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1月8日(月)

去年はありがとうございました。今年もよろしくお願いいたします。


エスプレッソマシンを買ってからずっと、日に二度、朝一と午後三時にカフェラテを淹れている。特に朝は、起きぬけゾンビのようにふらふらしながらエスプレッソマシンの電源をつけることからすべての生活が始まってる。最初の頃よりはラテアートも多少は上達した。


表参道のカフェに午後一時くらいに立ち寄った時に見た、店内に差し込む光の美しさ、机の上に降る光の美しさを自分がまったく表現できなくて、30分ほど頭を抱えていた。触れられる距離にありどれだけでも観察できるものに対して感じることをまったく表現できない。悔しいというか、感覚と表現の差分にほとほと困ってしまった。ありふれたシーンの中から美しさに気づいて取り出せるようになりたい。


これが初夢でいいんだろうかと心配になるようなカオスな夢だった。自分が見る夢は、いつも何かが入れ替わっていたりずれていたりする。


朝淹れたカフェラテを飲みながらお昼ごはんまでの間、詩を書いている。書きかけの詩を見直してしっくりくるまで直したり書き直したり、冬の空気の冷たさを表現したくてベランダに出て息を吸ったり吐いたりしている。友人や声をかけてくれた方に書いた詩を読んでもらって感想をもらっている。自分が感じたことと近いことを感じる人もいればまったく別の角度から読んでくれる人もいる。どんな風に読んでもらってもいい、すべて正解だと思う。詩を差し出す行為が、自分にとってどんな意味を持っているのかまだわかり切っていないけど、たぶん大切なことだと感じる。緊張したり恥ずかしくなったりもするけど、読んでもらって感想もらえると勉強になる。いまも読んでくれる人募集中なので、興味もってくれる方がいたらお気軽にご連絡くださいませ。


昨日つくばで家族と食事をしたのだけど、東京までの帰り道で兄と話す中、自分が子供の頃からいまもずっと感じていることをつらつらと話していたら「その感覚はけっこう独特だよね」と言われた。その言葉自体がどうこうということではなくて、自分の感性がどんな形なのかは、誰かに話してみたり壁打ちしたりしないとわからないものだよなぁと思った。


この日記を書こうとするたびに、この日記には何が書かれるべきなんだろうかということを自問して、つい何か意味のありそうなことを書きそうになりつつ、ただあったことを淡々と書くための場所であることを都度思い出しては、コーヒー飲んだとか光が美しかったとかご飯が美味しかったとか、そういうことを書いてる。


最後まで読んでいただきありがとうございます。