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文芸誌を読んでみる。

こんにちは。文学サークル「ペンシルビバップ」の川和真之です。

小説を書くことは趣味、としか言えないような取り組み方からいまいち脱却できない僕なのですが、読書に関しては、趣味は読書、とすら言えないような体たらくで過ごしてきました。

そもそも、僕が初めて小説を一冊読んだなぁ、と言えるのは21歳のときです。いまでこそ高校の国語教員ですけれど、大学の専攻は土木工学でしたし、中高生のときも、ドラゴンクエストⅤのノベライズを購入したのは覚えてますが、ちゃんと読んだのかいまいち定かではありません。

学校の教材にも、学生時代には思い入れがある作品なんてないですし、サークル仲間たちのいうところの、「国語の教科書って配られたら全部読んで新学期が始まるときには全て読み終わっていた」みたいなこととは無縁でした。

夢中になって小説を読んだことがないわけではありません。それを頼りに書いているところがあります。しかし、自分のそばにはずっと小説がいる、みたいな人間では全くないため、そもそも小説家になる素養がないのではないか、と考えたことは数えきれないほどあります。

そんな僕ですが、今回、初めて文芸誌を(いちおうは)最初から最後まで読んでみました。文学を志す人は、みんな自然と手にとって読んでいらっしゃるのでしょうか。

『群像』の4月号なんですけどね。ふと、今月からせめて1つくらいは読んでみようかなと。『群像』にしたのは、2回目の大学生をしていた30代前半のときに、群像新人文学賞に応募したからですね(一次通過すらしてないけれど)。

(いちおうは)と書いたのは、最初の百数十ページまでは丁寧に一つひとつ読んでいたのですが、これ全部を読もうとすると続かなそうだなあ、と感じて、途中からは面白そうだなと思ったものしかちゃんと読まなかったからです。完読を義務にしちゃうと、つらそうだったので。

結局は全体の6割程度しか読んでなさそうなのですが、それでもずいぶんと時間がかかり、これは難儀だなぁとか思っちゃうくらいに変わらず非・読書家なのですが、それでも「面白いから来月も読もう」と思えました。

それは偶有性があるからです。

偶有性。最近この言葉がお気に入りなんですけどね。いまって、ヤフーニュースとかインスタグラムとかはコンピュータに学習されちゃって、偶然的な出会いと言えるような、自分の人生の文脈にないものにはなかなか触れられないですよね。

文芸誌には、新聞購読にも通ずる偶有性があるなぁって思ったんですね。

知らない出来事や考え方に出会えるし、こんな作品を書いてみたい、という着想が生まれました。僕は知らない作家ばかりなので、初めて知った作家の方々多数いました。好きな作家を見つけることもできそうです。

……書いてて恥ずかしいですが、ほんとうに、自分は小説書きとしても、国語科教員としても、読書が足りてないんですよね。くよくよしてもしょうがないので、頑張りますけれども。

最後までお読みいただきありがとうございます。

明日も負けない心でいきましょう!

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