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卒業アルバム

次女が卒業アルバムをもらってきた。
卒業アルバムをもらうのに、教室ではなく体育館に学年全員を集めての配布だったらしい。
配布後20分ほど、みんなでわちゃわちゃとアルバムの余白にメッセージを書き合うという時間が取られていたらしい。

でもこれって、普段学校に行っておらず久しぶりに学校へ行った娘にとっては苦痛な時間だった模様。
だってメッセージを書き合える友達がいないから。
声をかけてくれる子もほとんどおらず、本人も声をかけたい友達もおらず、、。
幼稚園が一緒だったお友達が娘に気づいて声をかけてくれたけれど、そのあとは邪魔にならないようにすみっこで待つこと20分。
20分待ってもみんなが収まらないからか、元々長めに時間をとってあったのか、そのまま約小一時間ほどそんな時間が続いたようでした。

久しぶりに学校へ行く人、そもそもメッセージ交換をしたくない人、いろんな人がいて、色んな考えがあると思う。
メッセージを書き合うことがダメなんじゃなく、なんでわざわざ学年全部が集まって、授業時間を潰してその時間なの?ってこと。
メッセージ交換したい子は、放課後に残って書き合うのでも良いと思う。
実際、私の時はそんな感じだった気がする。

卒業式の練習の合間の時間にわざわざ集まってその時間を取るのはどうして?
あれだけ学校で不登校の子が増えていて、学校は対策しています!と言ってる割には、メッセージ交換しない子がいることには気づかないの?
放課後、学校に生徒に残ってほしくない先生の都合?
メッセージを交換したい生徒からの要望を聞いたからこの時間?
この時間で、友だちの少なさやコミュ力がないことを実感して、自己肯定感をさらに低くして、心穏やかに過ごせないの子もいるかもしれないのに。

娘はそんなに辛そうな表情もなく淡々と語っていたけど、私は正直辛かった。
卒業式は頑張って出ようと思い、練習に参加するためにここ数日学校へ行っている娘。
そんな娘は体育館でアルバム配布のことも誰からも聞いていなかったので、体育館履きもなく冷たい体育館に靴下で集まり、周りでメッセージ交換している子たちの邪魔にならないようにすみにいてただ時間が過ぎるのを待つなんて。。

辛かったねと娘をハグしたけど、彼女は、「学校ってそんなもんでしょ。何も期待してないからいい。後、数日通うだけだし。卒業式の練習に行っただけだから」と。
ある程度の我慢は当たり前だし、みんなの総意で学校運営がなされるわけではないことだって知ってるけど、ガッカリさせられた。

そもそも卒アルって必要なのかな?
昭和の頃、行事ごとにカメラマンがついてきて写真を撮ってくれるわけじゃなかった頃は思い出の残る大切なものだったかもしれないけど、多くの行事にカメラマンが同行し、たくさんの写真を購入する今、不要なのでは?
クラスの個人写真の中に何名かの不登校の子の写真がなく、名前だけ載せられているのをみて改めて疑問に思った。

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