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短編小説 『黒い糸』後編

「お母さん、ただいま!」

「ああ、明日香。おかえりなさい」

「あーっ、今日は本当に疲れた」そう言って、明日香が冷蔵庫から飲み物を取りだし、母に話しかけようと振り返ると、そこには、黒コートの男が母のとなりに立って、思いっきりの変顔をくり出していた。

「それでね、明日香......」

明日香は男を無視しようとしたが、間近で見るその男の全力の変顔の破壊力は凄まじかった。

「アハハハッ、もうダメッ。アハハッ、ヒィーッ。おなかがっ、おなかがーっ!」

「明日香!なにがそんなに可笑しいの?明日香っ!」

明日香は笑い転げながら、二階の自分の部屋に入って行く。後をついていく男。

「家の外までで、いいって言いましたよね。なのに、部屋の中にまで入ってくるなんて、信じらんないっ!」

「そんな冷たいこと言うなよ。君と俺の仲じゃないか」

「どんな?」

「まあ、助けたり、助けられたり?」

「もう、いい!いいから、早く帰って!」

「そういう訳にいかないんだな、これが......」

「なんで?」

「俺の予感が、また、あの黒い糸が現れるって知らせているんだよ。せめて、今日一日が終わるまでは......」

「今日一日って、零時までってこと?」

「そういうことになるかな」

「......」男をにらみつける明日香。

明日香は、男をやれやれと呆れた表情で見つめながら、気になっていたことを尋ねる。

「話は変わるけど、教えて欲しいんだけど、その黒い糸がつながった時に、つながった相手が私を殺そうとしている、っていうことはわかった。けれど、何故それが今日三回も続いたの?」

「それは俺にも分からない。初めてのことだから...どうしたものか?とりあえず、今日一日終わるまでは君のところにいるよ」

君のところにいるよって、まさか、お風呂の中になんてついてこないでしょうね?」

「それはもちろん、ついて行くけど」

「やめてよ。私、そんなの絶対嫌だからね」

「そんなに恥ずかしがることないだろう?どっちみちまだ、毛も生えていないんでしょう?」

明日香は、顔がトマトみたいに真っ赤になった。

「乙女に対して失礼よね。精霊さんって、みんなそんなにイヤらしいの?」

「俺は特別さ。何しろ、精霊界一の変態と言われてるからね。えっへん!」

男はふんぞり返って偉そうなポーズをしています。

「まあ、なんにしても、今日だけはもう決まったことだから、午前零時過ぎるまでは、ここに居させてもらうよ。何かあったら俺がひどい目に遭うんだよ。地獄の業火の100倍だよ。想像できる?それはそれは、本当にひどいものなんだ」と、目を細めて言います。

「着替えるから、出て行って」

「そんなに恥ずかしがることないじゃないか!そんな貧弱なからだ見ても、俺は全然興奮しないよ。ピュアな心を持つ精霊だし......」

「なんですって!貧弱、悪かったわね。どうせ私は貧乳よっ。女の敵、出ていけっ!」男は一瞬で消えた。

明日香は男がどこへ行ったのか、辺りを見回すがどこにも見あたらない。
ドアを開けて廊下を見渡すが、どこにもいない。

明日香が着替えを終えて、男がどこに行ったのかを心配していると、男は戻ってきた。

「お待たせしました。呼ばれて参上。イケメン黒コートの男っ!」

「呼んでないしっ!何それ?精霊さんも冗談言うの?」

「そう!俺は精霊界一のコメディアン。冗談でできているんだ」

「その割にはあんまり面白くないよね」

「失礼なこと言うなあ、君はっ!俺だって傷つくんだからね。俺はとっても繊細なんだ。君は知らないだろうけど」

「あなたって、いろんなお名前をお持ちなのね。変態で、コメディアンで、他に何があるのかしら?教えていただけないかしら?」

「教えないっ!」

「.......」

下から母の声がします。

「明日香、夕飯できたわよ」

「はーい、いま行くから」

明日香が夕食を済ませ、部屋に戻って来ると、黒コートの男の姿はどこにも見当たらない。

明日香は、すこしだけ心配になったが、まあ、帰ったのならそれでいいや、と、お風呂に入ろうと服をパジャマに着替え始めた。
すると、明日香のすぐ後ろから男の声がした。

「ねえ、よんだ?ねえってば」

明日香は、脱いでいた上半身を隠しながら、キレ気味に言う。

「あの...申し訳ないんですけれどっ!」

「はいはい、何でしょう?」

「もうお風呂の時間なので、それで着替えて、お風呂に行くんだけど......」

「はいはい、それで?」

「それでって...出て行ってくれる?私の裸見られたくないもの」

「いや、何回も言ってるじゃあないか。見たってそんな体に欲情しないんだって」

「もうっ! どうでもいいから、早く出てって! バカっ!この変態っ!」明日香の投げたクッションがドアにあたって、柔らかく下に落ちた。


明日香は、お風呂に入っていても落ち着かない。あの男に見られているような気がする。天井を見て、窓を見て、鏡を見て、自分のうしろを見て、確かめるようにお風呂の排水溝の中も見たけれど、誰もいない。ほっと、ひと安心したところで、後ろから声がした。

「ここにーっ、いるよーっ!見ているよーっ!」

「キヤーッ!」

「驚かさないでよ、変態! 見なかったでしょうね?」

「いや、だから今言ったじゃない。見ているよーって。しっかり見ました、君の裸。いやーこんなペラペラな体を見たのは初めてだ」

「大きなお世話よ!」

明日香の指に黒い糸が......。

次の瞬間、男は明日香を抱きかかえると、空間を捻じ曲げ、明日香の部屋へと移動した。

すると、下の方で大きな物音がした。「ダダダダ、ドドーン」すごい揺れだ。明日香がさっきまで入っていた風呂場に、車が突っ込んだのだ。

父と母は何事だ?と、部屋から出て来た。そうして、車が風呂場に突っ込んだことを確認すると、

「明日香は大丈夫なのか?」父が大声を上げる。

「あすか、明日香!」

明日香は、二階から無事であることを両親に伝えた。

「危なかったね。もうちょっとで、一巻の終わり。可憐な花は蕾のままで終わるところだった。咲いても大して綺麗じゃなさそうだけれど...何しろ、貧相な体だから」

明日香は死にそうだったことも忘れて、

「いい加減にしないと、私も本当に怒るからっ! 貧弱な体って、ペチャパイって、もう何回言った?傷つきやすい年頃なのに......」

「ペチャパイとは、言っていないと思うけれど......」

「うわぁーん、うわぁーん」

安心したのと、冗談で、涙が一気に溢れ出してきた。明日香がこういう風に泣くことなどは滅多にないことだった。

泣けるラブストーリーを観ても、今まで泣いたことは一度もない。

「おい、おい。やめてくれよ。俺が一番苦手なのは、女の子の涙なんだよ。それだけは、お手上げなんだよ。そういうふうに泣かれたら、俺はもうどうしていいか分かんないんだ。頼むから、泣き止んでくれ」

すると、明日香はペロッと、舌を出して、

「そっか、女の子に泣かれると弱いんだっ! あんたの弱点みーつけたっ!」なんと、嘘泣きでした。

「女子ってこえーよ。女の子って、本当にこえーよ。平気で芝居ができるんだぜ。良かった。俺、こんな女子校生と付き合っていなくて」

「あんた精霊なんでしょう?しかも、あんたのこと、普通の人には見えないんでしょう?付き合うも何もないでしょう?」

「そっか、そっか。俺の方が見えるからさ。好みの女の子の後をついて行って、その子の着替えてるところとか、裸とか見放題だから...これって変態なのかな?」

「文句なしの変態でしょ! このド変態!」

二人の会話はまるで......。

「さて、あと二分ほどで今日も終わる。そうすれば多分、もう大丈夫だと思うぞ。黒い糸って言うのは、そうそうやって来るものじゃない。お前の場合は、今日一日で四回来たから、もうしばらくは来ないだろう」

「まあ、何にしてもいろいろ楽しかったよ。俺も長くこの役目をやっているけれど、同じ奴が何回も死に損なった。っていうの初めて見たし、良い土産話にもなったよ。お前の素敵な体も、嫌って言うほど拝ませてもらったしな」

「もう、あんたって本当に最低!」

「じゃあ、名残惜しいけど、俺はこの辺で行くわ。もう、午前零時過ぎたしな。次に会うのはいつになるのか分からないし、あるかどうかも分からんが、それまでは、何とか自力で生き延びるんだな。俺もみんながみんな、救えるわけじゃないから。じゃあな」

そう言うと男は、明日香のあたまを軽くポンポンっ、とすると、明日香が頭を上げた時には、もうどこにもいなかった。

明日香は男の手のひらの感触に、

「これって......」

事故の後処理がすっかり済んだ、家の一階の仏壇の前で、明日香の父と母が話をしていた。

「きっと、優が助けてくれたんだね、母さん?」

「ええ、間違いないわ」
仏壇の写真立てを見つめる父と母、そこには黒コートの男の面影を宿す、年の頃は十歳くらいの男の子が写っていた。
彼は、明日香がまだ五歳の時に交通事故で死んだ、四歳上の兄だった。今日はその優の、生きていれば二十歳の誕生日だった。

男が去ったあと、明日香は記憶を辿り、何かを思い出そうとしていた。

あの声...どこかで聞いたことがある。それと、あの優しい眼差し、そのあとのポンポン......。

「あっ! お兄ちゃん?お兄ちゃんだ!」

十年後。

明日香は、息子と娘、二人と一緒に信号待ちをしていた。

すると、突然、歩道の後ろに突き飛ばされる。駆け寄る子供たち。

その後ろを、一台の車が猛スピードで通り抜けた。明日香が顔を上げると、そこには、

「大丈夫か、明日香?」と、優しく手を差し伸べる兄、優の姿があった。

誰かに向かって、楽しそうにひとりごとを繰りかえす母の姿を、子供たちは不思議そうに、いつまでも見守っていた......。


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