フルーチェ

フルーチェが怖い。まんじゅう怖い的な話ではなく、口にするのが恐ろしいのだ。

思えば、昔から好きな服は着ることを許されなかったが、好きなものはなんでも食べさせてもらえた。ピアスも染髪も禁止されていた我が家であったが、メルヘンママであるところの母は父の取り決めに従わず私たちにいろんなものを食事として与えた。父が監視できない範囲では母は非常に自由に振る舞う。

例えば、昔から我が家では何故かシリアルを朝食として食べることを父から禁止されていたが、父が出張などで家を空ける場合は普通にケロッグをモリモリ食べていた。専業主婦なのだ、手を抜きたいところは抜きたかったのだろう。私たち子供としても朝から甘いものを軽快に食べれるので父ができるだけ遠方に出張することを切に望んでいた覚えがある。厳格な父がなんと言おうと母にタブーは存在しないのだった。逆に父がいる時は決まっておにぎりと味噌汁とウィンナーか卵焼き、たまに果物付きといった感じだったので母のカマトトぶりには目を見張るものがあると言える。夫婦円満の秘訣であろう。

掟破りのうちの一つがねるねるねるねを食べることであった。父にとっては化学物質まみれのゲテモノを遊びながら生成し口にするなど愚の骨頂であったようだったが、母には関係なかった。というか母は何も考えてなかった。昼間は当然父は仕事で家にはいないので私たちはねるねるねるねねるねるしまくりであった。幼稚園の頃はバスのお迎え帰りにおやつを買ってもらっていたが、決まってシャーマンキングのカード付きウエハースとアメリカ産の指輪型もしくはおしゃぶり型の飴を買ってもらっていた。栄養ゼロ、着色料バリバリである。家事はめちゃくちゃ得意なのに栄養についてはとんと無頓着な母だったのだ。
そんな母の監視の目も非常に緩く、小学生になってもゆめタウンのマックで死ぬほどハッピーセットを食べたり、量り売りのジェリービーンズが試食できるコーナーで過剰な食欲を発揮したりしていた。これはきょうだいと一緒になってやっていた覚えがある。悪いきょうだいである。

正直なところ、こういう雑な食育を受けているため私は食べ物の好き嫌いがあまりない。お昼を決める時もなんでもいいよとしか答えない非常に使えない人間になった。逆に言えば基本的にゲテモノでもなんでも食べることができる。西にフレンチがあると言われれば喜んで食べに行き、東に昆虫食があると聞けば目を輝かせて口に入れる。
また、肥満体のくせに意外と小鳥の餌くらいしか食べないため、ご飯を食べるのが面倒だなと思うことも多い。朝はプロテインを飲んで終わることもしばしばである。だいたい生きていることができるくらい栄養が取れていれば十分だと思っているのだが、このような姿勢が老後に影響を与えるだろうと悲観もしている。なんでも食べさせてもらえたから、食に対して執着も関心も生まれなくなったのだろうと思う。
経験というのは慣れなのだ。逆に言えば、なんでも初めてのものというのは怖い。初めて愛を告白すること、病気になること、結婚をすること、注射を受けること、手術を受けること、離婚をすること、キスをすること、就職すること、そして極端に言うと死ぬことは、慣れていないしそうそうたくさんすることではないから怖いと感じるのだろう。死ぬことなんて、体験談を語る人がほとんどいないのだからなおのこと怖いだろう(代理体験ができない)。

従って、私はフルーチェが怖いのだ。そう、雑食の我が家でも何故かフルーチェは食卓に並ぶことがなかったのである。多分母の眼中に入らない上に子供たちも興味がなかったのだろうと思う。私の中でフルーチェは「ハチミツとクローバー」の竹本くんが食費に困って牛乳を死ぬほど入れまくり、超「もったり」した状態になって食べていた(正確に言えば食べられていた)イメージしかない。もったりスイーツなのだ。
別にフルーチェなど食べなくても一生困らないのだが、今困っているのである。なぜかというと、何故かフルーチェを衝動買いしてしまったからなのだ。
「フルーチェを衝動買いする」状況がわからないが、私も買った時の記憶があまりないため説明がつかない。多分だがパッケージにシナモロールが載っていて可愛かったのと、おそらくだがお腹が空いている時に買い物をしたからというのが理由だと思う。曖昧なフルーチェである。食材を保管している場所にそっとしまっているのだが、時にシナモロールと目が合い、非常に気まずい。違うんだよ、作るのが面倒でほっておいているとか、そういうことではないんだ。と弁明したくなる。恋人の扱いに困り始めた、倦怠期のようだ。私はフルーチェと倦怠期を迎えているというわけである。恋とフルーチェは燃え上がった時にやっておいた方がいい。

一つには「もったり」スイーツのフルーチェを作るのにいつも買っている低脂肪乳ではふさわしくないとか、さりとてわざわざ普通の牛乳を買うのは不経済だとか、色々言い訳ができるのだが、結局はやっぱりフルーチェが怖いのだと思う。初めてのフルーチェ。はじめてのチューくらい怖い。加えてチューに関しては相手がいるので相手の熱量とかムード作りとかでどうにかこうにか達成することができるが、私とフルーチェの間ではそんなムードなど自動的には流れないし、流すとすれば自分がムード作りをしたり、フルーチェへの情熱を示さなければならない。フルーチェと向き合うのには自分のモチベーションづくりが非常に重要になってくるのだ。こう考えると今までチューをいかに相手任せにしてきたか反省しきりである。今後は自分からもチューするためのムード作りや熱量を保つ努力などなど努めていかなければならないなと思う。
話がチューの話になってきたのでフルーチェに戻す。フルーチェがもったりしていなかったらどうしよう。しかもそれが自分の腕のせいであったらどうしよう。仮にもったりしていたとしてもあまり美味しいと感じられなかったらどうしよう。フルーチェに対して恐怖と不安でいっぱいなのである。しかも先立っていったようにフルーチェに対しては自分の熱量のみで接していかなければならない。この体たらくでは、フルーチェときちんと向き合うのは不可能であろう。
嗚呼、誰か私とフルーチェを食べてくれないだろうか。

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