2023年12月28日
私の故郷は福島県いわき市。実家は田んぼと山に囲まれていました。最寄りのコンビニまでは徒歩で1時間、電車やバスは1時間に一本(バスは後に廃線)、小学校の全校生徒はいつでも55人位で全員友達でした。
そんな環境で育ったからか、目にうつるもの、耳で聞くもの、匂い、東京の全てが情報で溢れすぎていて(思えば、上京してすぐに東京に面食らって高熱で倒れ数日間入院したこともありました)。たまに東京から抜け出したくなって、そんな時は多摩川に足を運びます。年に何回かはレンボーブリッジに行ったり。そこは東京なんだけれど、東京の外に出られる気がして。
あかりが灯る頃に遠望する東京が好きです。そこに、ひとつ、ふたつと小さなあかりが灯る様を見ると、無機質な東京にもぬくもりを感じられて。そこには愛も希望も傷も絶望もあって、すべてを内包しながら、今を生きている人がいると思うと、私もあの小さなあかりを構成する一つの分子なんだって、私もここ(東京)にいる、私はここ(東京)にいるんだって、と覚悟と決意をもって、再び東京に戻っていけるから。そんな日々。
今日はひとつ、私の人生において大きなことが、やっと、ちゃんと、終わりました。建物の外に出た頃には陽が傾いていたので、行けなかったけれど、行きたかったな、多摩川。自分の現在地を確認するために。
昔から始まることが寂しい子供でした。始まりには必ず終わりがあるから。運動会も発表会も、準備している時が一番楽しくて、始まった時から少しづつ寂しさが増していく。終わった時はやり切ったからじゃなくて、終わってしまうことが寂しくて、こっそり泣きました。
大人になってからそれは加速して、始めることが怖くなっていきました。人の気持ちは永遠に続かないから、それを知ってしまったから、どんどん臆病になって、自分の気持ちに蓋をして、閉じる。始めなければ終わらないなんて思ったりもしたけれど、それは幻想で、始まれば終わるし、始めなくても終わる。私たちは常に変化のうえに生きていて、そして、生あるものは必ず死を迎える。
でも、今回の展示を通して、自分の想いや、自分の作品は、他者における存在として、他者の中にあり続けるということに気づけました。たとえ、物質として最後を迎えても、きっと何かしらは残る。完全な終わりはない。
叶わないことを知ってから願い事をするのを辞めてしまったし、信じることで傷ついてきたから、信じることも怖くなってしまったけれど、「占いが当たった♡」って喜ぶ友人の姿を見て、それがとても愛らしいもので、ふと、占いを調べてみました。「乙女座 2023/12/28」多くの相手からの熱烈なアプローチもなかったし、同じ分野の違う業種の人からとても参考になる意見を聞く機会もなかったし、驚くほど当たっていない、かすりもしませんでした。でも、もし当たっていたら嬉しいのかも、信じるものは救われるのかもしれない。明日も私は占いを見ると思います。
2023年12月28日。
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