俺の夢を聞いてくれ vol.1 夢の扉
岡山で生まれ、小学6年生になるタイミングで名古屋へ引っ越し、大学入学をきっかけに上京した。僕の家族は普段から仲は良く、お金あにもさほど不自由なく育ったとは思う。しかし海外旅行には縁のない家庭だった。
岡山、名古屋、東京…着実に都会に来ている。この先の人生はどこを目指していくのだろう?大学へ入学をしたその年の夏休み、初めて海外へ行った。行き先はニューヨークへ。初めての海外の舞台としてニューヨークを選んだ理由は一番の場所!と思ったからである。何が一番なのかと言われたら自分でもよく説明できないのだがその当時のノリで決めたのがニューヨークであった。
英語は苦手だったけれども特に悩むこともなく一人で行った。メジャーリーグ観戦、ブロードウェイ観劇、同じホステルに泊まっていたスペイン人と一緒にまわったり。ニューヨーク以外にもホワイトハウスやナイアガラに行ったり日本人に出会い仲良くなったりもした。初めての海外旅行は非常に充実したものとなった。
その後も大学生活、社会人になってからも海外には何度も行った。その中でも一番多く行っているのが、今となっては僕のアナザースカイと呼べる場所、カンボジアである。カンボジアとの出会い、そのきっかけは実にひょんなことだった。
入学直後、大学では部活やサークルの勧誘が至る所で行われていた。いくつかのサークルを見て回るもあまりピンとくるものはなく、熱心に勧誘してくれていたお笑いサークルに入るかなあと思っていたところで同じクラスになったの友人に誘われたのがカンボジアに教育支援を行う国際協力団体であった。これが僕の大学生活、いやその後の人生をも大きく変えることとなった。
これまでの僕のイメージとして、ボランティアは文化系の人のやること。ねくらとは言わないまでもねあかな人間がやるイメージではない。そんな偏見に満ちたイメージを持っていた。そんななか前に立って喋っていた人間(当時の代表)はいわゆるロン毛であり、見た目がグリグリにパーマをかけたややチャラい見た目の男だった。その時、僕のボランティアの印象は一瞬にして変わった。その当時の僕と見た目が酷似していたからである。
見た目は自分と似ているのにも関わらず真剣に、時にはふざけながら熱い気持ちを語る代表に僕の心は動かされていた。(ああ、こういう見た目の人もやるなら自分が知らないだけで挑戦してみるのもいいかもな。)そう思った僕は右も左もわかっていない国際協力という世界の扉をその場の勢いで開いた。
koen_jiro
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