように頑張って勉強しようとするんじゃないの? 私はそうだったし」

「日本語ダメでーす!」

小難しい話になると、ツグミと俺はいつの間にか日本語で話している。その度に、そういわれてポールに注意されるのはよくあることだった。

自慢していうことじゃないが、俺は高校時代、全教科のなかでもっとも苦手としていたのが英語だった。だから、もともとできなくてあたりまえという意識が強かった。そういうわけで、英語を話すことに躊躇することがまったくなかったのだ。

ただ、オーストラリアに来てからというもの、中学、高校の六年間、もっと真面目に英語を勉強しておけばよかったと後悔することがほんとうに多かった。特に英文法の大切さを思い知った。海外で生活することが事前にわかっていたら、必死になって勉強していたとは思うけど、『後悔先に立たず』だ。
なんにしても、人生ってやつは、思うようにはいかないことのほうが多い。


「マリアンヌはよくここに来るの?」

「うん、安いし、早いし、店から近いし。よく来るよ」

「そうなんだ。家では作らないの?」

「作れるものなら作るけど、私、料理はそんなに上手じゃないから」

マリアンヌは熱くなったんだろう。上着を脱いだ。半袖シャツからのぞく彼女の右の二の腕にはタトゥーが入っていた。

「めずらしい?」

俺のその視線に気づいたのか、フライドライスをスプーンで口に運びながら、マリアンヌは自分の二の腕をチラッと見やり、俺に視線を向けた。

「うん。マリアンヌみたいにきれいな女性がしているタトゥーって生まれて初めて見た」

日本映画で女賭博師が背中の刺青を見せつけながら啖呵を切るシーンなんかは見たこともあったけれど、生身の女性に施されたタトゥーを目の当たりにしたのは生まれて初めてのことだった。

プチショックだった。

「私、これ気に入っているのよ」

なにかの絵柄とたぶんフランス語が彫られていた。マリアンヌの顔と二の腕のタトゥーを交互に見返す。
俺のなかでは違和感しかなかった。

「クールだね」

俺はそういって、コンビネーション炒麺にチリガーリックを箸でチョンチョンとつけて口いっぱいに頬張ると、そこでその話をやめた。

説教オヤジじゃあるまいし、「親にもらったからだになんてことをするんだ!」と思わずいってしまいそうになったからだ。


〈続く〉


このシリーズのイギリス編のトップ画像は、いまもロンドンで暮らしている写真家の友人が撮影したものです。

noteの記事に使わせてもらいたいんだけど、ロンドンの写真を送ってもらえないかな、とお願いしたところ快諾してくれました。

その友人はオーストラリアからイギリスへ渡った後、もう三十年以上もロンドンに住んでいるそうです。

ですので、これらの写真のなかには1990年当時には存在しなかったものも含まれています。

三年ほどまえにその友人と約三十年ぶりにSNSでつながり、いまでも連絡を取り合っています。

若い頃いっしょに同じときを過ごした友人と、いまもこうして会話を交わすことができるのはほんとうにうれしいものです。




ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

物語は続きますが、不定期更新なので、次はいつになるのか今のところ未定です。ご了承下さい。

尚、全く内容の違った作品も間に投稿する予定です。これについても、予めご了承下さい。

今回のこの作品は、1990年頃の物語という設定ですが、実在する人物、店舗、団体、地名などとは一切関係ありません。

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